第二回
魔性は人の心から生まれる。人の心中に生じた悪意、即ち魔が超自然的な力に導かれて具現化するのだ。
島原では人々の悲しみから魔性が生じた。この静観な武士の居住区からは何が生まれるかわからない。
日も暮れかけた頃、七郎は腹が空くのを覚えた。辺りを見回すが、この近辺に酒場の類は見当たらない。
「お、うどん屋か」
七郎は日も暮れかけた中にうどんの屋台を見つけた。彼の仲間の源という男も、江戸市中でうどんの屋台を引いている。
「すまん、うどんを一杯」
七郎は屋台に近づき、床几に腰かけた。屋台のうどんは七郎に馴染み深いものだ。
「へい」
店主らしき男は火を起こして湯を沸かしながら、七郎には振り返らずに答えた。
「こんなところで屋台を出して客は来るのか」
七郎は探りを入れてみる。武家屋敷の並ぶ通りにうどんの屋台とは。武士階級の者が気楽にうどんを食いに来るのだろうか。
「へい、来まさあ」
店主はやはり振り返らなかった。
「お侍さん方がですねえ、小腹が空いたと言って、うどんを買いに来てくれまさあ」
「なるほど」
七郎、思わず苦笑した。気持ちはわかるのだ。
「お客さんは何を?」
「まあ、俺はごろつきに思われるだろうが…… まあ、似たようなものかな」
七郎は答えて、店主の態度を訝しむ。店主は背を見せたまま、湯を沸かす作業に従事している。それはいいが、なぜ一度も七郎に振り返らないのか。
そして七郎は気づく。すでに日は暮れかけて黄昏時だ。昼と夜の重なる時間帯であり、この黄昏時に出会う者全てが人間とは限らぬ。
「このあたりは化物でも出そうだな」
背中をヒヤリとさせて七郎はつぶやいた。何やら得体の知れぬ不安があった。不安は店主を始点としていた。
「化物ですかい」
店主は七郎に振り返った。七郎は思わず床几から腰を浮かせた。
店主の顔には目も鼻も口もない、平べったい肉の面であったからだ。