納豆爆誕
寒さの身に染みる、奥羽(現在の東北地方)の日暮れ時、源義家(別名:八幡太郎義家)は敗戦からの帰路にあった。彼の運命を左右することになる珍味の誕生が近づいていた。
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平安時代末期の1086年、秋のこと、当時、陸奥(現在の福島県 、 宮城県 、 岩手県 、 青森県 、 秋田県 の一部)の守に任ぜられていた源義家は朝廷の命により、清原氏の内乱を鎮めるため、出羽国(現在の秋田県、山形県)へ十万余りの大軍を率いて向かっていた。
当地を支配する豪族・清原氏だが、かつてより身内同士の争いが絶えず、当時も清衡と家衡に分かれて骨肉の争いを繰り広げていた。家衡は清衡の異父弟に当たる。家衡は清衡の館を攻撃し、清衡の妻子一族はすべて殺されるも清衡自身は生き延びた。そして、源氏の棟梁である義家に助力を求めてきたのだ。
父・源頼義の代から使えている側近の兵藤正経が白髪だらけの頭を下げて語気を強めた。
「殿、清衡と共に家衡をお討ちなされ。これは好機ですぞ。この機に乗じて、お父上が成し得なかった奥羽地方の支配権を強奪するのです。清衡なんぞは、利用するだけ利用して追放してしまいましょう。」
のちに「後三年の役」と呼ばれる合戦の始まりである。
合戦に向けて京から遠征する途中、義家は渡里の里(水戸市郊外)の宿駅に立ち寄った。兵宿として一盛長者と呼ばれるこの地方の豪族の屋敷が当てられていた。長者は山のような御馳走と酒を用意して義家の軍勢を手厚くもてなした。酒宴は三日三晩続いた。これほどの大軍をもてなすとはよほどの財力があるようだ。しかし、長居しすぎてしまった。これ以上油を売るわけにはいかない。長者は兵糧として大量の煮込み大豆を用意してくれたが、日干する暇がなくなってしまい、そのまま俵に詰め込み、馬に括りつけて出発してしまった。大豆は毒素を取り除くため煮込まねばならず、さらに、保存のため日干するのが常であった。この些細な手違いが、合戦の運命を左右することになろうとは、知る由もなかった。
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初戦は無残な敗戦となった。敵の家衡は沼柵(秋田県横手市)という基地に篭り、防衛戦を展開してきた。義家・清衡の連合軍は進軍するが、季節は冬になっており、そして予想以上に家衡軍が強かったため敗北した。考えても見れば、家衡は清原氏の主力部隊を引き継いでいる上に、もともと奥羽の防衛基地というのは強度が高く、そう簡単に落とせるものではないのだ。
さらに、義家は体制を立て直すため一時撤退しようとしたが、追撃を受けて、一盛長者から供給された煮大豆も馬と共に奪われてしまった。思わぬ敗戦に加え、この先、待ち受ける、寒さと飢えを思うと、義家軍の士気はどん底であった。
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時は夕刻、義家は顔をゆがめて野営地へと向かう馬上にいた。
「殿、申し上げまする。」
偵察の者であろう。遠くから声が聞こえた。傍らにいた正経が応じた。
「何じゃ。早く申せ。」
「はっ。敵軍は柵に引き上げたようです。奪った食料と馬も放置していきました。」
「それは、幸いなことじゃ。しかし何故じゃ、冬の食料は貴重なはずじゃぞ。」
「それが・・・どうやら大豆が腐っていたようで。空腹に耐えかねた馬も、混乱の最中、それを口に入れてしまったようです。」
「それほどに酷い腐り様なのか。」
「はあ、それはもう・・・一目ご覧になればお分かりいただけるかと。」
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夕日を背後に受けて、頭を垂れた馬の影が見える。地に落ちた俵の中に口を入れているようだ。その口元からは咥えきれなかった豆粒が不自然にゆっくりと落下していく有様。近づいてみるとその理由がわかった。豆粒が粘っこい糸で垂れ下がりながら、ゆっくりと落ちているのだ。糸を垂らした蜘蛛のようだ。
「うっ、なんじゃ、こりゃ。嗅いだこともない匂いじゃ。」
「ひえー、気味悪い、糸を引いてやがるぞ。」
「惨い、この世のものとは思えん。」
家来の伴助兼のたちが何やら言い合っている。その円陣の中心にある俵を覗き込んだ。黒みを帯びた豆粒が密集して藁に張り付いている。
目の前の変わり果てた煮大豆。初めて嗅ぐ匂いだ。独特の強い匂いを放っている。しかし、食物が腐っているとはまた違う。義家の直感はそうとらえた。体が拒絶反応を示すような臭気とは違う。鼻を近づけてみると、むしろ、ずっと嗅いでいると癖になるような不思議な匂いだ。夕食前とあって、不思議と食欲をそそった。しかし、この粘り気のある糸は不気味だ。食物が腐ったときに、ときどき発生することがある。竹棒でかき混ぜると、一つの生命体のように、体の一部を離されまい、と糸を伸ばしてくる。
「これりゃ、馬の飼料にもなりませぬな。しかたありませぬ。あきらめましょう。」
と言って立ち去ろうとする助兼を制して、義家は命じた。
「いや、待て。本当に腐っているのだろうか。試しに食してみよ。」
「はっ。では、下々の家来に毒見させましょう。」
「助兼、お主が食うのじゃ。」
京では食通、美食家として知られていた兼定がかつてから鼻についていた。坂東の質素な食事を馬鹿にしたような言い方をすることもあったので、不機嫌な義家は少々懲らしめてやろうと考えたのだ。
「せ、拙者がでござるか?戯言はおよしなされ。拙者は幼少の頃より腹が弱いのでござるぞ。」
後ずさりする、助兼に向かって、皿に盛ったソレを近づけていった。助兼は背を向けて逃げようとした。
「とらえよ!坂東武者にも劣らぬ武勇に優れたお主ともあろうものが、こんなものを恐れるとは情けない!」
助兼は坂東武者数人に押さえつけられている。義家は膝をついて左手に持った皿から箸でソレを一粒つまみ上げ、助兼の口に近づけた。頑なに閉ざす助金の口も坂東武者によって強引にこじ開けられた。義家は彼の口穴にソレを次々に放り込んでいく。口がいっぱいになると、こんどは顎を押し上げられて口が閉じる。坂東武者も面白がっている。
「助兼殿、美味いかよ。わはははは・・・」
涙目で顔をゆがめる助兼に対して笑い声が上がった。
「もう良かろう。離してやれ。水で口をゆすがせよ。」
開放された助兼は座り込んで目を見開き、宙を見つめている。まさか、あまりの刺激で気でも狂ってしまったのか。ところが、助兼は思いもよらぬ言葉を発した。
「う、美味うござる・・・」
周囲の武将たちは一瞬、耳を疑ったが、彼らも恐る恐るソレを口に運び始めた。武将たちは糸が絡みつく指先を気にもとめず、夢中で豆粒を口に入れている。
義家もいつの間にか口に運んでいた。これは・・・大豆のうま味を残しながらもまろやかでほんのりした甘さを醸し出す。炊き立ての玄米が欲しくなる味だ。
正経が言った。
「得体の知れぬ食物でござる。あまり食べすぎぬほうがよかろうと。戦を前に腹を壊したら一大事でござる。」
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翌朝、日の出とともに義家は目を覚ました。明るい日差しを浴びていると、昨日の敗戦の傷も和らぐ思いがした。野営の外に出ると、正経が不安な表情でこちらを振り向いた。
「殿、お体の調子はいかようでございましょう?」
「大事ない。それどころか、いつもより調子が良いように思うのじゃ。体が温まっておるし、力が湧いてくるようだ。頭も良く働く。はやりアレは天が与えし、恵かもしれぬ。」
その時であった。朝日の指す東の空に雁が飛び立った。義家は孫子の「兵法」を思い出した。
「雁が列を乱して飛び立っているのは雁の近くに人間がいる証拠。もしや伏兵が潜んでいるのでは。軍勢を整えて、あそこの茂みへ差し向けてみよう。」
軍勢で茂みを取り囲み、矢を放つとうめき声が聞こえた。はやり伏兵だ。義家の軍は潜んでいたい家衡の兵を殲滅した。
清衡・義家連合軍はさらに進軍した。家衡軍は難攻不落と呼ばれる金沢柵(秋田県横手市)に移り、待ち構えていた。
苦戦を覚悟した義家は、武将たちを激励するため「剛臆の座」と呼ばれる座を採用した。合戦の際に豪胆で手柄のあった者を「剛の座」に、臆病で手柄のない者を「臆の座」に座らせるというもの。武将たちはみな臆の座に着きたくないので、懸命に働いたそうだ。そして、臆の座の者には握り飯のみだが、剛の座の者にはアレも与えた。
義家は武将たちの前で言い放った。
「剛の座の者には、この極上の珍味を与えよう。これは、昨晩、藁に納められた大豆から誕生した珍味、それゆえに『納豆』と名付けよう。戦場で窮地に立たされた我々に天が与えてくだされた恵みじゃ。必ずや我々を勝利に導くであろう。」
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味方は善戦したものの、さすがは難攻不落と呼ばれる基地。簡単には落ちなかった。
奥羽の基地は、かつて蝦夷との戦の際の緩衝地帯であり、戦闘への備えがしっかりしていた。非常に防御力が高く攻める側にも高度な攻城戦が求められる。それ故、父の代から何度も痛い目に合ってきた。
どうしたものかと考え込んでいると、地元の豪族、吉彦秀武が妙案を差し出してきた。秀武はかつて家衡と組んで義家と戦ったこともあったが、この戦では、義家側に着いていた。
「兵糧攻めなどはいかがでしょう。これから冬が深まりまする。基地内では食料が付き、飢餓に苦しむものが増えることでしょう。我々は金沢柵を取り囲んで待つだけでよいのです。幸い、我々には納豆もございます。」
他に手を思いつかず、義家は兵糧攻めを実行に移した。10日も過ぎた頃であろうか、糧食の尽きた家衡軍は金沢柵に火を付けて敗走した。家衡は下人に身をやつして逃亡を図ったが、結局、義家軍がこれを捕らえた。
縄で縛られ、地面に座り込んでいる家衡を秀武が見下していた。
「これはこれは、家衡殿。無念じゃったのう。」
「秀武か。ずるがしこい、日和見主義者め。かつては我に頭を下げて助けを求めたくせに。恩知らずめが。」
「わしは頼んではおらぬ。たまたま利害が一致したからお互いに協力したまでだ。それはそうと、おぬし、これを覚えておられるか?」
「ああ、腐った大豆であろう。」
「罰としてこれを食わせよう。」
秀武は納豆を家衡の口にねじ込んだ。
「わははは。美味いか?そうだろう。お主たちはこれを食う勇気がなかった。それ故、敗れたのじゃ。」
ちょうどその時、清衡が現れて秀武を引き離した。
「やめよ、秀武。もうよい。さっさと首をはねてしまえ。」
「清衡殿よ。妻子を皆殺しにした、こいつが憎くはないのか?」
「これで一族の残存者はわしひとりになった。奥六郡もわしの支配下となるだろう。わしは奥羽をこのような惨い争いが二度と起こらないような浄土に作り変えるつもりだ。」
のちに清衡は姓を実父の「藤原」に復し、平泉を拠点に四代に渡って栄華を誇った奥州藤原氏の祖となった。
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「くそー、清衡め、なんと狡猾な男。」
義家は怒りで煮えくり返りそうな腸を抱えて、陸奥からの帰路の馬上にいる。正経が皺の深い顔の奥から言い放った。
「だから、申したのです、殿。あの男は信用ならぬと。さっさと処分してしまえばよろしかったのです。」
陸奥守である義家は、彼の地を支配下に置いた清衡と力を合わせて、腐敗した朝廷に変わり武士が支配する世を作り上げようと提案する。しかし、清衡は
「これ以上の戦をしたくない、朝廷と関わらずとも、莫大な金を使った貿易により陸奥単独で国家として成立する、陸奥の地に戦のない浄土を築き上げる。」
と言って、義家の野望を頑なに拒んだ。
そして、朝廷から衝撃的な文が届く。今回の奥羽平定を私戦と見なし、恩賞は一切出さないというのだ。当然、自分のもとで懸命に働いた坂東武者たちに与える恩賞もない。ただ働きで、戦に駆り出された坂東武者たちは怒り狂うことだろう。さらに、義家自身も朝廷の許可なしで戦を行ったこと、戦の間、年貢を納めなかったことを咎められ、陸奥の守を解任させられた。その後任となったのは名も知れぬ輩だ。使者が言うには、陸奥の守は無名の輩のほうが都合がいいという。なるほど、清衡の仕業か。莫大な金を送り込んで朝廷を動かしたな。そこに、武士勢力がこれ以上大きくなるのを恐れた、白河院の陰謀が絡んだのだ。清原氏の旧領すべてを手に入れた清衡は、奥羽を独占的に支配していくことになろうだろう。
雪解けの季節、日も傾いてきた、もうすぐ水戸のあたりに差し掛かる。あの一盛長者の宿にまた泊めてもらおうか。今後のことはそれから考えるとしよう。
長者は往路と同じように御馳走と酒を用意して兵たちを盛大にもてなした。この長者、本当にどれだけの財を持っているのだ。納豆の話を聞かせると、驚いていた。確かに、煮大豆の件は不手際ではあったが、結果的に義家の軍を救うことになったのだ。
義家は気持ちを取り戻し、坂東武者たちの前で心を打ち明けた。
「わしは今回の遠征で奥州に平穏をもたらしたにもかかわらず、役職を失った。だが、考えても見れば、わしの人生、苦難の歴史ばかりであった。安倍氏に大敗した際も清原氏の援助もあり、やり返すことができた。この度の合戦でも、お主たち坂東武者の力添えがあってこそ、父の代から苦戦した奥州の難攻不落の軍事基地を攻略し、奥州を平定することができた。わしはこの先も、この納豆のごとく、粘り強く、生きていく。残念ながら、この戦で懸命に戦ってくれたそなたたち坂東武者へ報いる恩賞を朝廷から授かることができなかった。その代わり、わしの私財から恩賞を与えよう。わしはいつか朝廷に変わって、武士が政を行う世の中を作りたい。そのためにはお主たちの力が必要なのだ。この納豆の豆粒のごとく強い糸でつながり合いながら、新しい世を切り開いていこうではないか。」
この恩賞により、義家は坂東武者からの強い信頼を勝ち得ることとなる。これがのちに武士の世、源氏の世を作る礎となった。
そして今回の遠征で重要な役割を果たした納豆。その生誕の地については諸説あるが、水戸、あるいは横手が候補として知られている。
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それから100年余り後の1189年、源頼朝の軍勢は奥州討伐へと向かっていた。朝敵の義経を匿っていた藤原氏四代目当主・泰衡は鎌倉からの脅しに屈し、義経の首を差し出してきたが、頼朝は逆に家人の義経を許可なく討伐したことを理由として、自ら大軍を率いて平泉へと出陣した。背後を脅かし続けていた奥州藤原氏をなんとしても殲滅しておきたいところだった。この戦、朝廷からは征討令は出ていない。義家の時と同じ、私戦という扱いになる。
軍勢は大手軍・東海道軍・北陸道軍の三軍に分かれて進行した。もっとも東側の経路に当たる東海道軍を引いていた千葉常胤と八田知家は途中、常陸国(茨城県)の宿駅で軍勢を休めていた。
その晩、知家は常胤と宿の縁側で酒を組み交わしていた。暗闇から吹き込んでくる夏の夜風が開けた胸元を心地よく撫でる。奥州もこれだけの軍勢を相手にしてはもう終わりだろう。主力は頼朝率いる大手軍だ。我々にそれほど活躍の機会もあるまい。進行経路上に領地がある常胤はわかるが、なぜわしがこの軍なのだ。しかもこんな老いぼれと一緒とは。横で酒を飲む、その老体が陽気に語り始めた。
「八田殿はご存じか?武士の世を切り開いた、源氏の英雄・源義家公の伝説を。」
「まあな、あの方こそ源氏の正当な血筋にあたる。坂東の武士の中にもあの方を敬う者が多い。伝説というのはあの後三年の役でのご活躍のことか。」
「そうじゃ。義家公のおかげで奥州を手に入れたにもかかわらず、裏切り同然の仕打ちで返した藤原清衡の子孫は奥州藤原氏の栄華を築き上げた。それがまた源氏の手で滅ぼされるのだ。当然の報いじゃろう。」
「まあ、そうだな。」
「奥州ではまた内乱が起きているようだ。鎌倉の強硬姿勢に動揺したのだろう。泰衡は異母弟を謀殺したそうじゃぞ。藤原氏というのは今も昔も兄弟の争いが絶えぬの。呪われた血筋じゃ。」
「まあ、源氏も似たようなもんだろうがな。」
常胤は何やらお椀の中を箸でかき混ぜている。妙な匂いが漂ってきた。
「それは何ぞ。」
「これか、納豆じゃよ。お主は知らぬのか。」
「ああ、納豆か。ずいぶん前に一度食したことがある。これも義家公が由来だったな。」
「そうじゃ。ところで、お主、この地方に伝わる、一盛長者の伝説はご存じかな。」
「知っておるぞ。後三年の役の遠征の行きと帰りで義家公の軍を盛大にもてなしたと言われる長者だ。とんでもない金持ちだそうで、それに恐れをなした義家公は、今のうちに滅ぼしておかないと将来、禍をもたらすと考えて、屋敷を焼き払ったという。」
「はたして、それは本当じゃろうか。義家公が罪もない者を将来の懸念のためだけにあやめるなど。」
「その子孫はまさにそれをしているのだがな。」
「別の説をご存じか。長者は奥州からひそかに大量の金を譲り受けていたのじゃ。この金で宴会を開いて、義家公の到着をできるだけ遅らせるように、とな。大量の煮大豆を干さぬまま持たせて、腐らせるように仕込んだのもそうだ。帰路の宿泊中にそれが明るみになり、義家公の逆鱗に触れたというのじゃ。まあ、真意のほどはわからぬがな。さあ、食うてみよ。」
常胤から渡された納豆を知家は口に入れた。どこか懐かしい、坂東の大地の味がした。