ep.46 懐疑的視線
早々に法廷を後にしたヘロンは疲れた顔でネージュの肩に手をやった。
「騙し討ちだろ! 法王猊下に謁見なんて面倒臭いから嫌だったのに。僕はネージュに借りを返したらとっとと帰るからね。」
詰め寄るヘロンだったがネージュからすれば予想の範疇だ。
「国王陛下が大丈夫なら法王猊下も大丈夫かと思ってさ。」
「おいおい、ここだけの話、レクシスが覚えてなかったからいいようなものの僕だって気づいたらどうするつもりだ? 」
「お互い大きくなったしヘロンは名前も変わっているから気づかないって。現に私の事も気づいている様子はないし。」
ヘロンとネージュのやり取りにアトリはモヤモヤしながら口を挟んでいいものか迷っていた。
「気づいてからじゃ遅いんだって。今の僕にはアトリっていう立派なお嫁さんがいるんだから!」
「いや、そんな、立派と言ってもらえるようなものでは…… 」
アトリは否定しようとしたがネージュが首を振った。
「いや、謙遜めさるな。多分ヘロンの嫁が務まるのは世界中探してもアトリさんぐらいなものだと思いますよ。これ以上、新婚さんの邪魔をしても申し訳ない。細かい話しは明日の朝にさせてもらいます。」
ネージュはアトリに一礼すると宿屋から出ていった。
「あの……ヘロン…… 」
二人っきりになり先程のモヤモヤをヘロンにぶつけようとした処で部屋の扉がノックされた。アトリが扉を開けるとそこには金髪の女性が立っていた。
「突然の訪問、失礼する。こちらはヘロン御夫妻の部屋で間違いはないか? 」
「え、あ、はい。」
夫妻と呼ばれる事に慣れていないアトリが戸惑いながら返事をすると女性は部屋の中に入ってきてヘロンへと視線を向けた。
「貴殿がヘロン殿か? 」
「そうだけど? 」
「私は凍国六刃将次席雷刃将エクレアと申す者。貴殿に一騎討ちを申し込みたい。」
アトリが剣に手を伸ばしたのをヘロンが視線で留めた。
「理由を聞かせて貰えるかな? 」
「猊下より貴殿が魔王や化面の者たちを退けたとは聞いた。しかし市中では退けたのは元勇者や魔王の娘がネージュの助けを借りて退けたのだと、もっぱらの噂だ。貴殿がネージュの知己とは聞いているが…… 」
「青銅では信用ならない……と? 」
「猊下やネージュが嘘を言っているとは思っていない。本当に実力の無い者であればネージュがわざわざ呼びに行った意味も分からない。だが、世間や兵たちの中には懐疑的に思っている者も少なくない。故に実力を証明して欲しい。」
エクレアの話しにヘロンは眉間に皺を寄せた。
「ええ、面倒臭い。世間や兵が信用してくれなくても、ちゃんと……妖界六禍戦だっけか。ちゃんと相手するから別によくない? 」
「そうもいかぬのだ。貴殿の知己という事もありネージュには内密で来たが、これは決まった事なのだ。貴殿が拒否すればネージュの立場も危うくなりかねない。」
ネージュといえば六刃将の筆頭、しかも法王がヘロンを認めているのだからネージュの立場が危うくなるような筈は無い、とは思ったがここは凍国、異国の地。ヘロンの来た国の常識が罷り通るとは限らない。万が一という事もある。渋々ながらエクレアの一騎討ちの申し出を受ける事にした。そして一騎討ちの当日、ヘロンはまたも頭を抱えていた。
「御前試合なんて聞いてないよ……。」
だが冷静に考えてみれば、ただ一騎討ちをしても世間にはヘロンの実力は伝わらない。闘技場に出ると、そこは満席の観衆が待ち構えていた。立場的にネージュは中立とならざるをえず、審判も懐疑派の可能性を考えると実質ヘロンの応援はアトリ一人だけだった。大観衆の声に聞こえる筈が無くとも精一杯の声援を送るアトリにヘロンは手を上げて応えた。そしてエクレアへと対峙した。
「悪いが本気でいかせて貰う。剣を構えよ。それとも魔法で立ち向かって来るか? 」
「あ、気にしないで。全力で来ていいから。」
「……その言葉、後悔せねばいいがなっ! 」
ヘロンの態度にエクレアのプライドが傷ついたのか目つきが変わった。そして審判の開始合図の瞬間だった。
「雷鳴剣っ! 」
エクレアは渾身の一撃を放った……筈だった。だが次の瞬間、ヘロンが地面を擦るような低さから一気に右手を振り上げると一瞬にしてエクレアの剣は真っ二つに折れていた。あまりに一瞬の出来事に誰もが自分の目を疑った。
「えっと……審判? 」
「あ、し、勝負あり。勝者ヘロンっ! 」
呆然とするエクレアを後にしてヘロンはアトリの元へと向かった。
「応援、ありがとう! 」
「わ、私はヘロンの嫁なのだから当たり前だ! 」
一方で呆然と立ち尽くすエクレアの元へネージュが歩み寄った。
「納得いったかい? 一番ヘロンの実力を疑っていたのは世間や兵ではなく君だろ? 」
「見ていたのだろ。何が起きた? 」
エクレアは立ち尽くしたままネージュに尋ねた。
「さすがに私でも見えなかったな、ヘロンの剣技は君よりも速いからね。」
ネージュの言葉にエクレアは冷や汗を流した。
「私には剣すら見えなかった…… 」
「まあ模擬刀で良かったじゃないか。ヘロンなら本物の雷刃であっても折りかねないからね。」
エクレアはアトリと共に闘技場を去っていくヘロンの背中をただ見つめていた。




