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プロローグ:静寂の朝

二〇二五年十月十八日、午前六時三十分。

佐藤優希は、いつものようにスマートフォンのアラームで目を覚ました。

東京・目黒の1LDKマンション。独身研究者らしい、機能的だが殺風景な部屋。デスクには論文の束と、半分書きかけの研究ノート。壁には「次世代小型核融合炉」の設計図が貼られている。

三十六歳。国立エネルギー研究所の主任研究員。次世代エネルギーシステムの第一人者として、昨年ノーベル物理学賞の候補にも名前が挙がった。

いつもの朝だった。

いや、いつもの朝の「はず」だった。

優希はベッドから起き上がり、習慣的にスマートフォンを手に取った。SNSをチェックする。Twitter、Instagram、Facebook。

「......ん?」

海外からの投稿が、ない。

アメリカの研究仲間の朝のツイートも、ヨーロッパの学会速報も、いつも賑やかな韓国や中国のトレンドも。

何もない。

「サーバー障害か?」

優希は首を傾げながらキッチンへ向かい、コーヒーメーカーのスイッチを入れた。テレビをつける。

NHKのニュース番組が流れていたが、どこか様子がおかしい。アナウンサーの表情が強張っている。

『繰り返します。現在、日本国外からの通信が全て途絶しております。政府は状況の確認を急いでおりますが......』

「全て?」

優希はコーヒーカップを持つ手を止めた。

『在外公館との連絡も取れない状況です。外務省は、海外在住の邦人約百三十五万人の安否確認を......』

スマートフォンが震えた。着信だ。

「田中」

画面に表示された名前を見て、優希は即座に応答した。

「健吾、お前も見てるか?」

『見てる見てる!つーか、マジでヤバいぞこれ!俺、さっきから海外のサーバーに全くアクセスできねえ!』

田中健吾。大学時代からの親友で、AI・通信工学の専門家。いつもは軽口を叩く陽気な男だが、今は声が上ずっている。

「落ち着け。順番に確認しよう。海底ケーブルは?」

『物理的には切れてない。でも、向こう側からの応答がゼロ。まるで......まるで誰もいないみたいなんだ』

「誰も、いない?」

その時、テレビの画面が切り替わった。

緊急特番のテロップ。

『緊急速報:世界規模の通信途絶について』

『午前七時現在、日本政府は以下の事実を確認しました』

画面に箇条書きが表示される。

・日本国外からの通信が完全に途絶

・海外の衛星からの信号も受信不能

・航空機、船舶からの交信も途絶

・在外公館(大使館・領事館)との連絡不通

『現在、自衛隊機を緊急発進させ、状況確認中です』

優希の背筋に、冷たいものが走った。

これは、単なる通信障害ではない。

「健吾、俺......行ってくる」

『どこに?』

「研究所だ。絶対に召集がかかる」

電話を切ろうとした瞬間、再び着信。

今度は見知らぬ番号だった。

「はい、佐藤です」

『内閣官房です。佐藤優希さんですね。これより緊急召集をかけます。午前十時までに首相官邸へ出頭してください』

「......了解しました」

優希はコーヒーカップを流しに置き、シャワーも浴びずにスーツを羽織った。

テレビでは、次々と情報が更新されている。

『速報:自衛隊機がハワイ上空に到達。しかし......しかし、地上からの応答がありません』

『空港、都市部、すべてが......静まり返っていると報告が』

『繰り返します。地上に、人影が見えないとのことです』

優希の手が、震えた。

「まさか......」

まさか、そんなことが。

スマートフォンを握りしめ、優希はマンションを飛び出した。

外の景色は、いつもと変わらない。

東京の朝。通勤する人々、コンビニで朝食を買うサラリーマン、犬の散歩をする老人。

でも、何かが決定的に違う。

空気が、重い。

皆、スマートフォンを見つめ、呆然としている。

そして――優希はふと気づいた。

街を歩く人々の中に、いつもより外国人の姿が多い。

コンビニの店員も、駅の清掃員も、工事現場の作業員も。

「もしかして......」

優希は走り出した。

首相官邸へ。

そして、世界の真実を知るために。

午前十時。首相官邸・危機管理センター。

優希が到着した時、既に数十人の科学者、官僚、自衛隊幹部が集まっていた。

全員が、同じ表情をしている。

信じられない、という顔。

「佐藤先生」

声をかけてきたのは、五十代の女性だった。内閣官房副長官・石橋恵子。優希も何度か会議で顔を合わせたことがある。

「石橋副長官......これは、一体」

「まだ確定情報ではありませんが」石橋は小声で言った。「最悪の事態を想定してください」

「最悪、とは」

石橋は、優希の目を真っ直ぐ見つめた。

「日本以外から、人類が消失した可能性があります」

優希の思考が、一瞬停止した。

「......消失?」

「ええ。正確には、日本の領土・領海内にいた人間だけが残り、それ以外の全人類が......忽然と姿を消したと」

「そんな......そんなバカな......」

その時、室内に重々しい足音が響いた。

内閣総理大臣が入室する。

そして、その後ろには――優希も知っている顔があった。

桜井晋三。元・経済産業大臣。

強硬な保守派として知られ、「日本第一主義」を掲げる政治家だ。

「諸君」

総理大臣が口を開いた。

「午前九時三十分、政府は確認した。地球上で生存が確認できるのは――」

総理は、一度言葉を切った。

「日本国内にいた人々のみである」

会議室が、静まり返った。

「日本人、約一億二千万人。在日外国人、約三百四十万人。合計、一億二千三百四十万人」

総理の声が、震えた。

「これが、新しい『全人類』だ」

優希は、膝が崩れそうになるのを必死でこらえた。

そして、桜井晋三がゆっくりと前に進み出た。

「総理」桜井は、妙に落ち着いた声で言った。「これは、神が日本を選んだということです」

「桜井大臣......」

「我々には、この新しい世界を統治する責任がある。そして――」

桜井は、会議室を見回した。

「日本人が、この地球の支配者となったのです」

優希は、拳を握りしめた。

違う。

これは、選ばれたんじゃない。

何か、途方もない異常事態が起きたんだ。

そして――

「待ってください」優希は、思わず声を上げた。「今、最優先すべきは支配ではなく、生存です」

桜井が、優希を見た。

「佐藤優希君か。君の研究は知っている」

「ありがとうございます。ですが、聞いてください。日本のエネルギー自給率は約十二パーセント。食料自給率は三十八パーセント。このままでは、三ヶ月以内に文明が崩壊します」

会議室がざわめいた。

「我々は今、全人類です」優希は続けた。「日本人も、在日外国人も、全員で協力しなければ生き残れない。そして――」

優希は、桜井を真っ直ぐ見つめた。

「海外の資源を、計画的に確保しなければなりません。今すぐに」

桜井の目が、細められた。

「面白い。では、君に任せよう」

「え?」

「君が、この『J-リセット』の総責任者だ」

桜井は、不敵に笑った。

「日本人だけの地球、再設計してみせたまえ。佐藤優希君」

優希は、その時初めて理解した。

これは、戦いの始まりだと。

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