第一回
武の深奥を追い求めるのは、地の果てを目指すに似たり――
島原の乱を経て数年、江戸も変わった。
参勤交代の制が始まり、全国各地の大名が江戸に住み始めた。
町民と武士階級の数は半々だが、およそ七割の土地に大名や武士達が住んでいる。
武家屋敷の改修や増築のため、浪人が労働力として雇われ、江戸では犯罪件数が減ってきた。
これは全国でも同じであった。江戸を目指す大名が道中で休むために、宿場町があちこちに設けられた。それによって全国にあふれた浪人が職を得て、山賊や追い剥ぎの類は減った。
(これも知恵伊豆様の神算鬼謀、及ばぬな)
七郎は馴染みの茶屋の店先で、床几に腰かけて青空を見上げていた。
江戸城御庭番と共に江戸城周辺にて凶賊らと斬り結び、人々の平和に貢献してきた七郎。
彼は今後は武家屋敷の見回りに就く。大名の住まう武家屋敷周辺では、強盗事件が数度起きている。
大名側も強盗に襲撃されて家士を斬殺されたり、金品を強奪されてもお上に報告もできぬ。士道不覚悟とばかりに改易を命じられるかもしれないからだ。
そんな大名達を守護するために、七郎は慣れ親しんだ江戸城周辺から離れる事になった。
「また来なさいよ」
茶屋の老婆おまつが茶のお代りを運んできた。
「……ふん」
看板娘おりんは面白くなさげに、そっぽを向いた。彼女は七郎と共に何度か出かけている仲だ。
男女の仲は進展しなかったが、思いは繫がっているかもしれぬ。
「ごちそうになった、また来るぞ」
右目の潰れた隻眼の七郎、茶を飲んで立ち上がった。新たな日々が始まる。
武家屋敷の見回りに七郎は重点を置く。それは張孔堂に足を運ぶ大名や武士が多いからだ。
「疑わしきは斬れ」
松平信綱は七郎に言った。通称、知恵伊豆だ。彼の神算鬼謀によって全国にあふれた浪人の一部は、宿場町の住人になったり、江戸で建築の職に就いたりして救済された。
江戸で働く浪人の中には、大工を目指す者も現れた。働く事に生き甲斐を見つけて、日々輝く汗を流す浪人を、七郎は微笑ましく思う。
だが、働く事を嫌う浪人は多かった。祖父や父の代に命懸けの槍働きによって得た武士の身分、それを生まれついて授かったものと誤認している者は労働を嫌った。
働かずとも食える、働くくらいならば人から盗む。極端ながら、そのような考えを持つ浪人は多かった。
だから江戸から犯罪は消える事はない。著名な火付盗賊改方の原型が出来上がるまで、まだ数十年の時を要さなければならない。
(まさか正雪が?)
七郎もまた正雪の張孔堂に通う門人だ。由井正雪は巷の噂通り、文武に優れた人物だった。人徳もあるがゆえに、江戸に知られた槍の名人、丸橋忠弥が進んで弟子となっている。
松平信綱は、その正雪を疑っていた。張孔堂に通う武士も多い。江戸に参勤交代に来た大名の中にも張孔堂に通う者が現れた。
正雪を師とし、大名、武士、町民が机を同じくして学ぶ。
七郎はそこにある種の理想を見る。人に貴賤なく、目上への敬意、目下への優しさを人心の基本とする。
それが天下泰平の、そして平和の姿というものではないか。
かの天真正伝香取神道流の飯坂長威斎、その門下に刃傷沙汰はほとんどないという。
武神、経津主大神の教えとはそのようなものではないか。
いわく、兵法とは平和の法なり。
武を以て、人々を平和に導く。
その技法の難解さ、奥深さから人は謙虚を学び、感謝を知り、尊敬を抱く。
七郎の説く理想とは雲をつかむような話であり、幕閣でも白眼視されているが、これだけは言える。
悪鬼である修羅も、時に仏敵を降伏する故に仏法の守護者なのだ。
七郎もまた人々の平和のために命を懸けて戦うからこそ、江戸の守護者なのだ。
そんな七郎は武家屋敷周辺を見て回った。当たり前だが町民の姿はほとんどない。浪人の姿もない。広い武家屋敷を囲う塀ばかりが目に入る。
(なんとも静かだな……)
武家屋敷の並ぶ閑静な住宅街に七郎は不穏な気配を抱いた。こういうところにこそ魔性が現れるのだ。
七郎は知っている。この世には人知を越えた魔性が存在する事を。七郎は島原の乱の際に魔性と出会っていた。