第2章4
十一月五日。東京・首相官邸。
優希がアメリカから帰国して一週間。
食料確保作戦は成功し、日本への穀物輸送も順調に進んでいた。
「お疲れ様です、佐藤先生」
官邸のロビーで、石橋恵子副長官が優希を出迎えた。
「石橋副長官、お久しぶりです」
「ええ。アメリカでの作戦、見事でしたね」
「ありがとうございます。でも、まだまだ課題は山積みです」
「それについて、お話があります」
石橋は、周りを見回した。
「少し、歩きませんか?」
「......はい」
二人は、官邸の庭を歩いた。
秋の風が、心地よい。
「佐藤先生」
石橋が、口を開いた。
「桜井大臣が、動いています」
「......やはり」
「ええ。予想通り、というべきでしょうね」
石橋は、立ち止まった。
「明後日、臨時国会が召集されます」
「臨時国会?」
「ええ。そこで、桜井大臣がある法案を提出する予定です」
石橋は、資料を取り出した。
「『在日外国人管理法案』」
優希は、その資料を受け取った。
ページをめくる。
そして――目を見開いた。
「これは......」
**在日外国人管理法案(要約)**
第一条:在日外国人は、指定された居住区域内に居住しなければならない。
第二条:在日外国人の移動には、政府の許可を必要とする。
第三条:在日外国人の就業は、政府が指定する職種に限定される。
第四条:在日外国人は、政治活動を禁止される。
「......これは、差別法案じゃないですか!」
優希は、叫んだ。
「ええ」石橋は、暗い表情で頷いた。「事実上の、隔離政策です」
「なぜ、こんなものを......」
「表向きの理由は『秩序維持』です」
石橋は、別の資料を見せた。
「最近、各地で日本人と在日外国人の小競り合いが起きています」
資料には、事件のリストが並んでいる。
『新宿区:日本人グループと中国人グループの喧嘩、三名負傷』
『大阪市:韓国人商店への投石事件』
『名古屋市:ベトナム人労働者への暴行事件』
「こんなことが......」
「ええ。消失後、治安は悪化しています」
石橋は、ため息をついた。
「警察も人手不足で、十分に対応できていません」
「でも、それと隔離政策は別問題です!」
「わかっています」石橋は頷いた。「でも、桜井大臣は『秩序回復のために必要』と主張しています」
「そして――」
石橋は、優希を見た。
「国民の一部は、それを支持しています」
「......嘘でしょう」
「本当です」
石橋は、世論調査の結果を見せた。
『在日外国人管理法案について、どう思いますか?』
賛成:48%
反対:35%
わからない:17%
「賛成が......反対を上回ってる......」
優希は、愕然とした。
「なぜ......僕たちは、一緒に戦ってきたのに......」
「人間は、恐怖を感じると『敵』を作りたがります」
石橋は、静かに言った。
「今、人々は不安なんです。世界が変わり、未来が見えない。そんな時、『よそ者』を排除することで、安心感を得ようとする」
「でも、それは間違っています!」
「ええ、間違っています」
石橋は、優希の肩に手を置いた。
「だから、あなたが止めなければなりません」
「僕が......」
「ええ。明後日の国会で、あなたも意見を述べる機会があります」
石橋は、真剣な目で言った。
「そこで、この法案の問題点を指摘してください。そして、国民を説得してください」
優希は、拳を握った。
「......わかりました。やります」
「お願いします」
石橋は、去っていった。
優希は、一人残された。
資料を握りしめる。
「くそっ......」
---
**同日、午後六時。優希のマンション。**
優希は、ソファに座り込んでいた。
テーブルには、在日外国人管理法案の資料。
何度読んでも、怒りが込み上げる。
「こんなもの......認められるか......」
ドアチャイムが鳴った。
「はい」
ドアを開けると、健吾とリーが立っていた。
「よう、優希」
「健吾さん、リーさん......」
「聞いたぜ。桜井の法案」
健吾は、中に入ってきた。
「マジで最低だよな、あれ」
「佐藤先生」
リーも、中に入ってきた。
「私たち在日外国人コミュニティも、大騒ぎです」
「......そうですよね」
三人は、ソファに座った。
「リーさん、率直に聞きます」
優希は、リーを見た。
「あなたは、どう思いますか? この法案」
リーは、少し考えてから答えた。
「......正直、恐怖を感じます」
「恐怖......」
「ええ」リーは頷いた。「指定居住区域、移動制限、就業制限......これは、私たちを『二等市民』として扱うということです」
リーは、拳を握った。
「私たちも、一緒に戦ってきました。原発を止め、油田を確保し、食料を運んだ。それなのに――こんな扱いを受けるのか、と」
「......すみません」
「謝らないでください」リーは首を振った。「あなたのせいじゃない。桜井大臣と、彼を支持する人々のせいです」
「でも、僕が総責任者なのに......」
「だから」リーは、優希を見た。「あなたに、お願いがあります」
「何でしょう?」
「国会で、戦ってください」
リーの目は、真剣だった。
「私たちには、政治的発言権がありません。でも、あなたには影響力がある」
「......」
「だから、お願いします。私たちの声を、代弁してください」
優希は、リーの目を見た。
そこには――希望と、不安と、そして信頼があった。
「......わかりました」
優希は、立ち上がった。
「僕は、戦います。この法案を、絶対に阻止します」
「ありがとうございます」
リーは、深く頭を下げた。
「おう! その意気だ!」
健吾が、優希の肩を叩いた。
「俺も手伝うぜ。データ分析とか、プレゼン資料とか」
「ありがとうございます、健吾さん」
「当たり前だろ。友達じゃねえか」
健吾は、笑った。
三人は、夜遅くまで資料を作り続けた。
---
**十一月七日。国会議事堂。**
臨時国会が開かれた。
議場には、国会議員、政府関係者、そして――報道陣が詰めかけていた。
優希は、参考人席に座っていた。
隣には、石橋副長官。
そして、前方には――桜井晋三が座っていた。
「それでは」
議長が、口を開いた。
「在日外国人管理法案について、提案者の桜井晋三大臣より説明を求めます」
桜井が、立ち上がった。
「議長、並びに議員諸氏」
桜井の声は、堂々としていた。
「私は、在日外国人管理法案を提出いたします」
桜井は、資料を掲げた。
「この法案の目的は、秩序の回復です」
「消失後、我が国では治安が悪化しています。特に、日本人と在日外国人の間での衝突が増加している」
スクリーンに、事件のリストが表示される。
「これらの事件を防ぐため、在日外国人の居住区域を指定し、移動を管理する必要があります」
議場が、ざわめいた。
「これは、差別ではありません」
桜井は、強調した。
「これは、双方の安全を守るための、合理的な措置です」
「そして――」
桜井は、優希を見た。
「J-リセット計画の総責任者、佐藤優希氏も、この法案に理解を示しています」
「え!?」
優希は、立ち上がった。
「そんなこと、言ってません!」
「佐藤君」
桜井は、冷静に言った。
「君は以前、『バランスが必要』と言ったではないか」
「それは......」
「日本人と外国人のバランス。それを保つために、この法案が必要なのだ」
桜井は、議場を見回した。
「佐藤君の理想は美しい。しかし、現実は厳しい。我々は、現実に対処しなければならない」
拍手が起こった。
優希は、拳を握りしめた。
「議長!」
優希は、手を上げた。
「発言を許可してください!」
「......許可します」
優希は、立ち上がった。
深呼吸。
そして――
「議員の皆さん、聞いてください」
優希の声が、議場に響いた。
「桜井大臣の言うことは、一見正しく聞こえます。秩序回復、安全確保。素晴らしい言葉です」
「しかし」
優希は、資料を掲げた。
「この法案の本質は、差別です」
議場が、静まり返った。
「指定居住区域、移動制限、就業制限......これらは、在日外国人を『管理される対象』として扱うものです」
「彼らは、犯罪者ではありません。彼らは、私たちと同じ――地球に残された、全人類の一員です」
優希は、スクリーンに画像を表示した。
「これは、オペレーション・プロメテウスの写真です」
画面には、日本人と外国人が一緒に作業する姿。
「パク・ジョンスさん。韓国の原発技術者。彼のおかげで、月城原発を無事に停止できました」
次の画像。
「アフマド・アル=ファリドさん。サウジアラビアの石油技師。彼のおかげで、ガワール油田を守れました」
次々と、画像が表示される。
「彼らは、命を懸けて戦いました。日本のためではない。全人類のために」
優希は、議場を見回した。
「そんな彼らを、今――隔離するのですか?」
沈黙。
重い、重い沈黙。
「桜井大臣は言いました。『現実に対処しなければならない』と」
優希は、桜井を見た。
「確かに、現実は厳しい。治安は悪化している。衝突も起きている」
「でも」
優希は、拳を握った。
「その解決策は、隔離ではありません!」
優希の声が、響いた。
「必要なのは、相互理解です。教育です。対話です」
「日本人も、外国人も、お互いを知る機会を増やす。一緒に働き、一緒に生活し、一緒に未来を作る」
「それが――」
優希は、力を込めて言った。
「J-リセットの本当の意味です!」
拍手が起こった。
小さな拍手が、徐々に大きくなる。
だが――
「待て」
桜井が、立ち上がった。
「佐藤君。君の理想は美しい。だが、現実を見ろ」
桜井は、別の資料を掲げた。
「これは、最新の世論調査だ」
スクリーンに、数字が表示される。
『在日外国人との共生について、どう思いますか?』
不安を感じる:52%
不安を感じない:30%
わからない:18%
「過半数が、不安を感じている」
桜井は、議場を見回した。
「これが、現実だ。国民は、不安なんだ」
「そして、その不安を放置すれば――暴動が起こる。血が流れる」
桜井は、優希を見た。
「君は、それを望むのか?」
優希は、言葉に詰まった。
「......」
「答えたまえ、佐藤君」
桜井の声が、冷たくなった。
「君の理想のために、何人の血が流れても構わないのか?」
優希は、拳を握った。
何と答えればいい。
どんな言葉が、正しいのか。
その時――
「議長」
声が響いた。
振り返ると――リー・ジュンホが立っていた。
傍聴席から。
「リーさん......」
「私に、発言を許可してください」
「しかし、あなたは議員ではない」
「私は、在日外国人コミュニティの代表です」
リーは、堂々と言った。
「この法案は、私たち三百四十万人の運命を決めるものです。私たちにも、発言する権利があるはずです」
議場が、ざわめいた。
議長は、しばらく考えてから言った。
「......特例として、許可します」
「ありがとうございます」
リーは、議場の中央に進んだ。
そして――
「議員の皆さん、そして国民の皆さん」
リーの声が、響いた。
「私は、リー・ジュンホ。在日韓国人三世です」
リーは、深呼吸をした。
「消失の日、私は家族を失いました。母国も、友人も、全て」
「でも」
リーは、優希を見た。
「佐藤先生は、私を『仲間』として扱ってくれました」
「彼は、国籍も、経歴も関係なく、人を見てくれた」
リーは、議場を見回した。
「私たち在日外国人も、人間です。恐怖も、悲しみも、希望も持っています」
「そして――」
リーは、拳を握った。
「私たちも、この地球で生き残りたいんです」
「だから、お願いします」
リーは、頭を下げた。
「私たちを、隔離しないでください。私たちと、一緒に未来を作ってください」
沈黙。
長い、長い沈黙。
そして――
拍手が起こった。
最初は小さく。
でも、徐々に大きくなる。
議場全体が、拍手に包まれた。
桜井の顔が、歪んだ。
「......」
議長が、立ち上がった。
「それでは、採決に移ります」
「在日外国人管理法案について、賛成の方は挙手を」
手が上がる。
だが――
予想より、少ない。
「反対の方は」
多くの手が、上がった。
「......結果を申し上げます」
議長は、紙を読んだ。
「賛成百二十三、反対百八十七。よって、本法案は否決されました」
「やった......!」
優希は、思わず叫んだ。
議場が、歓声に包まれた。
リーは、その場に座り込んだ。
涙が、頬を伝った。
「ありがとう......ありがとうございます......」
優希は、リーに駆け寄った。
「リーさん......」
「佐藤先生」
リーは、優希を見上げた。
「私たち、勝ちましたね」
「......ええ。勝ちました」
二人は、抱き合った。
---
だが。
議場の隅で――
桜井晋三は、冷ややかな目で二人を見ていた。
「......まだだ」
桜井は、呟いた。
「これは、始まりに過ぎない」
桜井は、議場を去った。




