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兵法とは平和の法なり  作者: MIROKU
寛永編
9/40

第九回



 七郎は江戸城の敷地内にある道場で組討術の稽古に励む。共に汗を流すのは江戸城御庭番衆の忍び達だ。七郎は彼らと共に江戸を、人々を守ってきたという誇りと自負がある。

 稽古着で組合い、体勢を崩して床へ投げつける。

 七郎は隻眼ゆえに剣に秀でなかったが、その代わりに組討術には秀でるようになった。

 先師、祖父、父又右衛門から七郎へ受け継がれた組討術は無刀取りと称される。

「精が出るな七郎。ならば余が相手をしてやろう」

 七郎の前に立ったのは國松という人物だった。國松は江戸城にほど近い染め物屋、風磨の大旦那である。

 七郎と同じく髷を結わぬ総髪、その眼光の鋭さは只者ではない。幕閣の一部では密かに戦国の魔王信長に似ると囁かれている。

 染め物屋の風磨は、実は風魔忍者の末裔達である。國松はいざとなれば風魔忍者を率いて実戦に参加する。

「いざ!」

 稽古着の七郎、素早く國松へ踏みこんだ。

「甘い」

 國松がつぶやいた時には、彼の右足が踏みこんできた七郎の出足を払っていた。出足を払われた七郎は道場の床に横倒しになった。

 刹那の間に閃いた國松の技は、後世の柔道における出足払いだ。洗練された國松の技に七郎はあ然として声も出ない。

「頭を冷やせ」

「は、ははっ」

 國松の言葉に、七郎は床に大の字になったまま応えた。身を起こそうにも起こせなかった。國松の技に心身共に感服したのだ。



 さて、夜に姿を見せる蜘蛛女の事は、周辺の武家屋敷に住む者達の間で噂になっていた。

 夜な夜な夜空に浮かぶ不気味にして巨大な蜘蛛の巣、更にその表面に人間大の蜘蛛が這っているとはただ事ではない。

「討取れ」

 とある小藩の藩主は、藩の剣術指南役に命を下した。江戸には大小様々な大名が集まっている。ここで武勇を立てるのは藩の名誉だ。

 また島原の乱以降、もはや日本に戦乱はなかった。武勇を立てれば、あるいはそれが幕府に認められ、恩賞に預かれるかもしれない。

 この時代、金山銀山あれば幕府に申し出なければならない決まりであった。自藩に金山銀山の所持を認められれば、藩内が潤う。そんな考え方もある。

「ははっ、必ずや」

 剣術指南役は自分の弟子を引き連れ、夜の町へと出た。



「さて何処ヘ行くか」

 剣術指南役は頭巾で顔を隠していた。弟子の従者も頭巾で顔を隠して提灯を手にしていた。

「やはり吉原では」

「うむ、やはりそうだ」

 従者と剣術指南役は頭巾の奥でニヤリとした。彼らは藩主の魔物討伐令のついでに吉原で女遊びをする腹積もりであった。いや、女遊びのついでの魔物討伐かもしれぬ。

「楽しみだのう」

「全くで。なにせ江戸勤めなんか何の楽しみもありませぬ」

 剣術指南役と従者は夜道を行く。いささか片腹痛いが、彼らの気持ちもわからなくはない。江戸勤めでは武家屋敷で堅苦しい共同生活、役職の高い者ならばともかく、役職の低い者は国元に妻子を置いてくるのが普通であった。

 ましてや戦の終わった時代、武士は世に不要と見られ始めていた。女達も威張り散らす武士よりは肩肘張らずにつきあえる、遊び上手な町民の男を好んだ。

 だからこそ吉原のような場所がある。世の中はうまくできている。

「……こ、これは」

「まさか……」

 吉原を目指していた剣術指南役と従者は足を止めた。

 夜空に巨大な蜘蛛の巣が浮かんでいたからだ。

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