第5章1
十一月二十九日、午前十時。日本・東京湾上空。
田村健太は、ヘリコプターの窓から東京湾を見下ろしていた。
海上には、巨大な浮遊プラットフォームが設置されている。
日本チームの同期装置設置場所だ。
「田村リーダー、間もなく到着します」
パイロットの声。
「了解」
田村は、後ろを振り返った。
日本人技術者50名、在日外国人技術者20名。
みんな、緊張した面持ちだ。
「みんな、聞いてくれ」
田村が、マイクを握った。
「これから、同期装置を設置する。作業時間は、三十六時間」
「装置は巨大で、精密だ。一つのミスも許されない」
田村は、全員を見回した。
「でも、俺たちならできる。なぜなら――」
田村は、笑った。
「俺たちは、日本チームだ。日本人も外国人も関係ない。俺たちは、仲間だ」
「おう!」
「やりましょう!」
声が上がった。
ヘリコプターが、着陸する。
---
**同時刻。ロシア・シベリア地方上空。**
パク・ジョンスは、輸送機の中で目を閉じていた。
祈るように。
「パクさん、大丈夫ですか?」
隣に座る日本人技術者が、声をかけた。
「......ええ」
パクは、目を開けた。
「少し、緊張しているだけです」
「無理もありません。ここは、以前の特異点があった場所ですから」
「ええ」
パクは、窓の外を見た。
雪に覆われた大地。
「前回、私たちはここで奇跡を起こしました」
パクは、拳を握った。
「今回も、必ずやり遂げます」
『間もなく着陸します』
パイロットの声。
パクは、立ち上がった。
「みんな、準備を」
---
**同時刻。太平洋上空。**
優希は、特殊輸送機の中で防護シールドの最終チェックをしていた。
巨大な球体。直径約十メートル。
内部には、操縦席と観測機器、そして――同期装置の核となる部品。
「佐藤先生」
健吾が、近づいてきた。
「本当に、これで大丈夫なのか?」
「......わかりません」
優希は、正直に答えた。
「でも、これしか方法がありません」
「そっか」
健吾は、球体を見上げた。
「なんか、SF映画みたいだな」
「ええ」
優希は、苦笑した。
「僕たち、映画の主人公みたいですね」
「主人公か......」
健吾は、笑った。
「じゃあ、ハッピーエンドで終わらないとな」
「......はい」
その時、美咲が現れた。
「佐藤先生、健吾さん」
「早川さん」
「準備、できましたか?」
「ええ」
優希は、球体を見た。
「あとは、出発するだけです」
「そうですか」
美咲は、優希の前に立った。
「佐藤先生」
「はい」
「一つ、お願いがあります」
「何でしょう?」
美咲は、優希の目を見た。
「必ず、生きて帰ってきてください」
「......」
「あなたが死んだら――」
美咲の声が、震えた。
「私、許しませんから」
優希は、美咲を見た。
そして――微笑んだ。
「約束します」
優希は、美咲の手を握った。
「必ず、帰ってきます」
美咲の目から、涙が溢れた。
「......ずるいです」
「何がですか?」
「そんな顔で約束されたら――信じるしかないじゃないですか」
優希は、美咲を抱きしめた。
「ありがとう、早川さん」
「......」
二人は、しばらくそのままだった。
そして――
『佐藤先生、間もなく投下ポイントに到着します』
パイロットの声。
「わかりました」
優希は、美咲から離れた。
「では、行ってきます」
「はい」
美咲は、涙を拭った。
「武運を」
優希、健吾、アフマド、そして自衛隊員10名が、球体に乗り込んだ。
ハッチが閉まる。
『投下、開始します』
輸送機の床が開いた。
球体が、空中に放り出される。
落下。
だが、球体は空中で安定した。
内蔵されたジェット推進装置が作動し、特異点に向かって飛び始めた。
---
**午前十一時。東京湾・浮遊プラットフォーム。**
田村チームは、すでに作業を開始していた。
巨大なクレーンで、同期装置のパーツを吊り上げている。
「慎重に! 慎重に!」
田村が、指示を出している。
「もう少し左! そう、そこで止めて!」
装置のパーツが、ゆっくりと降ろされる。
「固定!」
技術者たちが、ボルトを締め始める。
「リーさん」
田村が、リー・ジュンホを呼んだ。
「はい」
「配線チームの進捗は?」
「順調です。あと三時間で、第一セクションが完了します」
「よし」
田村は、腕時計を見た。
「このペースなら、予定通り三十六時間で完成する」
その時――
ゴゴゴゴゴ......
海が、揺れた。
「地震!?」
「いえ、違います!」
技術者の一人が、計測器を見ていた。
「太平洋の特異点が、拡大しています!」
「なんだって!?」
田村は、計測器を見た。
確かに、エネルギーレベルが上昇している。
「予想より、早い......」
田村は、歯を食いしばった。
「全員、作業を急げ! 時間がない!」
---
**同時刻。ロシア・シベリア地方。**
パクチームは、雪の中で装置の設置作業をしていた。
「パクさん、温度が下がっています!」
「わかっている」
パクは、防寒着を着込みながら答えた。
「でも、作業を止めるわけにはいかない」
「しかし、このままでは凍傷の危険が――」
「交代制にする」
パクは、決断した。
「三十分ごとに、休憩を取る。体を温めてから、また作業に戻る」
「了解です」
技術者たちが、作業を続ける。
だが――
「パクさん!」
技術者の一人が、叫んだ。
「装置の一部が、凍結しています!」
「なんだと!?」
パクは、駆け寄った。
装置のパイプに、氷が張り付いている。
「これでは、エネルギーが流れない......」
「どうしますか?」
「......融かすしかない」
パクは、周りを見回した。
「火炎放射器を持ってこい!」
「でも、それは危険です! 装置が壊れるかもしれません!」
「やるしかない」
パクは、火炎放射器を受け取った。
「みんな、下がってくれ」
パクは、慎重に火炎放射器を氷に向けた。
炎が、氷を舐める。
ジュウウウウ......
氷が、溶け始めた。
「よし......」
だが――
バキッ
パイプが、ひび割れた。
「まずい!」
パクは、火炎放射器を止めた。
「温度差で、パイプが破損した......」
パクは、頭を抱えた。
「どうする......交換部品は......」
「パクさん」
日本人技術者の一人が、前に出た。
「私に、任せてください」
「君は......」
「溶接の専門家です。このひび、塞げます」
「でも、時間が――」
「三時間あれば、できます」
技術者は、自信を持って言った。
「信じてください」
パクは、その技術者を見た。
そして――頷いた。
「......頼む」
---
**午後一時。太平洋上空。**
優希たちを乗せた球体は、特異点に近づいていた。
窓の外には、巨大な光の渦。
空間そのものが歪んでいる。
「すごい......」
健吾が、呟いた。
「こんなもの、見たことない......」
「これが、破壊の特異点......」
優希は、計測器を見ていた。
「エネルギーレベル、予想の一・五倍......」
「大丈夫なのか?」
「わかりません」
優希は、正直に答えた。
「でも、行くしかありません」
球体が、光の渦に突入した。
瞬間――
ガガガガガガ!
激しい振動。
「うわっ!」
全員が、座席に掴まった。
「シールド、持ちこたえてます!」
アフマドが、制御パネルを見ている。
「でも、エネルギー消費が激しい!」
「どのくらい持つ!?」
「......このペースなら、三時間です」
「三時間......」
優希は、計算した。
「中心部まで、あと二時間。設置作業に一時間」
「ギリギリ、か」
健吾が、苦笑した。
「いつも、ギリギリだな、俺たち」
「ええ」
優希も、笑った。
「でも、それが僕たちのスタイルです」
球体は、光の渦の中を進んでいく。
周りの空間が、歪んでいる。
時間の感覚すら、おかしくなる。
「佐藤先生」
アフマドが、声をかけた。
「あれを、見てください」
優希は、窓の外を見た。
光の中に――何かが見えた。
「あれは......」
人影?
いや、違う。
それは――
「データ......」
優希は、息を呑んだ。
「数式が、浮いている......」
ロシアの特異点で見たのと同じ。
数式が、空間を漂っている。
「これは......特異点の情報......」
優希は、手を伸ばした。
だが、触れることはできない。
「もっと、中心に近づかないと......」
球体は、さらに深く進んでいく。
---
**午後三時。東京湾・浮遊プラットフォーム。**
田村チームは、順調に作業を進めていた。
「第三セクション、完成!」
「配線、接続完了!」
「電源、確保!」
次々と、報告が上がる。
田村は、全体図を見ていた。
「よし......あと、第四セクションと第五セクションだけだ」
「リーさん、進捗は?」
「第四セクション、六時間後に完成予定です」
「第五は?」
「......問題があります」
リーの表情が、曇った。
「部品が、一つ足りません」
「なんだって!?」
「輸送時のミスだと思われます」
「くそっ......」
田村は、頭を抱えた。
「代替品は?」
「ありません。特注品なので」
「じゃあ、どうする......」
その時、在日外国人技術者の一人が前に出た。
「田村リーダー」
「何だ?」
「私、この部品と似たものを作れます」
「本当か!?」
「ええ。昔、中国の工場で似たような部品を製造していました」
技術者は、設計図を見ていた。
「材料があれば、六時間で作れます」
「材料は......」
田村は、周りを見回した。
「プラットフォームの鉄骨、使えるか?」
「......使えます」
「よし」
田村は、決断した。
「プラットフォームの一部を解体する。材料を確保しろ!」
「了解!」
---
**午後五時。ロシア・シベリア地方。**
日本人技術者は、三時間かけてパイプの溶接を完了した。
「できました!」
技術者は、汗だくだった。
「確認します」
パクは、パイプをチェックした。
「......完璧だ」
パクは、技術者の肩を叩いた。
「ありがとう。君のおかげで、助かった」
「いえ」
技術者は、笑った。
「僕たち、チームですから」
パクは、その言葉に目頭が熱くなった。
「......そうだな。僕たちは、チームだ」
「では、作業を再開します!」
「おう!」
---
**午後七時。太平洋・特異点中心部。**
球体は、ついに特異点の中心部に到達した。
周りは、純粋な光。
空間も時間も、意味を失っている。
「着いた......」
優希は、呟いた。
「ここが、中心部......」
「すごい......」
健吾も、窓の外を見ていた。
「まるで、宇宙の中心みたいだ......」
「装置を、設置します」
優希は、制御パネルを操作した。
球体の底部が開き、同期装置が降ろされる。
装置は、空中で浮遊した。
そして――
光に包まれた。
「設置、完了!」
アフマドが、報告した。
「接続を確認!」
「よし」
優希は、深呼吸をした。
「これで、三つの装置が揃った」
優希は、通信機を取った。
「こちら太平洋チーム。装置設置完了」
『こちら東京湾チーム。受信しました』
田村の声。
『こちらロシアチーム。同じく受信』
パクの声。
『こちら官邸。全チーム、お疲れ様』
石橋副長官の声。
優希は、笑った。
「みんな、ありがとう」
『では、カウントダウンを開始します』
石橋の声が、続いた。
『起動時刻は、十二月一日、正午』
『現在時刻、十一月二十九日、午後七時』
『残り時間――四十一時間』
優希は、窓の外を見た。
光の中心。
「あと、四十一時間......」
優希は、拳を握った。
「必ず、成功させる」