武の深奥から響く声
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「七郎さん、いや十兵衛さんも立派になったなあ」
小野次郎右衛門忠明は酒を飲みつつ言った。忠明の前に座した十兵衛は苦笑しつつ酒を飲む。
十兵衛の隣には父である柳生又右衛門宗矩もいる。三人で輪になり酒を飲みつつ語り合っていたのだ。
「わしも本気で相手したいもんだ…… なあ、剣術指南殿?」
忠明は殺気を秘めた眼差しで宗矩を向く。やや青ざめた十兵衛の前で、忠明と宗矩の殺気が火花を散らすかのようだ。
かつて宗矩と忠明は、江戸を荒らしていた風魔忍者から人々を守るために戦っていた。
それが縁で二人は得難き戦友になったという。もっとも忠明は宗矩を剣術指南殿といささか皮肉をこめて呼んでいる。一言で説明できぬ間柄ながら、互いに認め合っているのは間違いない。
「いやいや、むしろ手前が」
宗矩もまた静かに十兵衛を見つめた。何の感情も浮かばぬ父宗矩の顔が怖い。
薄ら笑いを浮かべた忠明も勿論怖い。渡る世間は鬼ばかりだ。
「では参る」
忠明は言って立ち上がった。場は道場へ切り替わった。
忠明が打ちこんだ一刀へ、十兵衛は踏みこむ。肩で忠明の腕を受け止めた十兵衛は、右足で忠明の右踵を鋭く払った。
刹那の間に閃いた十兵衛の小内刈。後世の柔道の技だ。それを受けてよろめく忠明へ十兵衛は組みつき、尚も技をしかける。
十兵衛の右足は忠明の左足を払った。大内刈だ。素早い連続技に忠明は後方へ倒れた。
「ふふふ、十兵衛さんも強くなったな」
忠明は余裕で立ち上がった。まるで本気を出していない。まるで十兵衛に華を持たせているような感すらある。
「参るぞ」
宗矩は無手である。先師である上泉信綱から、石舟斎宗厳を通じて無刀取りの妙技を受け継いだ宗矩。
十兵衛が目指し、越えねばならぬ壁であった。
「応!」
十兵衛は宗矩へ踏みこんだ。己自身を弾と化して力の限りぶち当たる。
「全て捨てよ!」
「一刀に始まり、一刀に終わる……」
宗矩と忠明の、父と師の声が十兵衛を導く。
夢だ、夢だ、夢だ。全て夢だ。宗矩も忠明も他界している。
消えゆく意識の中で十兵衛は悟る。
今までは導かれていたが、これからは自分が導くのだ。
後継者として、三池典太を授けた蘭丸を。




