第5章2
十一月三十日、午前三時。東京湾・浮遊プラットフォーム。
田村健太は、ほとんど眠っていなかった。
目の下には、濃いクマ。
だが、作業は止められない。
「第四セクション、完成しました!」
技術者の一人が、報告した。
「よし」
田村は、頷いた。
「次は、第五セクション。代替部品は?」
「完成しました!」
中国人技術者が、部品を持ってきた。
「検査済みです。問題ありません」
「ありがとう」
田村は、部品を受け取った。
「よし、取り付けを――」
その時。
ゴゴゴゴゴ......
海が、激しく揺れた。
「また!?」
「特異点のエネルギー、急上昇しています!」
計測器を見ていた技術者が、叫んだ。
「このままでは――」
ドガァァァン!
巨大な波が、プラットフォームを襲った。
「うわああ!」
技術者たちが、吹き飛ばされる。
田村は、手すりに掴まった。
「みんな、掴まれ!」
波が引く。
田村は、周りを見回した。
「怪我人は!?」
「三名、軽傷です!」
「装置は!?」
リーが、装置を確認していた。
「......無事です。でも」
リーの顔が、青ざめた。
「プラットフォームの一部が、破損しています」
「まずい......」
田村は、破損箇所を見た。
プラットフォームの端が、崩れている。
「このままでは、装置を支えきれない......」
「補強しましょう」
在日外国人技術者の一人が、前に出た。
「私たち、溶接チームで何とかします」
「でも、時間が――」
「やるしかありません」
技術者は、決意の目をしていた。
「田村リーダー、信じてください」
田村は、その目を見た。
そして――頷いた。
「......頼む」
---
**同時刻。ロシア・シベリア地方。**
パク・ジョンスは、テントの中で暖を取っていた。
外は、吹雪。
気温は、マイナス三十度を下回っている。
「パクさん」
日本人技術者が、入ってきた。
「作業、中断しています。この吹雪では、危険すぎます」
「......わかっている」
パクは、窓の外を見た。
白い世界。何も見えない。
「でも、時間がない」
パクは、腕時計を見た。
「残り時間、三十三時間。作業残り時間、十五時間」
「つまり――」
パクは、立ち上がった。
「吹雪が十八時間以内に止まらなければ、間に合わない」
「......」
「天気予報は?」
「最悪です」
技術者は、タブレットを見せた。
「この吹雪、少なくとも二十四時間は続く予報です」
「二十四時間......」
パクは、拳を握った。
「それでは、完全に間に合わない」
沈黙。
「パクさん」
別の技術者が、口を開いた。
「もし......もし、間に合わなかったら?」
「......わからない」
パクは、正直に答えた。
「三つの装置が同時に起動しなければ、作戦は失敗する。そして――」
パクは、全員を見回した。
「地球が、消える」
重い沈黙。
「でも」
パクは、拳を握った。
「諦めるわけにはいかない」
パクは、外を見た。
「吹雪の中でも、できることがある」
「何ですか?」
「装置の最終チェックだ」
パクは、立ち上がった。
「吹雪が止んだ瞬間、すぐに作業を再開できるよう準備する」
「了解です!」
---
**同時刻。太平洋・特異点中心部。**
優希たちの球体は、中心部で浮遊していた。
装置の設置は完了したが、起動時刻まではここで待機しなければならない。
「暇だな......」
健吾が、呟いた。
「こんな時に何だけど、マジで暇だ」
「ええ」
優希も、苦笑した。
「でも、動けません。ここを離れたら、装置との同期が切れます」
「じゃあ、ずっとここにいるのか」
「はい。あと三十三時間」
「三十三時間......」
健吾は、天井を見上げた。
「なあ、優希」
「はい?」
「もし、この作戦が成功したら――お前、どうするんだ?」
「どう、とは?」
「総責任者、辞めるんだろ? 桜井との約束で」
「......ああ」
優希は、頷いた。
「はい。辞めます」
「で、その後は?」
「わかりません」
優希は、笑った。
「また、研究者に戻るんじゃないですか」
「そっか」
健吾は、優希を見た。
「寂しくなるな」
「健吾さん......」
「だって、お前と一緒に世界中飛び回るの、楽しかったぜ」
健吾は、笑った。
「原発止めたり、油田消火したり、特異点に突っ込んだり。まるで、冒険みたいだった」
「冒険......」
優希も、笑った。
「確かに、冒険でしたね」
「ああ」
二人は、しばらく黙っていた。
そして――
「なあ、優希」
「はい」
「お前、後悔してないか?」
健吾の声が、真剣になった。
「総責任者になったこと。在日外国人と協力したこと。桜井と戦ったこと」
「......」
「色々、辛かっただろ。叩かれて、孤立して、追い詰められて」
健吾は、優希を見た。
「それでも、後悔してないか?」
優希は、考えた。
後悔......
確かに、辛かった。
世論に叩かれ、仲間に疑われ、孤立した。
でも――
「後悔してません」
優希は、笑った。
「むしろ、誇りに思っています」
「誇り......」
「はい」
優希は、窓の外を見た。
光の中心。
「僕は、正しいと思うことをやりました。在日外国人と協力し、差別と戦い、理想を追い求めた」
「結果的に、色々な問題も起きました。でも――」
優希は、拳を握った。
「それでも、僕は間違っていなかったと思います」
健吾は、優希を見ていた。
そして――笑った。
「そっか。なら、いいや」
「健吾さん......」
「お前がそう言うなら、俺も安心だ」
健吾は、優希の肩を叩いた。
「お前は、最高のリーダーだったよ」
「ありがとうございます」
その時――
ピピピピ
警告音が鳴った。
「どうした!?」
「シールドのエネルギーが、急速に低下しています!」
アフマドが、制御パネルを見ていた。
「特異点のエネルギーが強くなっている。予想より早く、消耗しています」
「どのくらい持つ!?」
「......このペースなら、二十四時間です」
「二十四時間......」
優希は、計算した。
「起動時刻まで、三十三時間。九時間、足りない」
「まずいぞ......」
健吾が、呟いた。
「どうする、優希?」
優希は、考えた。
選択肢は、二つ。
一つ。ここを離れて、安全な場所で待機する。だが、装置との同期が切れる。
二つ。ここに留まり、シールドのエネルギーを節約する。だが、九時間足りない。
「......」
優希は、決断した。
「ここに留まります」
「でも、エネルギーが――」
「節約します」
優希は、制御パネルを操作した。
「不要な機能を全て停止。照明、空調、通信機器――全部、最低限に」
「でも、それでも九時間は――」
「足りないことはわかっています」
優希は、全員を見た。
「でも、やるしかありません。もし、ここを離れたら、作戦そのものが失敗します」
「......わかった」
健吾は、頷いた。
「じゃあ、やろうぜ」
照明が落ちた。
球体の中が、薄暗くなる。
気温も、下がり始めた。
「寒くなるぞ......」
健吾が、呟いた。
「耐えましょう」
優希は、防寒着を着込んだ。
「あと三十三時間。耐え抜きましょう」
---
**午前十時。首相官邸・作戦指揮室。**
藤堂総理、桜井、石橋副長官が、大型モニターを見つめていた。
画面には、三つのチームの状況が表示されている。
**東京湾チーム:進捗75%、問題発生(プラットフォーム破損)**
**ロシアチーム:進捗60%、問題発生(吹雪により作業中断)**
**太平洋チーム:待機中、問題発生(エネルギー不足)**
「......全て、問題が起きているのか」
藤堂総理が、呟いた。
「ええ」
石橋副長官が、答えた。
「特に深刻なのは、ロシアチームです。吹雪が止まなければ、間に合いません」
「天候は、コントロールできないからな......」
藤堂総理は、ため息をついた。
「太平洋チームは?」
「エネルギー不足です。シールドが、予想より早く消耗しています」
「どうなる?」
「......起動時刻の九時間前に、エネルギーが尽きます」
「九時間......」
藤堂総理は、顔を覆った。
「つまり、作戦失敗か......」
「まだ、わかりません」
石橋は、モニターを見た。
「佐藤先生たちは、エネルギーを節約して耐えています。もしかしたら――」
「もしかしたら、では困る」
桜井が、口を挟んだ。
「総理。緊急避難の準備をすべきです」
「緊急避難......」
「ええ」
桜井は、資料を取り出した。
「もし作戦が失敗したら、特異点は日本を飲み込みます。その前に、国民を――」
「どこへ避難させるんだ?」
藤堂総理が、桜井を見た。
「地球上のどこへ行っても、同じだ」
「......」
「それに」
藤堂総理は、モニターを見た。
「私は、佐藤君を信じている」
「総理......」
「彼なら、何とかする。必ず、成功させる」
藤堂総理の目には、決意があった。
「だから、私たちは彼を信じて待つ」
桜井は、何も言わなかった。
---
**午後三時。東京湾・浮遊プラットフォーム。**
溶接チームは、八時間かけてプラットフォームの補強を完了した。
「できました!」
技術者が、報告した。
「確認します」
田村は、補強箇所をチェックした。
「......完璧だ」
田村は、技術者たちを見た。
「よくやった。みんな、ありがとう」
「いえ」
技術者は、笑った。
「これで、装置を完成させられます」
「ああ」
田村は、全員を見回した。
「では、最後の作業だ! 第五セクション、取り付けを開始する!」
「おう!」
技術者たちが、動き出した。
代替部品を持ち上げ、装置に取り付ける。
「慎重に......慎重に......」
部品が、カチッとはまった。
「固定!」
ボルトを締める。
「配線、接続!」
「電源、投入!」
ウィーン......
装置が、動き始めた。
緑のランプが、次々と点灯する。
「成功だ!」
田村が、叫んだ。
「装置、完成!」
「やった!」
「おおおお!」
歓声が上がった。
田村は、通信機を取った。
「こちら東京湾チーム。装置完成、起動準備完了」
『こちら官邸。受信しました。お疲れ様です』
石橋副長官の声。
田村は、笑った。
「あとは、ロシアチームと太平洋チームだけだ」
---
**午後六時。ロシア・シベリア地方。**
吹雪は、まだ止んでいなかった。
パクは、テントの中で祈っていた。
「神様......お願いします......」
パクは、敬虔なクリスチャンだった。
「吹雪を、止めてください......」
その時――
「パクさん!」
技術者が、テントに飛び込んできた。
「吹雪が、弱くなっています!」
「本当か!?」
パクは、外を見た。
確かに、視界が少し良くなっている。
「これなら、作業できるかもしれません!」
「よし」
パクは、立ち上がった。
「全員、集合! 作業を再開する!」
技術者たちが、集まった。
「残り時間、十八時間。作業時間、十五時間」
パクは、全員を見回した。
「ギリギリだ。でも、やれる」
「我々なら、できる!」
パクは、拳を握った。
「行くぞ!」
「おう!」
技術者たちが、吹雪の中へ飛び出した。
作業が、再開される。
---
**午後十一時。太平洋・特異点中心部。**
球体の中は、凍えるように寒かった。
照明は最低限。
暖房も止めている。
優希たちは、防寒着を着込んで、じっと耐えていた。
「さ、寒い......」
健吾が、震えていた。
「あと......あと、どのくらいだ......」
「残り時間......十三時間」
優希も、震えながら答えた。
「シールドのエネルギー......残り二十二時間分」
「じゃあ......何とか......間に合うか......」
「わかり......ません......」
優希は、計測器を見た。
エネルギーの減少ペースが、まだ速い。
「このペース......だと......八時間......足り......ない......」
「くそっ......」
健吾は、歯を食いしばった。
その時――
アフマドが、何かを思いついた。
「佐藤先生」
「何......ですか......」
「推進装置を、停止しましょう」
「推進装置......?」
「ええ」
アフマドは、制御パネルを見た。
「今、推進装置は位置維持のために稼働しています。でも、ここは特異点の中心。重力も何もない」
「つまり......」
「推進装置を止めても、位置は変わりません。そして、エネルギーを節約できます」
優希の目が、輝いた。
「その......手が......あった......」
「やってみますか?」
「はい......お願い......します......」
アフマドは、推進装置を停止した。
瞬間――
球体が、わずかに動いた。
だが、すぐに安定した。
「成功......です......」
アフマドは、計測器を見た。
「エネルギー消費......半分に......なりました......」
「やった......」
優希は、計算した。
「これなら......間に合う......」
優希は、笑った。
「やった......やったぞ......」
健吾も、笑った。
「お前ら......天才か......」
三人は、抱き合った。
寒い。
暗い。
でも――
希望が、見えた。