第7章3
一月二十九日、午前十時。首相官邸・藤堂総理執務室。
藤堂総理は、一人で窓の外を見ていた。
デスクには、最新の世論調査。
**桜井支持:56%**
**優希支持:38%**
**未定:6%**
まだ、桜井有利。
「......佐藤君」
藤堂総理は、呟いた。
「お前は、負けるのか」
ノックの音。
「入れ」
石橋副長官が入ってきた。
「総理、お時間よろしいでしょうか」
「ああ」
「これを」
石橋は、資料を差し出した。
「何だ?」
「桜井大臣の選挙活動についての報告です」
藤堂総理は、資料を読んだ。
そして――眉をひそめた。
「これは......」
「ええ」
石橋は、暗い表情をしていた。
「桜井大臣は、メディアを使って世論操作をしています」
資料には、詳細が書かれていた。
- 特定のテレビ局への圧力
- SNSでのボット活用
- 在日外国人による犯罪の過剰報道
「これは......ルール違反だ」
「ギリギリのラインです」
石橋は、資料を指した。
「違法ではありません。でも、倫理的には問題があります」
藤堂総理は、資料を机に置いた。
「......桜井は、勝つためなら何でもするのか」
「そのようです」
「佐藤君に、伝えるか?」
「......」
石橋は、迷った。
「どうする?」
「伝えるべきだと思います」
石橋は、藤堂総理を見た。
「でも、佐藤先生がこれを知ったら――」
「同じ手段を使うかもしれない、と?」
「いえ」
石橋は首を振った。
「逆です。絶望するかもしれません」
「......」
「佐藤先生は、誠実な人です。だから、こういう汚い手段を見ると――」
「心が折れる、か」
「ええ」
藤堂総理は、しばらく考えた。
そして――
「伝えない」
「総理......」
「佐藤君は、自分の信じる道を進めばいい」
藤堂総理は、窓の外を見た。
「桜井の汚い手段なんて、知らない方がいい」
「......わかりました」
石橋は、資料を片付けた。
---
**同日、午後三時。在日外国人コミュニティセンター。**
緊急会議が開かれていた。
集まったのは、各国のコミュニティ代表。
リー、パク、アフマド、ワン、グエン、カルロス、そしてチャン。
「皆さん」
リーが、口を開いた。
「投票まで、残り三日です」
リーは、世論調査を見せた。
「佐藤先生は、まだ負けています」
「......」
全員が、暗い表情。
「このままでは、桜井の法案が通ります」
「そして――」
リーは、拳を握った。
「私たちは、管理される存在になります」
「どうする?」
チャン・ウェイが、尋ねた。
「最後の手段を使うか?」
「最後の手段......」
「ああ」
チャンは、資料を取り出した。
「大規模デモだ」
資料には、デモの計画が書かれていた。
- 参加者:在日外国人約十万人
- 場所:東京・永田町(国会議事堂前)
- 日時:一月三十一日(投票前日)
「十万人......」
リーは、驚いた。
「そんなに集められるのか?」
「集める」
チャンは、自信を持って言った。
「SNSで呼びかければ、集まる」
「でも――」
パク・ジョンスが、口を開いた。
「それは、逆効果ではないですか?」
「逆効果?」
「ええ」
パクは、資料を見た。
「大規模デモをすれば、『在日外国人は危険だ』というイメージを与えます」
「そして――」
パクは、全員を見回した。
「桜井に利用されます」
沈黙。
「......確かに」
ワン・シュウも、頷いた。
「桜井は、それを待っているかもしれません」
「では、何もしないのか?」
チャンが、苛立った声で言った。
「このまま、負けを受け入れるのか?」
「いいえ」
リーが、立ち上がった。
「デモはしません。でも――」
リーは、別の案を取り出した。
「個別訪問をします」
「個別訪問?」
「ええ」
リーは、計画を説明した。
「在日外国人が、日本人の家を一軒一軒訪問する」
「そして、対話する。顔を見て、言葉を交わして、理解し合う」
リーは、全員を見回した。
「これなら、逆効果にはなりません」
「......」
「時間がないぞ」
チャンが、指摘した。
「残り三日で、何軒回れる?」
「わかりません」
リーは、正直に答えた。
「でも、やるしかありません」
リーは、拳を握った。
「一軒でも多く、一人でも多く――対話します」
パクが、立ち上がった。
「私も、やります」
アフマドも、立ち上がった。
「私も」
次々と、全員が立ち上がった。
ワン、グエン、カルロス――
そして、チャンも。
「......わかった」
チャンは、苦笑した。
「地味だが、やってみるか」
「ありがとうございます」
リーは、笑った。
「では、作戦開始です」
---
**一月三十日、午前八時。東京・住宅街。**
リー・ジュンホは、一軒の家の前に立っていた。
深呼吸。
そして――
ピンポーン
チャイムを押す。
ドアが開いた。
五十代の日本人女性が、顔を出した。
「はい?」
「こんにちは」
リーは、丁寧に頭を下げた。
「私、リー・ジュンホと申します」
「......何の用ですか?」
女性は、警戒している。
「少し、お話を聞いていただけませんか?」
「話?」
「はい。国民投票について」
「......在日外国人の方ですか?」
「はい」
リーは、正直に答えた。
女性は、しばらく考えた。
そして――
「......少しだけなら」
「ありがとうございます」
リーは、玄関に招き入れられた。
リビングで、お茶を出される。
「それで、何の話ですか?」
女性は、まだ警戒している。
「新世界秩序法案について、です」
リーは、資料を取り出した。
「この法案が通ると、私たち在日外国人は――」
「管理されるんですよね」
女性が、遮った。
「知ってます。テレビで見ました」
「......では」
リーは、女性を見た。
「どう思われますか?」
女性は、しばらく黙っていた。
そして――
「正直、どちらがいいのかわかりません」
女性は、窓の外を見た。
「秩序も必要だと思います。でも、管理されるのは可哀想だとも思います」
「......」
「だから、迷っているんです」
女性は、リーを見た。
「あなたは、どう思いますか?」
「私は――」
リーは、言葉を選んだ。
「自由が欲しいです」
「自由......」
「ええ」
リーは、拳を握った。
「私は、韓国から来ました。韓国語で育ち、韓国の文化を愛してきました」
「それを、捨てたくないんです」
リーの目から、涙が溢れた。
「でも、桜井の法案が通れば――」
「私は、『日本国民』になります」
「韓国人としてのアイデンティティを、失います」
女性は、リーを見ていた。
「......辛いでしょうね」
「はい」
リーは、涙を拭った。
「とても、辛いです」
女性は、しばらく考えた。
そして――
「わかりました」
女性は、リーを見た。
「私、佐藤先生に投票します」
「本当ですか!?」
「ええ」
女性は、笑った。
「あなたの涙を見て、決めました」
「あなたも、人間です。管理される存在じゃない」
女性は、リーの手を握った。
「一緒に、自由な世界を作りましょう」
リーは、女性の手を握り返した。
「ありがとうございます......」
---
**同日、午後三時。大阪・住宅街。**
パク・ジョンスも、一軒一軒訪問していた。
十軒目。
疲れている。
でも、諦めない。
ピンポーン
ドアが開いた。
七十代の日本人男性。
「はい?」
「こんにちは。私、パク・ジョンスと申します」
「......何だ、外国人か」
男性の顔が、険しくなった。
「帰ってくれ」
「待ってください!」
パクは、必死に言った。
「少しだけ、お話を――」
「いらん」
男性は、ドアを閉めようとした。
「お願いします!」
パクは、ドアに手を挟んだ。
「痛っ......」
「何してる!?」
男性が、驚いた。
「お願いです......」
パクの目から、涙が溢れた。
「私の話を、聞いてください......」
男性は、パクを見た。
涙を流す老人。
「......わかった。少しだけだ」
男性は、ドアを開けた。
リビングで、向かい合う。
「それで、何の話だ」
「国民投票について、です」
パクは、資料を取り出した。
「新世界秩序法案。これが通ると――」
「管理されるんだろ? 知ってる」
男性は、腕を組んだ。
「で、それが嫌だから反対しろ、と?」
「......はい」
「ふん」
男性は、鼻で笑った。
「勝手だな」
「......」
「お前ら外国人は、日本に住んでるんだろ?」
男性の声が、厳しくなった。
「なら、日本のルールに従え」
「でも――」
「でも、じゃない」
男性は、パクを睨んだ。
「俺の息子は、消失で死んだ」
「......」
「アメリカ出張中だった。優秀な奴だったんだ」
男性の声が、震えた。
「それなのに、お前ら外国人は生きてる」
「......申し訳ありません」
パクは、深く頭を下げた。
「でも、それは――」
「わかってる」
男性は、顔を背けた。
「お前らのせいじゃない。わかってるんだ」
「でも――」
男性の目から、涙が溢れた。
「感情が、追いつかないんだよ......」
パクは、男性を見た。
そして――立ち上がった。
「すみません。お邪魔しました」
パクは、頭を下げた。
「無理を言って、申し訳ありませんでした」
パクは、玄関へ向かった。
「待て」
男性が、呼び止めた。
「......はい」
「お前......韓国人か?」
「はい」
「家族は?」
「......消失で、失いました」
パクの声が、震えた。
「息子、娘、孫......全員、韓国にいました」
「......そうか」
男性は、しばらく黙っていた。
そして――
「わかった」
男性は、パクを見た。
「俺、佐藤に投票する」
「え......」
「お前も、俺と同じだ」
男性は、涙を拭った。
「家族を失った。悲しんでる」
「それなのに、管理されるなんて――」
男性は、拳を握った。
「あんまりだ」
パクは、男性の手を握った。
「ありがとうございます......」
二人は、涙を流しながら――
握手をした。
---
**一月三十一日、午後十時。優希のマンション。**
優希は、テレビを見ていた。
ニュース番組。
『明日、歴史的な国民投票が行われます』
『最新の世論調査では――』
**桜井支持:52%**
**優希支持:45%**
**未定:3%**
「差が......縮まってる......」
優希は、驚いた。
昨日まで、十八ポイント差だった。
それが、七ポイント差に。
「何が......起きたんだ......」
スマートフォンが鳴った。
リーからだ。
「もしもし」
『佐藤先生、見ましたか?』
「はい。世論調査......」
『私たちです』
「え?」
『私たち在日外国人が、一軒一軒訪問したんです』
リーの声には、疲労と興奮が混ざっていた。
『三日間で、約五万軒回りました』
「五万軒......」
『みんな、必死でした』
リーの声が、震えた。
『パクさんも、アフマドさんも、ワンさんも、チャンさんも――』
『みんな、泣きながら訴えました』
「......」
『その結果が、これです』
リーは、笑った。
『まだ、負けてますけどね』
「リーさん......」
『でも、諦めません』
リーの声が、力強くなった。
『明日、必ず勝ちましょう』
「......はい」
優希は、拳を握った。
「必ず、勝ちます」
電話が切れた。
優希は、窓の外を見た。
東京の夜景。
「明日......」
優希は、呟いた。
「全てが、決まる」
---
**同時刻。桜井の執務室。**
桜井晋三は、世論調査の結果を見ていた。
「七ポイント差......」
桜井は、拳を握った。
「在日外国人......やりおったな」
桜井は、立ち上がった。
「だが――」
桜井は、不敵に笑った。
「まだ、俺が有利だ」
桜井は、窓の外を見た。
「明日、勝つのは――俺だ」




