ep.15 複雑な心中
ヘロンをゴミと呼んだ兄をアイリスが睨み付けて言った。
「我、旦那様をゴミ呼ばわりするのは、たとえ兄者といえど許しませぬ! 」
「どの口が言うか! 」
さすがにアトリも呆れていた。
「だ、だからあの件については誠心誠意、旦那様に赦しを乞うつもりだと言ったろう! 」
アトリとアイリスのやり取りにアイリスの兄が首を傾げた。
「俺様はアイリスの兄、SSランクの盾士サルヴァス=アイギス。確かヒルンド家の宴にて一度、お会いしているな。騎士ブルフィンチ家の御息女アトリ殿と記憶している。」
「確かに私はアトリ。今はヘロンの嫁だ。」
「なるほど、このゴ…… 冒険者の嫁……嫁!? どういう事だアイリス! この男は妻帯者なのか!? 」
サルヴァスは狼狽えていたがアイリスは平然としていた。
「落ち着かれよ兄者。そんなもの今は、だ。旦那様は竜に盾を切り裂かれ絶体絶命の窮地に颯爽と現れ我を救い竜を倒し竜鱗の盾までくださったのだ。盾士として盾神レオニダスの信者として竜鱗の盾を賜ったからにはお受けするのは必定でありましょう? 」
「なるほど、それもそ…… いやいやいや、そうではなかろう! 」
危うくサルヴァスも納得しそうになってしまう。
「よいかアイリス。盾なら俺様がもっと良いのを買ってやるから、女房持ちなんかに貰った盾など返してしま…… 」
サルヴァスが全てを言い終える前にアイリスは竜鱗の盾をドンと構えた。
「見られよ兄者! 旦那様より賜った盾を! 板っ切れに小さな竜の鱗を貼り付けた安物ではない。正真正銘の一枚物だっ! 旦那様は我の目の前で竜を倒し、自らこの鱗を剥ぎ取ってくださったのだ! この意味が分からぬ兄者でもありますまい! 」
アイリスの突き出した竜鱗の盾はさすがにSSランクのサルヴァスといえども見たことのない立派な一枚鱗だった。
「…… つまりだ…… この巨大な鱗を持ち、お前の盾を引き裂くようなドラゴンをEランクの彼が倒したと? 」
「その通りだ。」
平然と答えるアイリスにサルヴァスも返す言葉が見つからないでいた。そこへメアが口を挟みに来た。
「しかもダーリンは頭もキレる。ドラゴンの頭をアイスボールで吹っ飛ばすとこなんてオレも初めて見たしな! 」
「ダーリン? アイスボール? 」
もはや情報量が多くてサルヴァスの頭では処理が追いつかなくなっていた。
「ひょっとして…… 失礼ながらアイリスの兄上は脳筋か? 」
アトリが呆れたようにアイリスに尋ねた。するとアイリスも若干、はにかんだように俯いた。
「…… 否定は出来ぬ。兄者の名誉の為に言っておくが防御力は王都でも最強を誇って…… いたのだが…… それも我が旦那様から竜鱗の盾を賜ったお陰で抜いてしまった。」
その後も一人でブツブツと独り言を言いながら考え込んでいたサルヴァスだったが、やおら立ち上がるとヘロンに歩み寄った。
「まあ色々と複雑な事情はあるようだが、何かあったら俺様を頼るがいい。義兄として手を貸そうではないか! 」
胸を張るサルヴァスだったがアイリスが不安そうに声を掛けた。
「兄者…… 旦那様の事は内密に頼む。下手に実力までEランクの者たちが…… 」
「いいや、皆まで言うな妹よ。相分かった! お前が正式に嫁の座を掴み取るまで伏せておけばいいのだな。アイギス家としても、その方が体裁を繕い易いしな。ヘロンと言ったな? 妹を泣かしたら俺様が許さんからな! 」
何をどう纏めたら、そういう話しになるのかはよく分からなかったが、下手に突っ込めば話しが余計にややこしくなりそうなので誰も突っ込まなかった。
***
「はあ、やっと帰ったあ…… 」
普段は自堕落ともいえる生活を送っていたヘロンにとって突然出来た義父母や自称義兄の相手というのは、化獣を相手にするよりも疲れていた。
「それにしてもアイリス、サルヴァス殿にあのような事を言っても大丈夫なのか? 」
アトリからの問いかけにアイリスは怪訝な顔をしていた。
「何がだ? 我は可笑しな事は言っておらぬぞ。」
「私は決して嫁の座を渡すつもりはないぞ? 」
それを聞いてアイリスは、なあんだという顔をした。
「アトリの立場はそれで良い。我は盾士、常に最前線に立つことを生業としている。故に陰でコソコソというのは性に合わぬのでな。正々堂々と嫁の座を奪ってみせる。」
「嫁の居る殿方を奪おうと云うのが正々堂々なのかは知らないが、剣士として受けて立とう。」
このアトリとアイリスのやり取りを眺めながら、気が合うのか合わないのか、よく分からないが修羅場にはならなそうなのでヘロンはホッとしていた。願わくば、これ以上厄介事は避けたいと思っていた。けれども厄介な事とは向こうからやってくる。そして嫌な予感ほど、よく当たるものである。ヘロンは家に近づく嫌な気配に気づいていた。その気配が家の前でピタリと停まると甲高い女性の声がした。
「ヘロンくぅうううん! ヘロン君はいるぅうううう? 」
一瞬、アトリとアイリスの視線を浴びつつヘロンが立ち上がろうとするとマリヴェルが制して扉に向かった。




