ep.60 海竜
今はヘロンの嫁問題で揉めている場合ではない。文字通り凍国を揺るがす大事態なのだ。ヘロンたちが震源に近い海岸線まで来ると突然、海の底が盛り上がったかと思うと巨大な竜が姿を現した。
「ヘロン殿、此奴は少々厄介です!」
氷竜人が末裔、白い頭のアイズが身構える。元六刃将筆頭氷刃将の右手が氷の刃を揮う。凍結の威力ならアイズやネージュの方が上だろう。だが、それを押し返すだけの圧倒的な質量の氷壁が迫って来る。
「どうする、お前さん!こりゃあたしの焔でも溶かしきれそうにないよ!」
珍しくフレアも焦りを感じていた。だが、ヘロンは落ち着き払って右手を翳した。
「テラ・フレア!」
すると一瞬にして氷壁が蒸発してしまった。なおも間髪入れずにヘロンは右手を振り下ろした。
「アイス・スコール!」
蒸発した水蒸気が再び凍結して雨のように海竜に襲いかかる。
「お前さん、今のって…… 」
フレアが驚いた表情で尋ねた。
「王国だと問題なんだけど……一応、今のもフレアとアイズの連携って事にしといて貰えるかかな?」
「……すると、氷雨が効かぬのは拙者の所為か……」
アイズの言う通、アイス・スコールはあまりダメージを与えていないようだった。
「……じゃ、あれはネージュが所為にしよう!」
この際、誰の所為でもいいのだが、ヘロンがやったという噂は避けたかった。
「ともかく、こいつは片付けるね。」
ヘロンはそう言うと、次の瞬間、地面を擦るような低さから一気に右手を振り上げた。すると一瞬にして海竜は真っ二つに斬り裂かれ、やがて霧散した。
「ああ、やっぱり。あの海竜、妖気で出来てるんだ。じゃ、あとのは遠慮は要らないね。」
「「あとの?」」
一同に嫌な予感が走る。すると海面の氷を突き破ってワラワラと無数の海竜が姿を現した。
「いつの間に!?」
エクレアには海竜が姿を見せるまで気配も掴めなかった。
「いつの間、じゃなくて今だよ。こいつらは、たった今、発生したんだ。」
よく見ればヘロンの言う通り海中から昇ってきた気泡が割れると同時に海竜へと姿を変えていた。おそらく気泡の中身は妖気なのだろう。だが、それがわかった処で海岸線からは遠く止める手立ては無い、かに思われた。その時である。黒き一閃が遠くの海竜を貫いたかと思うと、あっという間に戻ってきた。
「ヘロンの旦那、遅れてすまねえ。」
戻ってきた魔槍を携えてドリュフォロスが頭を掻いた。
「街は?」
「この防衛線を突破されたら街を守る処じゃないから行ってくれってレクシス猊下に言われてね。念の為にネージュが二人も氷の将は要らないとか言って残ってる。」
問い掛けにドリュフォロスが答えるとヘロンは眉を顰めた。
「ネージュ……サボりだな。」
「サボり?」
フレアが首を傾げた。
「うん。活躍する場所が無いからとか言って僕が居る現場には滅多に来ないんだ。」
これを聞いて、この場に居た皆が納得してしまった。
「え?変な事、言った?」
「いや、何でもないさね。それより、どうやら臭い匂いは元から絶たないと駄目みたいだねえ。」
海中から湧き立つ妖気がドリュフォロスが倒した以上の数の海竜となって迫って来る。
「やっぱり主とやらを引き摺り出さないと駄目みたいだね。多分、余計なのが出て来ると思うから皆、頼んだよ!」
「義兄さん、余計なのとは……」
ブラスカの言葉が終わる前にヘロンは右手を振り下ろした。その瞬間、海が割れ妖海の天幕は破れ大量の妖気が吹き出した。と同時に妖気は蟹や蛸、烏賊、亀などの姿となって次々と上陸しようとする。
「陸に上がってくれば、こっちのもんだ。一番多く退治して嫁らしい処を見せるとするかね!」
「な!……数なら私も負けない!」
「くっ、我とて引けは取らぬ!」
フレアの言葉を合図にエクレアとレイも飛び出した。
「ああ、ああ! 義兄さん、僕もいってきます!」
ブラスカも状況的に姉たちの嫁争いに構っている余裕はなかった。
「どれ、拙者も参るとしよう。主とやら相手では足手纏いにしか、なれそうもないからな。」
そう言い残すとアイズもまた、妖獣の群れへと向かっていった。
(さてと、そろそろ妖海の主ってやつが出てくる筈なんだけどな。)
ヘロンの見つめる視線の先に巨大な水柱が揚がったかと思うと、中から巨大な十三の頭をもつ海竜が姿を現した。その怒りに満ちた咆哮は大気を震わせ大地を揺らした。
(確かにアポカ=リプスと同等の妖力かもしれないけど、話が通じない分、厄介かもしれないな。)
再びヘロンが右手を一閃する。一撃で頭の一つを斬り落としたが、すぐに次の頭が生えてくる。
(ああ、やっぱり、そういう奴なのね。)
一つの頭が炎を吹いたかと思うと別の頭は冷気を吐き、また別の頭たちは雷、突風、高圧の水に砂嵐と様々な攻撃を仕掛けてきた。これをヘロンは一枚の魔法壁を築いて防ぎきった。
「さっすが、異常で変で規格外!私もお嫁さんになっちゃおうかなぁ!」
シルフィがそう言った途端に視線が刺さる。
「な、何さ。いいでしょ、今さら二番手争いが一人くらい増えたって!」
そんなやり取り、我関せずとばかりに大海竜は近づいていた。




