偽りの“執行人”であり凡夫な彼が選ぶ道
絶望に噎び泣く中、私の脳内に聞こえてきたのはマナの声でなく、悔しくも忌々しい■の声だけ。
■の声を聞くのは随分と久しぶりで、私はしばらく■の声を聞いていなかった。そもそもこいつの声を最後に聞いたのは私がこの世に生まれるあの瞬間——私は何者にも成れないと言う呪いを吹き込まれたとき以来だ。■が私の眼前に姿を見せたのだって今が初めてだった。
■とはいえ、あからさまに人を馬鹿にする■の態度には腸が煮えくり返る。しかし■は憐憫と救済の意を込めて私を見つめている。
認めなさい、と。悔いりなさい、と。
あなたがいくら他人の命を天秤にかけようと、彼女の命は助からないのだと■は言う。
「なぜなら、彼女は生まれ変わってしまったから。もうマナと言う少女ではなく、原初の災厄と化してしまったがために」
「——え?」
よくご覧なさい、と■は私の意識を手にとっては再び普遍無意識の奥へと連れていく。そして私が連れて行かれた先にあったのは正に地獄のような光景だった。
先程まで転々とあった他者の意識は、悉く狩られていた。
悲鳴を上げ、助けてと乞い、死にたくないと言う言葉だけがこの普遍無意識下で渦巻いている。
「今、原初の災厄が人々の意識を喰っています。そしてもう1度彼女の意識があったところをごらんなさい。あなたが討つべく敵はそこにある」
その言葉に従って、私は先程までマナの意識があった個所に再び目を凝らす。
するとそこには確かに彼女の意識があったが、それはなにかと同化していた。
原初の災厄と言う存在こそ知りはしないが、それでも彼女と同化していたもう1つの意識は確かに人のものではないことを私はすぐさま理解する。
人? いいや、これは人ではなく、■と同じく化け物だ。
「今後、あなたがどちらを討つか判断はあなたに委ねます」
そう■は静かに私へと告げ、1人この場を去る。
私はただ悲鳴と混乱が渦巻く意識の中で、ただ化け物と向かい合う。しかし、その化け物とやらが私へと意識を向けた瞬間。
「ソフィア、久しぶり」
そう、マナが私に屈託のない笑みで笑いかけた瞬間、私は彼女と言う悪に魅入ってしまった。
微笑う彼女の笑みには明らかに底巧があったが、それでも私の目には幼い頃に見てきたマナの無邪気な笑みと重なってしまう。
ああ、なんだ。結局は同じじゃあないか——と私は1人で納得する。
そもそも、私はマナのことを美化しすぎていたのかもしれない。これについてはここ数年間でずっと考えに考え続けていた。
彼女の意識へと触れれば、彼女の本音が嫌というほど知れた。
なにせあの明るい笑みの下には、いつだって憎しみが孕んでいた。
それは親に、村人たちに、友人にと誰1人例外などなく。無論、あの男——リアムも彼女が憎悪向けている対象に違いなどなく。
薄汚く、醜悪くその憎悪は、何故か私が見てきた人の“憎悪”という感情の中でひと際輝いて見えた。それを否定はしない。
「なんですか? マナ」
私はそう答え、全ての答え合わせをしようとする。
本当にこの醜い存在は、マナなのか。それともただの化け物なのか。その答え合わせは一瞬で終わり、彼女の微笑みが彼女が如何なる存在なのかを語っていた。
「私に力を貸して欲しいの」
その笑みは確かに醜いけれど、幼い頃に見た笑みと変わらず美しかった。
確かに、今私の目の前にいる存在は、マナだけれどもマナではない。
正しく言えば、マナと災厄という存在が同居した存在。しかし、それこそが彼女の在るべき姿だったと目の前に広がる光景が物語っている。
今まで手など届かず、救うと言ってもこの手を跳ねのけられてきたこの数年間を得て、彼女は今、私に助けを求めている。
無論、男として私が取るべき答えは是。
そしてなにより、私はここで初めて、ここ数年で生まれた傲慢な自分を恥じた。
確かに私はあらゆるものを手に入れてはいる。ああしかし、それで?
じゃあ、目の前にいる災厄のように全てを壊せる覚悟などあるのか?——と問われれば、首を横に振る。
いいえ、違います。
今まで私は、ビジネスとして、自身の加虐心を慰めるために人を殺めてきました。
しかし、あなたはそうではない。
誰1人として取りこぼさず、ただ憎いという理由1つで全ての人類と心中する。そんな悪意がある。
そしてその悪意は、マナにもあったことだったから。
いつしかマナは、洞窟の中で泣きながらこう懺悔していた。
―—神様、私は全てが大嫌いです。
家族も、友達も、大好きなリアムも。けれども1番嫌いなのはこんな全部を嫌うことしか出来ない私なのです。
こんな醜い私が願っても、何も叶うわけないのは知っています。でもそれでも私はこの願いを叶えたいんです―—なんて、悲痛で切実な願いを私は毎晩確かに聞き届けていたから。
彼女が私に微笑みをこぼした瞬間に、私はこの普遍無意識の中に張っておいた固有結界を発動させ、今彼女が思い返している世界を固定する。
「……これで、堂々と話せます。誰1人としてあなたの心のうちは漏れません。それを聞くのは私だけです」
そう言い、私は構築されていた過去の自分の殻を脱ぎ捨て、彼女に跪く。
「あなたの願いならば、このソフィア・アールミテが全て叶えましょう。……なんでも構いません、誰を殺せだとか、呪えと言う些細な命令でさえ。あなたのためならばいくらでもこの手を汚せる」
ああ、そうだともと私は胸中で納得する。
私は彼女のためならば、何でも捧げられる。
他人を呪うことも殺すことなど容易く、如何なる不条理さえも今度こそねじ伏せて見せる。
その一心は、私を人殺しから忠臣へ生まれ変わらせるのには十分過ぎた。
「私の操る断罪刃も全てあなた様のために。あの憎き男の首さえ落としてみせましょう」
むしろ今まで善意で他者の為に奮ってきた正義の刃は、あの男の首を確実に落とすためだけに研ぎすますと私は宣言する。
すると、彼女は微笑んで。
「ありがとう。私の忠実なソフィア」
下僕、なんて他の人間にいわれてしまえば、私はきっとそいつの首を落としていただろう。しかし彼女にならばそう称されても構わない。
むしろ酷く甘美で、私の胸を冷たく締め付ける。
決して幼少の頃の恋は実らないけれども、今私は彼女の忠臣として傍にあれる――私はそんな不確実で存在しなかった未来を引いた。
と同時に、私は彼女に自身が知りうる呪術の智慧を全て預け、文字通り彼女へ全てを捧げる。そしてその対価とは、不幸なことにも欲を捨てたからこそ得る呪い。
以後、私は彼女のために、この呪いと呪術を用いて、2年に渡り、あの男を殺すための策を立てることとなる。
きっとしばらくのうちは、あの男も幸せを享受することだろう。
しかし、それらは全て嘘であり、虚飾でしかない。
それを奴が知ったときこそ、彼女と私の物語は始まる。
この日、私は■を討っては弓引いた反逆者となった。と同時に2年後に来るであろう災厄の忠臣として身を尽くす未来もここに確定した。
本編ではソフィアが原初の災厄と普遍無意識下で出会い、そこでソフィアが忠誠を誓っていたわけですが、実はこんな裏側がありました。
ソフィア自身、未来視も兼ね備えていますが、彼の本質上その人間(相手)が如何なるものかを見抜くというチートさも兼ね備えています。
「あなたはどちらを選んで討つか」…そんな人生の選択で彼が選んだのは、原初の災厄という悪に魅了され彼女(彼)に下ることでした。
まぁ、下僕と呼ばれて喜ぶ彼の性癖はこの際置いておきましょう。
次回はちょっと視点が変わります。