不完全な神、不完全な天才
東京都内のどこなのか見ていなかったけれど、見慣れない駅の近くにある駐車場へとバイクを止めてからヘルメットを取った。
はっきり言おう、彼女がここまで美人だとは正直思わなかった。キリッとした目のラインが格好良い感じを出しつつも、目、鼻、口のパーツは整っていてテレビの中のモデルが画面の外からやってきたみたいな衝撃を受けた。目はまさかの碧眼で、髪色は外国人も羨むほど綺麗なプラチナブロンド、もはや申し分のないほどに周囲の男性、女性の視線を集めていた。
「どうした、ヒトちゃん?」
「いえ、何でもないですよ。外国人の方なのかなと思っただけで」
「私は列記とした日本人だ。生まれと育ちは少しばかり特殊だけどな。まあ、その話はまた後でじっくりしようぜ。改めて、神鬼麗奈だ。よろしくな、ヒトちゃん」
「はい、よろしくお願いします」
彼女が手を差し出してきたので、俺がその手を取ろうとしたら急にぎゅっと抱き着いて来た。
むぐっ……、苦しい……。くそ、良い匂いがする……。頭が、くらくらする……。
麻薬を飲んだ人はきっと、こんな風に目の前が渦を巻いたみたいな幻覚が見えるのかもしれない。それくらい、彼女の抱擁は破壊力抜群だった。
彼女はようやく離れてくれて、悪戯っ子が浮かべるような無邪気な笑みを浮かべた。
「そんじゃあ、飯だ、飯! ヒトちゃんの飯を台無しにしちまった分もちゃんと奢ってやるからよ。好きな物を頼めよ」
神鬼さんは特に気にしている様子はなかった。そりゃ、子供相手に照れるようなことはしないか、彼女は大人のようだし。
彼女に連れられて、良さげな定食屋が近くにあったので入店した。
食券を事前に券売機で購入するタイプらしく、タッチパネル操作でメニューから良さそうなのを選定する。
悩んだ結果、思い切ってとんかつ定食に納豆をつけて、青さの味噌汁を豚汁に変更するという横暴をやってみせた。彼女は笑いながら千円札を突っ込んで会計を済ませると、自分は千五百円のうな重を頼んで味噌汁を買い汁に変更して二千円を突っ込んだ。
何というか、質が悪い大人というのは世の中によくいるものだと思う瞬間でもあった。
適当な二人用の席に座り、彼女と向かい合う。
こうして面と向かい合うと彼女の顔を正面から捉えることになるので、改めて彼女の美しさが際立って見える。ハリウッドにいるような有名女優と一緒にいると言っても信じてもらえそうなくらいだ。もはや、整形とかを疑うレベルではあるけど、初対面の相手でそれを疑うのはあまりに失礼というものだろう。彼女の美貌については、これ以上は触れないおこうと思う。
「それで、俺に協力してほしいというのはどんな事件なんですか?」
「まあ、まあ。そう早まるなよ。私たちはこれからバディを組もうって仲だ。まずは互いのことを簡単にでも知って友好的な関係を築いておこうぜ」
「はあ……。まあ、俺は別に構わないですけどね。そんな悠長に構えていても良いんですか?」
「いいんだよ。何事も落ち着きが肝心だ」
彼女は思った以上に理性的な人間なのかもしれない。初対面のインパクトが強すぎた為にイメージが完全に横暴で阿呆の子で自己中心的な暴力人間かと思ったけれどね。
「分かりました。取り敢えずは、俺のことを話せばいいですか?」
「そうだな。じゃあ、まずは通っていた中学校か、あるいは高校でも聞いてみようか。ヒトちゃんの通っていた大学は結構有名なところだし、割と学歴も良いんじゃないかって思ってな」
「最初に聞くのが趣味や好きな物じゃなくて学歴ですか。面白い切り口だとは思いますが、俺は中学にも高校にも通っていませんよ」
「なら、独学で大学に行ったのか?」
「いえ、五歳くらいから五年か、六年くらい『I7』っていう研究機関の研究プログラムに参加していましたから。そのときに高卒資格を習得しています」
「『I7』か。これまた、因縁のありそうな名前が飛び出してきたな。まさか、日本の大学に通う坊ちゃんがあの頭のおかしい研究施設出身だとはね」
「それに関しては、俺も同意しますよ」
『I7』というのは、とある英単語の頭文字を取った研究機関の名前だ。Intelligence, Identity, Idol, Interesting, International, Isolated, Infinityの七つのI。これらの意味はそれぞれ、知識(欲)、自己同一性、偶像崇拝、欲望、国際性、特異性、そして無限性であり、彼らはこの七つの心情を大事にしている蝶が付くほど頭のキレる研究者たちが集まる研究機関。
控えめに言って、変態共の巣窟、魔窟とも言える。あらゆる学問に精通し、物を識りたいと思う何者にも劣らに強い精神力であらゆる欲望を退け、学問発展のためなら如何なる特異な人間の、どんな考えも受け入れ、知識に対する一種の偶像崇拝とも言える狂気をもって無限に探究を続ける新人類たちが日夜研究に没頭しているのだ。
「それで? ヒトちゃんはどんな研究のモルモットにされてたんだ?」
俺は言おうかどうか少しだけ迷ったが、あの研究は既に頓挫しているし責任者もいないためバレたところで問題ないだろう。仮に物事が明るみになりそうになっても、研究機関の力でどうとでも情報操作するだろう。彼らはそういうことを平気である人間たちだ。
「俺が参加していたのは、『人工的に天才を創造する手段はあるのか?』という研究テーマのプログラムです。プログラムの中でもかなり狂気に近い研究だったとは思いますが、だからこそ参加できたんです。俺は元々孤児ですから別に研究機関が攫っても、例え事故で死んだとしても証拠は残らないでしょうし、都合も良かったと思いますからね」
「相変わらず研究のテーマが頭一つ抜けてるな。そんなこと、宇宙や人を創造するに至ったかもしれない神様的な存在でもない限りはできないだろうに」
「人工的に神を創造する研究だってやっている人たちですよ? 今更だと思いますね」
「言えてるな。あいつらの狂気にはもううんざりだ。しかし、別に不可能とは言い切れねえのが面白いところであり、あいつらの頭が硬いところでもある。天才を何と定義するかによって、研究の方向性は変わって来るだろうからな」
それは確かに言えている。何事においても、議論を進める上で相互の定義や認識を一致させておくのは大変重要なことだ。それが違うと、根本的に全く違うものについて議論することになってしまうので、擦り合わせは行う必要がある。
とはいえ、だ。
「残念ながら、あの人たちが何を以てして天才を呼んでいたかは分かりません。ただ、俺個人の意見なんですけど、天才は創れないと思うんですよ。どう頑張ったところで、元々優れた部分を持っていて、それを活かせるのを天才と呼ぶのであって、無理やり能力を引き延ばして育成した人間は限りなく天才に近い存在ではあっても、秀才だと思うんですよ」
「私は、そうは思わねえがな。どれだけ頑張ったところで、経験を積めば人より上手くなるのは必然のことだが、だからって誰しも達人級になれるわけじゃねえだろ? そんなちんけな訓練で達人になれるんだったら、それは紛うこと無き天才だと私は思うけどね。こればっかりは、にわとりが先か、卵が先かみたいな水掛け論になっちまって、永遠に決着は着かないだろうよ」
天才に関して、そういう意見を抱いている人もいるんだな。議論の良い所は、自分の価値観とは別の視点から多角的に物事を捉えることが可能になるところだ。この意見も、一つの参考として自分の頭の中に取り入れておくとしよう。
それじゃあ、今度はこっちの番かな。
「神鬼さんも、『I7』のことをご存じなんですね。因縁って言っていましたけど、過去に何か関わり合いがあったんですか?」
「奇遇なことに、私もあの研究施設出身だからな。ある意味、姉弟みたいなもんだ」
「へえ、それは興味深いですね。神鬼さんはどんなプログラムに参加していたんですか?」
「私はな、『人の手で神を創造できるのか』っていう研究に参加してたんだよ」
「まさかのタイムリーですね。今しがた、その話をしていたばかりじゃないですか」
彼女が実験の当事者とは思わなかったが、それなら彼女の容姿が良いのも納得ものかもしれなかった。彼らはとことん完璧を目指すから、だからこそ造形美にはこれ以上にないほど気を遣うに違いない。
「まあ、当然ながら失敗だったけどな。土台、神を人の手で創ろうなんて考え自体が間違ってんだ。人は神の代わりを創って崇めることはできても、人自体が神になれることなんてない。そもそも、人は神の創り上げた世界の秘密を解き明かすことだってままなってないんだからよ」
「神鬼さんは神様を信じてはいないんですね」
「当然。仮に神なんて存在しようものなら、私は直接会って色々と言ってやりたい事があるからな」
「色々ですか」
「ああ、色々だ。日本には八百万の神がいるみたいな考え方で、様々なもんに尊い魂が宿ってるって言うけどよ。別に管轄が違うとかそんなことは関係ねえ。私はな、こんな不完全な人間を作ってくれたことに感謝しつつも、人をこんなにも残酷な存在として確立させちまったことに文句を言ってやりてえんだ」
「どういうことでしょうか、それは?」
「人間はな、不完全だから努力ってもんができるし、不完全だからこそ人と違うところが多くて個性が輝くってもんだ。だから、こんなにも文明を発展させられてこれたし、多様性だって生まれることになった。皆が皆、大天才で差異がなかったら多様性は生まれねえから戦争も起きないだろうし、文明が発展することもなかっただろうよ。文明っつうのは、それ独自の文化であり、考え方の違いから様々なもんに派生させることが出来たんだからな。だが、不完全だったせいで戦争は起きるわ、人殺しは起きるわ、人種や考え方で差別は起こるわ、もっと完璧なシステムくらい用意してろって話だ」
「そんな無茶な……」
「無茶だろうが何だろうが、神様ならできるだろって話だ。神様がいてこの不完全な世界を放置してんなら、それは職務怠慢ってやつだと思うぜ。つまり、神なんて最初からいねえってことだ。今や、宇宙ですら監視できるような時代で見つかってねえほうが不自然だろ。強いて言うなら、神って存在は人の考え方や思想に宿るものってことくらいか」
結局、そこは宗教的な考え方に落ち着くわけだ。元々、神という存在は人々が「こんな存在がいるかもしれない、いてくれたら」という思いが形作る偶像崇拝なわけだし、元々いないというよりかは人々が存在していることを期待している曖昧で不確定な存在というのが適切な表現になるのかもしれない。
「……でしょうね。ファンタジーでもないなら、そんなことはあり得ない。そんな簡単な回答に、どうして世界の名だたる天才たちがたどり着けないのか不思議で仕方ありません」
「あるいは、認めたくないだけかもしれないな。それこそ、運命に抗うってやつさ。私たちは何故か、目の前に吊るされた明確な答えを信用したり、受け入れたりはできない。自分にとって一度でもあり得ないと思ってしまった事実を否定して考えようともしない。そこに思考の落とし穴があるとも知らずにな」
誰だって、目の前に明確な答えがあるならそれを掴めばいいと思う。何故なら、そこに求める答えがあって、果てなき探求はそこで終わるのだから。
しかし、彼らは無限に探究を続けたいがために、そこに終わりなき理想というものを幻視し、求めてしまうのかもしれない。自ら果ての無い旅へと舟を漕ぎだし、いつまでも、いつまでも漂っていたいのだろう。
残念ながら、その気持ちを完全に理解することはできないけれど。
確かに、有り得ないと一度でも思ってしまうと引き返すのは難しいかもしれない。
何故なら人は説明できない物、つまり未知に対して畏怖を抱き、その恐怖を受け入れたくないと少なからず思っているからだ。
ほら、こうして会話していても自論を持ち出しては自分の意見を否定できないでいる。それこそ、確固たる証拠じゃないかと俺は思うんだけどね。
「それで、その『I7』出身の神鬼さんは今、何の仕事をしていて、どんな事件を追っているんですか?」
「そうだな、そろそろ本題に入るべきだよな。今は手帳がないから身分は証明できないが、私は特殊現象捜査官っていうのを個人事業でやってんだ」
「特殊現象捜査官?」
「ああ。人の手に負えないような事件を誰かから請け負っては解決して世界中を回ってる。今回の事件は、まさにその類のやつだ」
「その事件はどんな奴なんですか?」
「それはな……」
「お待たせしました。こちら、ご注文のとんかつ定食とうな重になります。ごゆっくりお過ごし下さい」
「うわあ、旨そうだなあ。来たよ、これこれ。まずは腹ごしらえ、事件については実際に現場に行ってからだな」
「……いただきます」
何ていう間の悪さだ、と心の中で店員に向って愚痴ったが、別に彼女が悪いわけじゃないし、むしろ料理を運んできてくれたのだから感謝しないといけないだろう。
神鬼さんから奢ってもらったとんかつ定食の豚汁変更は、とても美味しかった。