第2章3
十月三十日。アメリカ・アイオワ州。
広大なトウモロコシ畑が、地平線まで続いていた。
アメリカ中西部。世界最大の穀倉地帯。
ここだけで、世界のトウモロコシ生産量の約三十パーセントを占める。
「すごい......」
優希は、ヘリコプターの窓から見下ろしていた。
「こんなに広いとは......」
「ええ」
隣に座る美咲が、資料を見ながら答えた。
「アイオワ州だけで、日本の国土面積の約三分の一です。そして、ここ全体がほぼ農地」
「管理、できるんでしょうか......」
「それを確認するのが、今回の作戦です」
ヘリコプターが、降下を始める。
眼下には、巨大な農場施設が見えた。
倉庫、サイロ、機械格納庫、そして――無人のトラクター。
「あれは......」
「自動運転のトラクターです」
美咲が説明した。
「アメリカの大規模農場は、かなり自動化されています。GPS制御で、無人でも作業できるように」
「じゃあ、人がいなくても――」
「ある程度は、持ちます。でも」
美咲は、資料をめくった。
「メンテナンス、燃料補給、収穫物の保管......全て、人の手が必要です」
「つまり、放置すれば......」
「数ヶ月で、全てが停止します」
ヘリコプターが、着陸した。
---
**午前十時。農場本部。**
建物に入ると、静寂が支配していた。
オフィスには、デスクと椅子。パソコンは、スクリーンセーバーが動いたまま。
コーヒーメーカーには、冷めたコーヒーが残っている。
「誰もいない......」
優希は、呟いた。
何度見ても、この光景には慣れない。
「佐藤先生」
声がした。
振り返ると、三十代の日本人男性が立っていた。
「あ、田村さん」
田村健太。農業工学の専門家で、今回の食料確保チームのリーダーだ。
「施設の状況、確認しました」
田村は、タブレットを見せた。
「自動運転のトラクターは、ほぼ正常に稼働しています。ただし、燃料が残り三週間分」
「三週間......」
「ええ。それまでに、燃料供給ルートを確立しなければなりません」
「わかりました。石油精製施設の確保も並行して進めます」
「それと」田村は、表情を曇らせた。「もう一つ、問題があります」
「何ですか?」
「収穫したトウモロコシの保管です」
田村は、窓の外を指した。
「サイロは満杯です。このままでは、新しく収穫したものを保管できません」
「日本へ輸送すれば――」
「それも検討していますが、輸送能力に限界があります」
美咲が、資料を見ながら言った。
「現在、日本への輸送は週に一回、大型貨物機五機体制です。これでは、全く足りません」
「増やせませんか?」
「パイロットが不足しています」美咲は、ため息をついた。「自衛隊と民間のパイロットを総動員していますが、それでも足りない」
優希は、考えた。
輸送能力の限界......
「待ってください」
優希は、田村を見た。
「ここで、加工できませんか?」
「加工?」
「ええ。トウモロコシをそのまま運ぶんじゃなくて、コーンミールや飼料に加工してから運ぶ。容積を減らせます」
田村の目が、輝いた。
「なるほど! それなら、輸送効率が上がります!」
「この施設に、加工設備は?」
「あります! 隣の建物に、大型の製粉機が」
「じゃあ、それを稼働させましょう」
「了解です!」
田村は、チームメンバーに指示を出すため走り去った。
美咲が、優希を見た。
「さすがですね。とっさの判断が的確です」
「いえ、当たり前のことを言っただけです」
その時、無線機が鳴った。
『こちら第二チーム。ブラジル大豆農場より報告』
優希は、無線機を取った。
「こちら佐藤。聞いています」
『大豆の収穫、順調です。ただし――』
声が、途切れた。
「ただし?」
『......害虫が発生しています』
「害虫?」
『ええ。大豆を食い荒らす虫です。通常は農薬で駆除しますが、消失後、誰も散布していなかったため......』
優希は、眉をひそめた。
「被害規模は?」
『現時点で、約二十パーセントの農地が被害を受けています。このままでは、全滅する可能性も』
「くそっ......」
優希は、拳を握った。
「すぐに農薬を散布してください。必要なら、日本から追加の人員を派遣します」
『了解しました』
通信が切れた。
美咲が、心配そうに言った。
「問題が、次々と出てきますね」
「......ええ」
優希は、窓の外を見た。
広大な農地。
だが、その全てを管理するには――人手が圧倒的に足りない。
「一億二千万人じゃ、足りないのか......」
優希は、呟いた。
「佐藤先生」
美咲が、優希の肩に手を置いた。
「完璧を目指さないでください。できる範囲で、やればいいんです」
「でも......」
「今回の作戦で、アイオワ州の農場を確保できれば、日本の食料需要の約三十パーセントをカバーできます」
美咲は、資料を見せた。
「それだけでも、十分な成果です」
優希は、美咲を見た。
「......ありがとうございます」
---
**午後二時。製粉施設。**
田村のチームが、製粉機を稼働させていた。
巨大な機械が唸りを上げ、トウモロコシが粉に変わっていく。
「順調です!」
田村が、親指を立てた。
「この調子なら、三日で全てのサイロを空にできます!」
「素晴らしい!」
優希は、笑顔を見せた。
その時――
ガガガガガ......
異音。
製粉機が、突然停止した。
「え?」
田村が、慌てて制御盤に駆け寄った。
「どうしたんだ......」
「故障ですか?」
「いや、電源が......」
田村は、顔を上げた。
「停電だ!」
「停電!?」
優希は、周りを見回した。
確かに、照明が消えている。
「なぜ......」
「発電機が止まったんです!」
チームメンバーの一人が叫んだ。
「この施設、自家発電設備を使っています。でも、燃料切れで――」
「くそっ!」
優希は、外に走り出た。
発電機棟へ向かう。
扉を開けると、巨大なディーゼル発電機が停止していた。
「燃料タンクは?」
「空です!」
「予備のタンクは?」
「それも空!」
優希は、歯を食いしばった。
「近くに、燃料を調達できる場所は?」
「一番近いガソリンスタンドが、車で三十分です」
「行ってください! タンクローリーを借りて、燃料を運んで――」
その時、無線機が鳴った。
『緊急! こちら第三チーム、オーストラリアより!』
優希は、無線機を取った。
「こちら佐藤、どうした!」
『牧場で火災発生! 乾燥した牧草に引火して、延焼中!』
「消火は!?」
『試みていますが、風が強くて制御できません! このままでは、牧場全体が――』
ノイズが走った。
「第三チーム! 応答してください!」
『......畜舎に延焼! 家畜が......家畜が......!』
「くそっ!」
優希は、無線機を握りしめた。
次々と起こる問題。
人手不足。
資源不足。
そして――時間不足。
「佐藤先生!」
田村が駆けてきた。
「どうしますか!? 発電機が止まったままでは、製粉作業が――」
「わかってます!」
優希は、頭を抱えた。
どうする。
どうすればいい。
「佐藤先生」
美咲が、冷静に言った。
「落ち着いてください。一つずつ、対処しましょう」
「でも――」
「まず、こちらの発電機。燃料調達チームを派遣します」
美咲は、チームメンバーに指示を出した。
「次に、オーストラリアの火災。自衛隊の消防ヘリを派遣します」
美咲は、通信機で官邸に連絡を取り始めた。
優希は、その姿を見ていた。
冷静で、的確で、頼もしい。
「......ありがとうございます、早川さん」
「どういたしまして」美咲は、微笑んだ。「あなたは、全体を見てください。細かいことは、私がやります」
優希は、深呼吸をした。
そうだ。
一人で全てを背負う必要はない。
チームがいる。
「田村さん」
「はい!」
「発電機が復旧するまで、手動で作業できることはありますか?」
「......あります! トウモロコシの袋詰めなら、人力でも可能です!」
「じゃあ、それをお願いします」
「了解!」
田村は、チームメンバーを集めた。
優希は、無線機を取った。
「全チームへ。こちら佐藤」
『......』
静寂。
そして、次々と応答が返ってくる。
『第二チーム、聞いています』
『第三チーム、聞いています』
『第四チーム、聞いています』
優希は、深呼吸をした。
「皆さん、聞いてください」
優希は、言葉を選んだ。
「今、各地で問題が起きています。燃料不足、火災、害虫......色々です」
『......』
「でも」
優希は、拳を握った。
「僕たちは、諦めません。一つずつ、解決していきます」
『......』
「燃料が足りないなら、調達します。火災が起きたなら、消火します。害虫が出たなら、駆除します」
優希の声が、力を帯びた。
「僕たちは、全人類です。そして、この地球の管理者です」
「だから」
優希は、空を見上げた。
「やり遂げましょう。この作戦を、必ず成功させましょう!」
『了解!』
『了解しました!』
『やります!』
次々と、返事が返ってくる。
優希は、微笑んだ。
「ありがとうございます。では、作戦続行!」
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**午後六時。**
燃料が補給され、発電機が再起動した。
製粉機が再び動き出し、トウモロコシが粉になっていく。
オーストラリアの火災も、消防ヘリの活躍で鎮火した。
ブラジルの害虫も、農薬散布で駆除が進んでいる。
「やった......なんとか、なった......」
優希は、その場に座り込んだ。
疲労が、どっと押し寄せる。
「お疲れ様です」
美咲が、水のボトルを差し出した。
「ありがとうございます」
優希は、一気に飲んだ。
「今日は......大変でしたね」
「ええ」美咲は、隣に座った。「でも、乗り越えました」
「......ギリギリでしたけどね」
「ギリギリでも、成功は成功です」
美咲は、笑った。
「それに、あなたのスピーチ、良かったですよ」
「スピーチ?」
「『僕たちは全人類です』って言ったでしょう?」
美咲は、スマートフォンを見せた。
「SNSで、バズってます」
画面には、優希の言葉が引用されていた。
『#佐藤優希』
『#全人類で協力』
『#希望のリーダー』
「こんなに......」
「ええ」美咲は、嬉しそうに言った。「あなたの支持率、上がってますよ」
「支持率って......僕、政治家じゃないんですけど」
「でも、事実上のリーダーです」
美咲は、真剣な目で言った。
「そして、国民はあなたを支持しています。在日外国人も、あなたを信じています」
「......」
「だから」
美咲は、優希の目を見た。
「自信を持ってください。あなたは、間違っていません」
優希は、美咲を見た。
そして――笑った。
「......ありがとうございます」
二人は、夕日を見た。
アイオワの空。
広大な大地に沈む、美しい夕日。
「この景色、守りたいですね」
優希は、呟いた。
「守りましょう」
美咲は、頷いた。
「あなたと、私と、みんなで」
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**同日、午後十一時。東京・首相官邸。**
桜井晋三は、一人で資料を見ていた。
『佐藤優希、支持率上昇』
『食料確保作戦、成功』
『在日外国人との協力、評価高まる』
桜井は、資料を机に叩きつけた。
「......調子に乗りおって」
桜井は、立ち上がった。
窓の外を見る。
東京の夜景。
「佐藤優希。お前は、理想に溺れている」
桜井は、呟いた。
「いずれ、現実が牙を剥く。その時――」
桜井は、不敵に笑った。
「私が、全てを手に入れる」
桜井は、机の引き出しを開けた。
中には、一枚の書類。
『在日外国人管理法案(草案)』
「準備は、整っている」
桜井は、その書類を握りしめた。
「後は、タイミングだけだ」