『最高の悪役令嬢を創る』東の魔女エーリンに目をつけられた娘1
深鈴が戸口に立つと、誰もいなかった。
チャイムは鳴らなかったが、「クロ川運輸でーす」と言う大声が確かに聞こえた。
「見たいシーン、見逃した!録画してるけど……」
夕飯の支度をする母親に代わって出たが、姿形も見えない。
「おっかしいなあ。はっきりと聞こえたのに……」
不思議に思って小首を傾げると、信じられない物が目に入った。
細長い何かが、両開き門戸の、ちょうど鉄柵の真ん中に置かれている。
今にもストンと落下しそうで、深鈴は慌てて駆け寄った。
「子供の悪戯?何だろ、絵本かな?」
近付いて分かった。緑色の巻物だ。
「何の巻物?」
深鈴は、開いてみて仰天した。
「!?《転生メニューお品書き》??何これ??《転生型・悪役令嬢》??」
急に薄気味悪くなって、深鈴は辺りを見渡した。
「誰よ、こんなことしたの!」
憤慨して門を押した瞬間、突風が深鈴の顔面を襲って、咄嗟に巻物を抱き締めた。
思わず両目を閉じると、急に大勢の足音が聞こえた。
そうっと目を開けて、深鈴は胸中で絶叫した。
(ええええっ!ここ、どこおおお?)
少なくとも日光が当たる場所ではない。
深鈴は、口をあんぐりと開けたまま棒立ちになった。
(私、どうしよう……)
悲嘆に暮れて項垂れていると、親切なお婆さんが声を掛けてくれた。
「お嬢さん、俯いてどうしたの?気分が悪いの?」
心配してくれるのは嬉しかったが、「突然見知らぬ場所に来たんです」とは言えない。
「あの、ちょっと迷って」
深鈴が言葉を濁すと、お婆さんは、何やら納得した様子で頷いた。
「修学旅行生ね。この時分は、京が賑やかよ。もしかして皆と逸れたの?どこに行きたいの?ここは、四条駅ですよ。このまま地下鉄を乗り継いで行きたいの?三番出口から出れば、市バスもあるけどねえ」
お婆さんの有難い勘違いのおかげで、場所は把握できた。
けれど、この現実は受け入れ難い。
しかも、手ぶらで。いや、巻物は持っている。
しかし、財布は持たず、ルームウェアに近い恰好、しかも、くまちゃん柄だ。
なぜ、この姿で修学旅行生と間違われたのか……おそらく、この童顔と、百五十センチにも満たない短身、おかっぱ頭のせいだと、深鈴は少し落ち込んだ。
とりあえず、お婆さんに御礼を言って別れたが、最後まで深鈴のことを案じてくれた。
右ポケットに小銭があるのを思い出して、改札を出る事に決めたのだ。
四条駅で降りる人は多かった。
階段を駆け上がったが、息を切らして後悔した。
(運動靴を履いて出れば良かった!このサンダル、すっごい滑る!!)
地上に出ると、青空が広がっていた――東京は夕方だったが、京都は昼――
「どうしよう……ここ、日本よね?……まさか、異世界??」
深鈴が呟いた時、目の前に、背の低い男の子が立ちはだかった。
緑色のローブに、深緑色のとんがり帽子を被った風変りな子供だった。
「動くな、打つぞ!」
脅すような声が耳に入ると同時に、拳銃の銃口も目に入った。
「おもちゃのピストルね。ちびっ子ギャング?」
思わず笑みがこぼれたが、鷹のような鋭い目で睨まれて、ビクッと肩が跳ねた。よく見ると、本物の拳銃のようだ。
(もしかして、絶体絶命の大ピンチ??)
「わしは、フォルト、森の精霊じゃ。黙って、わしに従え。『転生食堂』へ連れて逝く。東の魔女エーリンさまが、お待ちかねじゃ!」
(精霊?魔女?転生?って何のことおお!?)
深鈴が、心の中で叫んだ瞬間だった。
「おまたせ~~」
青い髪を肩まで垂らした赤目の蛇女が、こちらに駆けて来たのだ。
(!?顔だけ蛇??)
深鈴は、ぎょっとして目を剥いた。
体は人間で、赤いワンピースを着ている。
(……うええ、気持ち悪い……これは夢、これは夢……)
深鈴は、呪文を唱えるかのように、必死に『夢』だと自分に言い聞かせた。
「邪魔をすると撃つぞ!」
男の子がドスの効いた声を出して、銃口を、顔だけ蛇女に向けた。
(この子、何で普通に喋ってるの?)
深鈴は小首を傾げた。
(怖くないの?お前は誰だ!くらいは言うんじゃない?食べられたら、どうするの?)
深鈴の方が怯えていると、蛇女が微笑んだ――ように見えた。
深鈴が、ドキッとした間に、蛇女は男の子の背後に回り込み、片手で気絶させてしまった。
「えっ、すごい!」
感心する深鈴の足元に拳銃が転がって、それを見た通行人の一人が、「きゃー、ピストルよー」と叫んだ為に、大通りに火が付いた。
大騒ぎする人々を見て、深鈴も狼狽えたが、蛇女は特に慌てる風もなく、赤いハイヒールで拳銃をガンガンと踏み潰して粉々にした。
「こわぁ……」
深鈴は、身震いして後退った。通行人たちも、一様に青ざめて立ち尽くした。
「ユーキ様、参りましょう」
「ユーキ?」
突然、謎の蛇女に手を引かれて、深鈴は抵抗も出来ずに走った。
正確には連れ去られた。
強引に引っ張られて、訳も分からず走ったので、道順を覚える余裕はなかった。
(助けてくれたことには感謝するけど……蛇は無理……)
深鈴は、いまだ放心状態に近かった。
涙が零れて頬を伝る。家に帰りたいと痛切に願った。