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第11話 富士桜図書館と、虹色のバスと、夜桜の大事件

 文字数が多いです。

 


 富士桜ふじざくら図書館は、赤レンガ造りの風情のある洋館風美築建物だった。

 まだ開館前だったが、子供たちがやって来るまでに、葵子あおこは、館内の白いブラインドを一つ一つ開けて回った。


 最後に一番大きな窓の前で立ち止まると、バーチカルブラインドの長い紐をゆっくり引っ張って右手に手繰り寄せた。

 ブラインドは、ゆらゆらと揺れながら、パタパタと小さい音を立てて視界を少しずつ広げていった。


「まあ!やっぱり小雨が降り出した!」


「富士桜川前~富士桜川前~」


「まあ!予定より早かったのね。子供たちは、まだ着いていないのに」


ガラスの向こうから透き通った美しい声が、はっきりと聞こえた。


 昨日と同じ、七色に光り輝くバスが、図書館にゆっくりと近付いて来る。

 青、ピンク、緑、紫、赤、黄色、オレンジ……七色のバスは、日の光を浴びてきらきらと輝く大きな宝石のようだった。

 七色のバスは、図書館の前の道路に停車した。


「本当に、綺麗ね。雨上がりの虹みたい……」


うっとり見入って、中から見守った。

葵子は、子供たちから『美人司書さん』と慕われている。

浮雲で暮らす奉公屋だ。


今年で還暦を迎えるが、見た目は五十歳くらい。

若々しく見える目元が印象的で、口元は柔らかく、華奢な体格だった。

ミディアムヘアを内巻きにして、ベーシックカラーのスーツを着こなす。

カッコイイおばあちゃんである。


 背筋もピンッと伸びていて、とても六十歳には見えない。

 しかし、昨年から退職を考えていた。

 けれど、なかなか新しい図書館司書が見つからない。

 浮雲小学校から頼まれて、後三年は仕事を続けることにした。


図書館に勤めて、三十年目。そんなベテラン司書でも、こんな摩訶不思議な出来事を目の当たりにしたのは、昨日が初めてだった。


 バスの降り口から、白いワンピースを着た美しい女性が降りて来て、葵子にお辞儀をした。スカイブルーのロングヘアは腰丈まで伸びていた。


 昨日見えた化け猫だ。

 時の赤ちゃんアマガエルたちも、ぴょんぴょん飛び跳ねながら降りて来た。

 葵子も、同じように御辞儀をして微笑みかけた。 


「今日は、バスが早くて、子供たちが遅い。お冬さんも。昨日は、朝早く記憶餡蜜を届けてくれたのに。どうしたのかしら?」


 葵子が、首を捻っていた頃、甘味処、夜桜では、大事件が起きていた。


「なんだって!?記憶が蒸発した!?修福コルクをし忘れた!?どうして、そんな初歩的ミスをしたんだい!?」


お冬の怒鳴り声が店内に木霊したのは、営業前の事だった。


「申し訳ありません、おかみさん」


呼ばれた名で、お冬の怒りは和らいだ。


「そう呼ばれるのは、いつぶりだろうねえ。全く、しようのない子だよ。あんたに初めて教えた日の事は、今でも忘れられないからねえ」


  お冬は、目をつむった。


 浮雲九十九番地、保持妖怪さまの下町で飲食店を開くなら、余程の目利きでなければ商売は続かない。


 「え、なぜかって?理由は一つさ。保持妖怪の食べ物が、人間の記憶だからだよ」


「人間の記憶ですか?」


 訳あって、桜花おうか聡子さとこは、九十九番地の甘味処に身を寄せた。

 今から十年前で、その頃は、まだ十六だった。


 聡子は、妖怪の子ではないが、完全な人間とも言えない。大雑把にいえば、人間のくくり。あいの子だ。

 昨今は、『ハーフ』の呼称も増えたが、蔑視的意味合いの古称、『合の子』は、浮雲でも根強く残る。


「うちは、甘味の記憶が売りだけどね。頼まれれば、ラーメンの記憶だって出すよ。客が命だ、覚えときな」


お冬は、『夜桜』の二代目おかみだった。

歳は、五十前後。短い銀髪に、紫の着物がよく映えた。

お冬も又、合の子だ。


 甘味処を開いたのは、お冬の実姉、おやえである。

 しかし、下界での仕入れ中に、飛行機事故で亡くなった。

 それで、お冬が店を引き継いだ。


「あのぅ、人間の記憶って、食べられるんですか?」


 聡子は、おやえの友人の娘だった。

 下界生まれで、下界育ち。人の世に身を置いてきた。

 記憶を食する妖怪など、想像もつかなかったのだ。


「そこの試験管を取ってごらん」


「は、はい」


 聡子は、数十本の試験管立てから、一本だけ抜き出した。


「逆さにして、コルクを外すんだよ」


 言われるままにそうして、聡子は「あっ!」と声を上げた。


「シュ、シュークリームが!」


聡子の驚きように、お冬は笑った。


「人間の記憶さ」


「えっ!?これが?本物のシュークリームですよ?」


試験管を左手に握ったまま、聡子は、両目をゴシゴシ擦った。


防霊ぼうれい試験管と言ってね。生霊や悪霊そういった類の、いわば魔除けに作られた御手製さ」


「はあ………」


 夢うつつで話を聞く聡子の右手には、ふわふわした生地がある。

 まるで本物のシュークリームと同じで、ちゃんと重さもある。


「割るんじゃないよ。防霊ぼうれい試験管は、下界でいう所の、百万だからね」


「っ!!ひゃっ、百万!?」


 聡子は飛び上がって驚いた。


「一本一本が手作りだからね。値段が格段に高いのさ」


「ひっ!こ、これ、どうしたら」


狼狽する聡子を見て、お冬は、呆れた顔をして右手を出した。


「お寄こし。一度開封したら、洗浄屋に持って行く。修福しゅふくコルクを抜いたら、ここに入れるんだ」


そう言うと、慣れた手つきで、薄緑色の竹籠に入れた。

籠には、真っ白い清潔な布巾が敷かれて、空の試験管が並べてあった。


「あの、しゅふくコルクって何ですか?」


「人の記憶も、脳から離れれば、死んだも同じ。冥福を祈って修めなきゃならない。それで、修福。分かったね?」


「な、なんとなく」


 分かりませんとは言えない圧が感じられたので、素直に頷いておいた。


「九十九番地じゃ、どの店も、人間の記憶は、防霊試験管に入れて、修福コルクで封印して売ってる」


「ふ、封印!?」


「大仰に聞こえるかい?でもね、記憶ってのは、何かと面倒なものさ。忘れた筈なのに残っていてね。しっかり封じ込めておかないと、苦しいもんだよ」


 お冬の青い目が、ほんの一瞬、寂し気に揺れた。

 忘れたくないから苦しい、そんな風に聞こえて、聡子は、なぜだか胸が締め付けられた。


「このコルクの製造は、天童てんどう家が担ってる。試験管を製造できる一族は、下鴨家だけだ。どちらも御得意様だからね。粗相のないよう気を付けておくれ」


「は、はい!あの、これ、食べてもいいですか?」


「ああ、かまわないよ」


「ありがとうございます!」


 満面に笑みを浮かべて、聡子がシュークリームを口に入れようとした瞬間、お冬が付け足した。


「あ、言い忘れてたけどね、味はしないよ」


「えっ!」


 大きく開いた口が停止した。


「なんだい、その間抜け面は!」


 お冬が、目元を和らげて笑った。


「ふふふふっ。困った子だ。もう忘れたかい?保持妖怪の食べ物は、人間の記憶だよ」


「うっ」


聡子が、しょんぼりして口を閉じた。


「シュークリームの形はしているが、シュークリームを食べた人間の記憶を防霊試験管に閉じ込めて、修福コルクで封印してあるからね。食感も、味もしないのさ。美味しく思う。思わない。それだけさ」


項垂れる聡子の前で、お冬が新しい試験管を、試験管立てから引き抜いた。


「いいかい、一度で覚えとくれ」


 お冬は、戸棚からガラスの深鉢を取り出して、調理場の台に置いた。


「器に盛る時、試験管は予め逆さにしておく。角度に気を付けるんだよ。きっかり十五度さ」


「分度器を使えばいいですか?」


「手で覚えるんだ。いいね?」


「はい」


お冬に睨まれ、聡子は畏縮した。


「コルクは軽く引っ張る。と、同時に九度傾ける」


「ええっ!そんな器用な真似、私には」


「四の五の言わない!」


「はい」


聡子のやる気は、すっかりしぼんだ。


「慣れないうちは大目にみるさ。そうだね、三日くらいは」


みじかっ!!」


「二日がいいかい?」


「三日がいいです!」


 答えたものの、心中では、腹を立てていた。


(スパルタだわ!せめて一週間くれてもいいんじゃない?けちんぼ!)


「あんたは、顔に出易いねえ」


「え?」


「まあ、いいさ。実際にやるから見ててごらん。十五度逆さ、九度のコルク抜き」


 まさしくそれは早業だった。


「ほいっ、餡蜜のお出ましだ!」


「わあっ!すごいっ!」


 ガラスの深鉢に、完成後の餡蜜があった。

 餡子の上には、美味しそうなホイップクリームまで乗って、さくらんぼと蜜柑が添えられていた。


「当店自慢の餡蜜さ」


 聡子は、シルバーグリーンの目を輝かせて、唾を吞み込んだ。


「けどねえ、あくまで記憶だからね。私らにとっては、偽物だ。この餡蜜を食べた人間の味覚と感情が、脳に伝達されるだけさ。肩透かしだろ?」


苦笑いを浮かべるお冬を、聡子は、尊敬の眼差しで見つめた。


「目利きなんですね、おかみさん」


「世辞は好かないよ」


「お世辞じゃありません!だって、私が保持妖怪だったら、甘味嫌いの人間の記憶なんて、食べたくありません。目利き違いの店には、誰だって通いたくないですから!おかみさんは、凄いです!」


 聡子は、にかっと笑って、シュークリームにかぶりついた。


「う~ん、美味しい!!あ、おかみさん、餡蜜も食べていいですか?」


「………口周りのクリームを、まずお拭き。あんたは、世話が焼けるねえ」


 お冬は、そう言って、おしぼりを差し出した。


 聡子は、全く気付いていなかったが、お冬は、我が子を見るような穏やかな眼差しを向けていた。


「それから、私のことは、お冬でいい。あんたの髪は長いから、明日にでも切っといで。隣が美容院だからね。挨拶も兼ねてさ」


「は~い、いただきまーす!」


「うう~ん、幸せ~。餡子が絶品です~」


「聞いているのかねえ、この子は………」


  桜花聡子が、二代目おかみ、お冬の元へ来たのは、ちょうど下界の桜が満開のせつであった。


 「全く、あんたは、初めっから食い意地が張った子だったよ」


 お冬は目を開け、軽く溜息をついた。


 桜色の着物にウグイス色の帯を締め、和服姿で必死に頭を下げる娘は、たまに信じられないミスをやらかす。しかし、今では夜桜の看板娘だ。


 「申し訳ありません、おかみさん」


「お冬でいいって言っただろ?」


「えっ」


聡子が顔を上げると、肩をすくめるお冬がいた。


「あんたのシュークリームが冷蔵庫にあったね」


「あっ」


「あれを差し入れで持って行きな」


「えええっ!あれ、本物ですよ?」


「たまにはいいじゃないか」


 「行ってきます」

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