ep.49 胡蝶蘭
ヘロンは街の地理を頭に入れながら宿屋周辺を見回っていた。出来ればもう少し足しを延ばしたい処ではあったが、そろそろエクレアも起きた頃だろうかと宿屋に戻る事にした。普段、自給自足の生活をしているヘロンにとっては朝、早いのには慣れているが、他人にそれを強要するつもりはない。宿屋に戻る前に一度、街の全景を見ておこうと高台まで来ると朝からは会いたくない見知った顔がそこに居た。
「おや、おはよう。確かレイがヘロンと呼んでいたかな。奇遇だね、こんな所で。」
「いや、そう爽やかに挨拶されてもなぁ。確かシルフィ……胡蝶蘭だっけか? 」
知らない人が見たら、とても敵対している同士には見えないかもしれない。けれど互いに隙は見せていない。
「そうだね。今は戦うつもりはないし胡蝶蘭の方で呼んでくれるかな。」
「それで戦うつもりのない妖界六禍戦の一人が朝っぱらからなんで凍国の領地内に居るの? っていうか、この国の警戒態勢どうなってるやら…… 」
すると不思議な事にシルフィは法王レクシスの弁護を始めた。
「いや、レクシスは良くやっているよ。普通なら、こんな極寒の地に出てくる魔物も獣も限られている。そんな限られた魔物や獣がこの国に入ってこれないのはレクシスの張った結界のようなもののお陰だからね。その所為で妖界から兵士を送り込めないから私たち六禍戦が直接動くしかないの。物量で仕掛けられないから凍国も六刃将で手が足りてるのよ。物量で仕掛けられたら市民に犠牲を出さずに戦うなんて普通は無理だから。話しには聞いてるけど、化面相手にそれをやってのけた貴方が変なのよ。」
「いや言い方……。変って事はないでしょ。別に一人だけでやった訳じゃないんだし。」
変と言われて思わず言い返してしまったが、問題はそこではない。
「で、何しに来た訳? 」
あらためてヘロンはシルフィに問い直した。
「じゃあ単刀直入に聞くけど貴方、何者? 」
「それを聞くために朝から御苦労な事で。レイって人から聞いてない? 僕は貴女方を倒す為に隣国から呼ばれてきたヘロンだって。」
「えっと、そういう表向きな話しじゃなくて知りたいのは貴方の正体。」
正体と聞かれてヘロンは怪訝そうな顔をした。
「正体も何も僕はただの青銅、Eランクの冒険者だよ。一応、冒険者ランクは世界共通な認識なんだけど? 」
「いやいやいや、変でしょ、おかしいでしょ? ただの青銅ランクが化面倒したりレイより速いなんて、ありえないの! それにレイがすぐに動けないくらいの衝撃で鎧だけ斬るってどうなってるのよ! てかレイの鎧って魔法とかじゃなくて、あきらかに剣で斬った切り口だったわよ! 抜いた処も剣も見えなかったけどね。異常よ変よ規格外よ! 」
捲し立てるシルフィが滑稽に見えてヘロンは思わず笑ってしまった。
「プッ……あ、ゴメンゴメン。あんまり熱く語るもんだから、ついね。」
ヘロンに冷静に返されてシルフィも少し恥ずかしくなった。
「見つけたぞヘロン! 」
そこへ不意に乗り込んできたブラスカの顔を見て、ヘロンは面倒なタイミングで来たなと思った。
「アトリさんというお嫁さんが在りながら姉さんを誑かし敵のシルフィと密会とは騎士の風上にもおけぬ! 」
「別に僕は騎士じゃないんだけど…… 」
この会話を聞いていたシルフィが大声で笑いだした。
「アッハッハッ! 相変わらず筋金入りのシスコンぶりだね、ブラスカ。こんな見晴らしのいい場所で密会も無いもんだよ。いくら妖嵐のシルフィだからって、あんたの姉さんみたいに人様の家庭に波風立てるような嵐は起こさないから。」
「姉さんを愚弄するなっ! 」
売り言葉に買い言葉、反射的に身構えるブラスカに対してシルフィはいたって冷静だった。
「微風が嵐に勝てるつもりかな? あんただけなら、ここで倒してもいいんだけど…… ちょっと今ん処そこのヘロンに一人じゃ勝てる気がしないから退かせて貰うわ。ヘロン、次はこんな御邪魔虫の湧かない処で会いましょ。その時こそ貴方の正体聞かせてネ。」
そう言い残すとシルフィは消え去った。
「くっ逃したか。ここでシルフィと何を話していた? 答えによっては容赦しないぞっ! 」
ブラスカはシルフィに対して身構えた剣をヘロンへと向けた。
「「待ちなさいっ!」」
二つの声と同時にヘロンとブラスカの間にアトリとエクレアが割って入った。
「ちょうど良かった! 聞いてくれ姉さん。アトリさんも。あいつはアトリさんというお嫁さんが居ながら姉さんを弄び、今もシルフィと逢い引きしていたんだ! 二人ともあの男に騙さ……」
この時点でブラスカの喉元に二本の剣が突きつけられていた。
「それ以上ヘロンを貶めるような発言をすれば嫁として看過出来ません。」
「客人に対する妄言、この姉を愚弄する発言、これ以上申さば一族の恥として処断せねばなるまい。」
「くそっ……どうして分かってくれないんだ!必ず化けの皮を剥がしてやる!」
ブラスカは剣を収めると、それ以上は何も言わずに走り去っていった。




