ねね
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七郎はねねの愚痴を聞かされていた。
「だってねえ、蘭丸様ってば毎日毎日、食っちゃ寝、食っちゃ寝で……」
ねねはうどんをすすりながら愚痴という名の毒を吐く。まるで毒蛇だ。
場所は武家屋敷通りのうどん屋だ。店主の源は江戸城御庭番であり七郎とは戦友だ。
源は身分を偽り、武家屋敷に住む大名達を監視し、江戸の治安維持に務めてきた。今では妻を迎えて娘もいた。
「おお、姐さん! どうぞ、ゆっくりしていってください!」
店主の源が、わざわざ店の奥から出てきた。七郎には挨拶もなく、ねねにしか注意を払っていない。七郎などは空気扱いだ。戦友だというのに。
「ええ、ゆっくり食べさせてもらうわ…… もちろん、ツケで!」
ねねはうどんのおかわりを源に注文し、更に具材も注文した。
野菜のかき揚げ、イカの天ぷら、揚げ玉、油揚げ……
油でむせそうだが、ねねは気にする事もない。七郎が見た事もないような美女だが、その仕草は残念だ。
――ずずずずう
ねねは豪快にうどんをすする。百年の恋も冷める食いっぷりだ。
「そ、そうか」
七郎は蕎麦切りをすすっていた。源の店には、需要は少ないながら蕎麦もある。
蕎麦には疲労回復の効果があり、それがゆえに肉体労働者に好まれ、江戸で蕎麦が流行ったのかもしれない。
また、この時代で蕎麦というと蕎麦粉を丸めた蕎麦がきの事だ。後世の蕎麦のように切ったものは、蕎麦切りと呼ばれていた。
「蘭丸は何をしている?」
七郎はねねに問う。年齢差を考えると、娘のようなねね。
だが、ねねは七郎が目上だろうと関係ない。天上天下唯我独尊だ。そんなねねだが、なぜか江戸の庶民に慕われている。
「ちょっと聞いてくださる? 蘭丸様ってば女に情けをかけてさあ」
「ふむ?」
「幽霊女を成仏させてやらずに…… 夜な夜な会ってるんですわよ」
そう言って、ねねは二杯目のうどんを平らげた。ねねの大食いは嫉妬の念も一因のようだ。




