第2章2
十月二十七日。東京・首相官邸。
優希たちが中東から帰国すると、官邸には報道陣が詰めかけていた。
「佐藤先生! ガワール油田の消火、お疲れ様でした!」
「今回の作戦の成功について、コメントをお願いします!」
「在日外国人との協力体制について!」
フラッシュが焚かれ、マイクが突きつけられる。
優希は、疲労困憊していたが、笑顔を作った。
「今回の作戦は、チーム全員の協力のおかげです。特に、サウジアラビア出身のアフマド・アル=ファリドさんの専門知識がなければ、成功しませんでした」
「在日外国人の活躍が目立っていますが、これは日本政府の方針なんでしょうか?」
「方針というより」優希は、言葉を選んだ。「必然です。この地球に残された全ての人間が協力しなければ、生き残れません」
「ということは、今後も在日外国人を重要なポジションに――」
「佐藤先生、ここまでで」
突然、スタッフが割って入った。
「桜井大臣がお待ちです。会議室へどうぞ」
「あ、はい」
優希は、報道陣に会釈をして、会議室へ向かった。
廊下を歩きながら、リーが小声で言った。
「なんだか、嫌な予感がする」
「僕もです......」
---
**会議室。**
扉を開けると、桜井晋三が一人で座っていた。
窓を背にして、逆光で表情が見えない。
「佐藤君、お疲れ様」
「ありがとうございます」
「座りたまえ」
優希とリーは、席に着いた。
桜井は、しばらく沈黙していた。
そして――
「佐藤君。君は、調子に乗っていないか?」
「......え?」
「今回の作戦。私は撤退を命じた。だが、君は無視した」
桜井の声は、静かだが冷たかった。
「結果的に成功したからいいものの、失敗していたらどうするつもりだった?」
「それは......」
「君は科学者だ。リーダーではない。命令に従うべきだった」
優希は、拳を握った。
「でも、撤退していたら油田全体が失われていました」
「それでも、人命の方が重要だ」
桜井は、立ち上がった。
「佐藤君。君は勘違いしている。J-リセット計画の総責任者は君だが、最終決定権は私にある」
「......」
「そして、もう一つ」
桜井は、窓の外を見た。
「君は、在日外国人を重用しすぎだ」
「重用......?」
「そうだ」桜井は振り返った。「オペレーション・プロメテウスでも、今回の油田作戦でも、在日外国人が中心になっている」
「それは、彼らの専門知識が――」
「わかっている」桜井は手を上げた。「彼らの技術が必要なことは理解している。だが、国民感情を考えろ」
「国民感情......?」
「ああ」桜井は、資料を机に投げた。「これを見ろ」
優希は、資料を手に取った。
世論調査の結果だ。
『在日外国人の重用について、どう思いますか?』
賛成:42%
反対:38%
わからない:20%
「賛成が上回っています」
「今はな」桜井は冷笑した。「だが、拮抗している。そして、反対派は徐々に増えている」
桜井は、別の資料を指した。
「こちらを見ろ。SNSの分析だ」
『#日本人を優先しろ』
『#外国人に頼りすぎ』
『#佐藤は日本を売るのか』
ネガティブなハッシュタグが、並んでいる。
「これが、現実だ」
桜井は、優希を見た。
「佐藤君。君の理想は美しい。『全人類で協力』。素晴らしい。だが――」
桜井は、机を叩いた。
「現実は、そんなに甘くない!」
優希は、黙っていた。
「人間は、『仲間』と『よそ者』を区別する生き物だ。それは、本能だ」
「でも――」
「『でも』じゃない」桜井は、優希に詰め寄った。「君が理想を語れば語るほど、反発が生まれる。そして、いずれ――暴動が起こる」
「暴動......」
「ああ。日本人と外国人の衝突だ。それを防ぐために、私は言っている」
桜井は、椅子に座った。
「在日外国人の活用は続けろ。だが、前面に出すな。日本人が主導しているように見せろ」
「それは......欺瞞です」
「欺瞞で結構」桜井は肩をすくめた。「政治とは、欺瞞の芸術だ」
優希は、立ち上がった。
「僕は、それはできません」
「何?」
「僕は、嘘をつきたくない。在日外国人の貢献を隠すことは、彼らへの侮辱です」
桜井の目が、細められた。
「......君は、本当に理想主義者だな」
「それの何が悪いんですか」
「悪くはない」桜井は、ゆっくりと立ち上がった。「ただ――危険だ」
桜井は、優希に近づいた。
「佐藤君。君は天才だ。科学者として、リーダーとして、素晴らしい能力を持っている」
「でも」
桜井は、優希の肩を掴んだ。
「君には、『汚い仕事』ができない。それが、君の弱点だ」
「......」
「だから、私がいる」
桜井は、不敵に笑った。
「君は理想を語れ。私が、現実を処理する。それが、我々の役割分担だ」
優希は、桜井の手を払いのけた。
「僕は、あなたの『汚い仕事』には協力しません」
「......そうか」
桜井の表情が、冷たくなった。
「ならば、好きにしろ。だが、覚えておけ」
桜井は、ドアに向かった。
「君の理想が崩れた時――私が全てを引き継ぐ」
桜井は、ドアを開けた。
「その時まで、せいぜい頑張りたまえ」
バタン。
ドアが閉まった。
優希は、その場に立ち尽くしていた。
「佐藤先生......」
リーが、心配そうに声をかけた。
「大丈夫ですか?」
「......大丈夫じゃないです」
優希は、椅子に座り込んだ。
「桜井大臣の言うことも、一理あります」
「え?」
「国民感情。それは、無視できない」
優希は、資料を見た。
反対:38%
「四割近くの人が、僕のやり方に反対している......」
「でも、賛成の方が多いじゃないですか」
「今はね」優希は、苦笑した。「でも、何か失敗すれば、この数字は逆転する」
優希は、窓の外を見た。
「僕は......本当に正しいことをしているんでしょうか」
「佐藤先生」
リーが、優希の前に立った。
「あなたは、正しいことをしています」
「でも――」
「聞いてください」
リーは、真剣な目で言った。
「私は、あなたに救われました。パクさんも、アフマドさんも、ワンさんも、みんな」
「......」
「あなたがいなければ、私たちは『よそ者』のままでした。でも、あなたは私たちを『仲間』として扱ってくれた」
リーは、拳を握った。
「それは、絶対に正しいことです。数字や世論調査で測れるものじゃない」
優希は、リーを見た。
「リーさん......」
「だから」リーは、微笑んだ。「自信を持ってください。あなたのやり方は、間違っていません」
優希は、目頭が熱くなった。
「......ありがとうございます」
その時、ドアがノックされた。
「入ってます」
ドアが開き、美咲が入ってきた。
「お疲れ様です。桜井大臣と、何か?」
「......ええ、少し」
「そうですか」美咲は、ため息をついた。「予想通りですね」
「予想通り?」
「ええ。桜井大臣は、あなたを牽制し始めています」
美咲は、椅子に座った。
「あなたの人気が高まれば高まるほど、桜井大臣の立場が危うくなる。だから、今のうちに釘を刺しておこうと」
「......政治って、面倒ですね」
「ええ、とても」美咲は笑った。「でも、避けられません」
美咲は、資料を取り出した。
「これ、見てください」
「何ですか?」
「次の作戦の候補地です」
資料には、世界地図。そして、複数の赤い点。
「アメリカの穀物地帯、ブラジルの大豆農場、オーストラリアの牧場......」
美咲は、地図を指した。
「食料確保のための作戦です。エネルギーの次は、食料。これが最優先課題です」
「......そうですね」
優希は、地図を見た。
「いつ出発しますか?」
「三日後を予定しています。準備期間が必要なので」
「わかりました」
優希は、立ち上がった。
「では、準備を始めましょう」
「佐藤先生」
美咲が、優希を呼び止めた。
「はい?」
「一つ、お願いがあります」
「何でしょう?」
「次の作戦では......少し、日本人技術者を前面に出してください」
「......え?」
「桜井大臣の言うことも、全てが間違っているわけではありません」
美咲は、真剣な目で言った。
「在日外国人の貢献を隠す必要はない。でも、バランスは必要です」
「バランス......」
「ええ。日本人も、外国人も、平等に活躍している。それを見せるんです」
美咲は、資料を指した。
「世論は、揺れています。今、ここで上手くバランスを取れば、賛成派を増やせます」
優希は、考えた。
美咲の言うことは、理にかなっている。
でも――
「僕は、能力で人を選びたい。国籍じゃなくて」
「それは正しいです」美咲は頷いた。「でも、見せ方も大事です」
「見せ方......」
「ええ。実態は変えなくていい。でも、報道の時、広報の時――日本人と外国人、両方が前に出る。それだけです」
優希は、リーを見た。
「リーさん、どう思いますか?」
リーは、少し考えてから答えた。
「......私は、構いません」
「でも――」
「佐藤先生」リーは、微笑んだ。「私たちは、認められることが目的じゃない。生き残ることが目的です」
「......」
「だから、戦略的に動くことも必要です。早川さんの提案は、合理的だと思います」
優希は、深呼吸をした。
「......わかりました。次の作戦では、バランスを考えます」
「ありがとうございます」美咲は、安堵した表情を見せた。
「では、三日後に向けて準備を始めましょう」
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**同日、午後八時。首相官邸・屋上。**
優希は、一人で夜景を見ていた。
疲れていた。
体も、心も。
「よう」
声がした。
振り返ると、健吾が立っていた。
「健吾さん......」
「また一人で悩んでるのか?」
健吾は、隣に座った。
「......バレバレですね」
「当たり前だろ。何年の付き合いだと思ってんだ」
健吾は、ビール缶を差し出した。
「飲めよ」
「......ありがとうございます」
二人は、しばらく黙ってビールを飲んでいた。
「なあ、優希」
「はい?」
「お前、頑張りすぎだ」
「......そうですか?」
「ああ」健吾は頷いた。「お前、全部を背負い込もうとしてる」
「でも、僕が総責任者だから――」
「だからって、一人で抱え込むな」
健吾は、優希の肩を叩いた。
「俺がいる。美咲さんもいる。リーさんも、パクさんも、みんないる」
「......」
「お前は、方向を示せばいい。実行は、俺たちがやる」
健吾は、笑った。
「それが、チームってもんだろ?」
優希は、健吾を見た。
そして――笑った。
「......そうですね。ありがとうございます」
「おう」
二人は、ビール缶を掲げた。
「乾杯」
「乾杯」
カチン。
缶が触れ合う音。
そして――
「なあ、優希」
「はい?」
「お前の目指す世界、俺は好きだぜ」
健吾は、夜景を見た。
「日本人も外国人も、みんなで協力する。それって、すげえカッコいいじゃん」
「......ありがとうございます」
「だから」健吾は、優希を見た。「諦めんなよ。桜井みたいな奴に、負けんな」
優希は、拳を握った。
「......はい。諦めません」
優希は、夜景を見た。
東京の光。
そして、その向こうに広がる世界。
「僕は、作ります。みんなが幸せになれる世界を」
「おう!」
健吾は、笑った。
「じゃあ、もう一杯いくか!」
「はい!」
二人は、夜空の下で笑い合った。
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だが。
その笑顔の裏で――
新たな危機が、静かに近づいていた。