認知
夜。とある料理屋に男が一人やってきた。
「あ、どうも」
「あっ、いらっしゃい……」
「ふー、今日は何にしようかなぁ……」
「……」
「あ、これとかいいな。ねえ親父さん、ん? あれ? 今日、奥さんはいないんですね。ははは、逃げられちゃいましたか? 熟年離婚って多いらしいですよ。よくは知らないけど。……ん? 親父さん?」
「いや……その、お客さんですよね?」
「え、はい。そりゃ、食べに来たんで」
「ああいや、そうじゃなくて、その……お客さん、あなたが『パシオスリーセブン』さんですか?」
「はい?」
「あっ、違いましたか。ははは、いや、すみませんね。いやぁ、グルメサイトにね、そのぉ、よくうちのレビューを書いてくれる方がいるんですよ」
「へー、そうなんですか」
「ええ、それでレビューの内容から、もしかしてお客さんがその人なんじゃないかなって、思いまして……。ああ、そうか違ったかぁ。勘違いしちゃってすみませんね。ははは……」
「ああ、はい。僕ですよ」
「え、えっ! あなたが」
「はい。僕がパシオスリーセブンです」
「お、おぉ……」
「本名ではありません」
「いや、わかってますよ」
「本名は遠藤照彦と申します」
「おぉ、名乗らなくても……」
「いやぁ、生意気言うようですみませんですけど、僕はこのお店がとても気に入ってて、それでレビューを書きたくなっちゃうんですよねぇ」
「ああ、それはそれは……その……」
「いいですよ、お礼なんて」
「いや……」
「ん?」
「いや、なんで低評価なの?」
「はい?」
「いや、まあ、どう感じたかは人それぞれだし、それはそれでいいんだけど、でも毎回低評価だよね!? なんでなんだ!?」
「ちょ、どうしたんですか親父さん……。ここ、お店の中ですよ、他のお客さんに迷惑がかかっちゃいますよ」
「知ってるよ! うちの店だからね! 他に客なんてほら、いませんよ! ええ! あなたが店の平均点を下げたからねぇ!」
「ええ、でもほんと、美味しくてそれに創作料理? ですよね。なかなかおもしろい発想で毎回、感心してるんですよ」
「じゃあ、だからなんで低評価なの!? 始めは操作ミスかと思ったよ……。でも毎回、しかもレビュー内容が褒めたものだからもう最近は恐怖だよ恐怖! こっちと歳も近そうだし、それが余計にもう……」
「いや、僕の中では高評価なんですけど……」
「星二が!? 五段階評価で星二が高評価か! それに一もつけたことあるだろ!」
「でも、星がゼロ個よりは一つの方がいいですよね」
「そういう感覚!? いや、それなら付けてもらわない方がマシだよ!」
「でもまあ、所詮、素人の一意見ですから、あまり評価を気にしなくても大丈夫ですよ」
「客は気にするんだよ! 女房もね! 気に病んで体調崩しちゃったよ! 連れ添って数十年、初めてだよこんなこと!」
「ええ!? それは大変だ……」
「いや、どうしてすべてに対して他人事のような顔をしているんだ……」
「僕はあまり風邪を引いたことないなぁ……風邪を引いた夢なら見たことがあるけど……」
「知らないですよ」
「すみません……」
「ふぅー、まあこっちもね、ちょっと言いすぎたというか、溜まっていたものだから」
「これってエビは使われてます? ほら、僕ってアレルギーがあるから」
「そのすみません!? 今、メニューについて訊く!?」
「ああ、でもやっぱり、いつものにしようかなぁ」
「はぁー……わかったよ。タコの唐揚げでしたっけ。それ食べたら、もう二度とうちには来ないでくださいね」
「えええっ!? 出禁ってことですか!?」
「そんな驚くことじゃないでしょうよ。いや、こっちも初めてですよ、出禁なんてこと」
「はははっ、僕もですけど」
「知らないっての!」
「でもせっかく、僕のこと覚えてもらえたのに、そんなぁ……」
「せっかく覚えたって……え、あなた、まさか常連さんになりたくて……?」
「ふふっ、いつものお願いしますね。あ、タコの唐揚げじゃなくて、ゴボウとトマトのキムチサラダですよ!」
「認知が歪んでいるなぁ……」