そうして彼は“彼女”と出会って生の喜びを僅かながらに知る
口に出来ない秘密は、私をさらに苦しめていく。
本当なら、周囲の人間にこの生い立ちを告白してしまいたかった。
私は父母から疎まれていて、学校にも行けず、さらには食い扶持を減らすためにこんな場追い出された可哀そうな人間なのだと。
一緒に屋敷から来て頼れるはずの使用人は私をを見捨てているから、私は自身の力で生きて行かなければならないのだと。
それに比べたら、お前たちは恵まれているのだと。
しかし、その真実を聞いたからとて村の子どもたちはこう返すだろう。
ああ、それで?
けれどそれは、お前にも悪いところがあったのだろう?
最初からなにもなかった俺らたちと一緒にするなよ。
そう言った妬みや、無慈悲な暴言や差別は、私にとってはこの世で1番恐ろしいもので、こんな力のない子どもたちに屈してしまう私が大嫌いだった。
私は毎日周囲の人間を恨み、憎み、自分自身さえどんどん貶しては恨んでいく。
こんな生活を1年も続ければ、僅かにあった自尊心など粉と化すのも時間の問題である。
実際、この村に来て1年が経った頃の私は抜け殻のようであって、大人達からの相談を受けてもどこか上の空だった。
なぜ私達が大人たちの相談役になれていたのかと言うと、私自身が信頼されていたわけではない。
理由は簡単、私がアールミテ家の人間であったから。
いずれ近しい仲になってしまえば、気に入られれば、いつかは自分たちもなにかしらのお零れを貰えると言った大人達の浅はかで卑しい本心が透けて見えていた。
学校には一応、私と同じく嘲笑の的になっていてどこか抜けた子どもたちの面倒をみるために通ってはいる。だがそのうちそんな建前もいつか無くなるのだろうなと私は薄々勘づいていた。
そして今日もひとしきり学友たちから揶揄われた後、私は本業をこなし、後は適当に教室にある自分の席で本を読んでは時間を踏み潰していた最中のこと。
「えっと……ソフィア、君?」
突然、私の頭上から柔らかくもたどたどしい声が聞こえ、私は顔を上げたが、すぐに手元にあった本で自身の顔を隠す。
すると周囲にいた子どもたちは嗤い、その嗤いは教室内へ伝播していく。
「おいおい、マナ。そいつに声かけたって無駄だって。いつだってそいつは人に声をかけられたら逃げるのに」
そう、私はいつもそうだった。
これはアールミテ家の屋敷にいたときからの悪癖だったし、この村に来てからはその内気さに拍車がかかってしまった。
元来あった私の内気さは、恐怖と侮蔑の言葉で折れた自尊心が羞恥へと変わった結果だ。
私はまたこの場から逃げようと席から立ち上がるも、マナと呼ばれた学友が私の腕を掴んでは引き留める。そして嘲笑が伝播するこの空間で大きく息を吸ってはこう言った。
「確かにソフィア君は恥ずかしがり屋だと思うよ? けど、この間お姉ちゃんがソフィア君に相談に乗ってもらって助けてもらったって言ってたもの。信じられる? 彼のアドバイスでお姉ちゃんの頭痛持ちが治ったのよ?」
瞬間、嘲笑に満ちたこの空間に戸惑いが広がっていく。
先日、彼女の姉に「頭痛を緩和させる方法を教えて欲しい」と相談されたので、私はそれに対しアドバイスをした。
私は彼女の姉から相談されたとき、すぐに片頭痛だと理解したから、まず片頭痛は日常的にあるものだと説明したのだ。
その上で、なにが原因で起きるのか、控えた方がいいものや片頭痛を緩和する方法を教えただけ。
どうやらもらった相談料以上の対価があったのかと安堵したが、そのとき私はある違和感を感じた。
なぜ自分は今、自身が受けた相談で役に立てたことに喜んでいるのだ? ——と。
こう言った相談役は、あくまで自身が生きて行く為の術だ。決して善意で行っているわけではない。
だと言うのに、私の持っている知識で誰かが救われたことに、喜んでいることが気持ち悪くて仕方がなかった。
私が違和感に戸惑う中、一部の学友達は私を見てなにやら密かになにかを悪口を言っているようだった。
どうせ、あんなやつにそんなことが出来るわけがないとでも思っているのだろうが、事実マナと言う証人がいる。
そして私の自尊心を救うきっかけとなった幼い証人は、私に微笑む。
「私、最近歌に興味を持ったのだけれど上手く歌えなくて……。ソフィア君はなんか知ってるかなーって」
そう頬を掻いて照れる彼女に対し、私は小さく頷く。
「けど、発声方法って声が通ってしまいます……からっ、ここじゃ迷惑になるかも……しれません……」
恥ずかしいと言う一心でたどたどしく答える私を見て、マナは「そっか」と言い私の腕を掴んだまま自身の方へと引き寄せた。
「なら別の場所にいきましょう? ……残念ながら私の友達もいるんだけど、みんなもいいよね?」
「え、ええ……。マナがそう言うのなら」
マナの隣にいる学友たちは戸惑ってはいたが、彼女らの言葉の通り、彼女が言うのならと特に私を拒むことはしなかった。
この後、私はマナに歌唱法の指導をし、これは十数日ほど続いた。
最初彼女の歌声は聴くに堪えないほどのものだったが、発声方法と音程の取り方を1から教えたことで、みるみるうちに改善されていった。
しかし、ここにはオルガンもバイオリンもないから、私の音感のみが頼りだったが、マナはいつも私が歌い方を教えれば目を輝かせてはこう言ったのだ。
「ソフィアの歌声ってすごく綺麗ね! まるで本物の歌手みたい!」
「い、いやっ……そんなことは……っ」
マナに褒められるたび、毎回私は顔を赤くして小声で「大したことはない」と自身を卑下した。
しかしマナはそんな私を見るたび「男の子なんだからしっかりなさい!」と背中を叩く。
「ソフィアはすごいのよ? リアムなんかに比べたら頭もいいし、今もこうやって色々教えてくれるし……。面倒見もいいんだから自信を持ちなさいよ」
「いや、でも……」
こんなのは、私にとっては当然なのだ――と言う謙遜が口から出かけて私はそれを必死に飲み込む。
既にこの身に染みて学んだことだが、私が出来て当然のことはこの村にいる同い年の子どもにとってはありえないことなのだ。
歌唱法も、物理学や薬学などの知識も、簡単な計算方法さえも。全部私が一応伯爵家に生まれたからと言う前提がある。
その謙遜を呑み込んだ瞬間、マナは私の戸惑いを理解していたようで、小さく苦笑する。
「私は詳しくは聞かないけど、ここに来た理由もなにかあったからでしょう? 多分、きっとそれは貴方のせいじゃない」
苦笑と共に投げかけられたその一言を聞いた瞬間、私は初めて胸が高鳴る感覚を覚えた。
それは喜びのようでいて、自尊心が、無慈悲で汚い過去が少しだけ洗われるような――なにより、優しく微笑む彼女がこの世で最も美しい存在に見えた。
今思い返せば、これが私の初恋だった。
だから、私は後々にマナの隣にいる男——リアムと言う男を執拗に目で追うことになる。
リアムは村では『東洋のある英雄の一族』と称した一家の生き残りと言われていて、私と同じく村の中では嘲笑の的で、いわば同族であった。
根暗で私と同じく、人間による不信で瞳を濁らせ、今日生きていくことさえ苦しいと切実に訴えていた。
そんな自壊衝動を不愛想と言う仮面で隠している彼だが、彼……否、奴はマナの隣にいたときだけは抱えた自壊衝動や世の中の絶望から解放されていたのだ。
マナの言葉に振り回されて戸惑い、ときには笑う――そんな畜生ではなく人間らしい表情をするのを知った瞬間、私はマナによって救われたはずの心が壊れそうになった。
ああ、知っている。例えどれだけマナと仲が良くなっても勘違いなど出来ない。
彼女の優しさが、決して私だけのものではないことぐらい理解しているし、そうであるから私は彼女を女神と呼んだ。
マナを女神だと呼んでしまったのは、私の失態だ。
いつものようにマナは私をすごいと褒め立て、私は気を良くした瞬間、気を緩ませてうっかりと彼女を女神のようだと口を滑らせた。
おかげで一部の学友が私を揶揄うネタが1つ増えたが、私としては些細な告白をしたようなものだった。
現に彼女も、あれが告白だと捉えたのか顔を赤くしては「ありがとう」と笑っていた。
ただ受け流しただけだけれど、それでも彼女は私の言葉を否定せず、ありのままで受け止めてくれたのだ。
それが如何に私にとっての幸福であったか。
しかし、その幸福は、彼女の優しさは他の男も享受出来る有限の産物なのだと思えば、いつだって胸が締め付けられた。
結果、私は影で一方的にリアムを敵視していた。
私の敵視についてはリアムも薄々気づいていたようだったが、奴は私に興味がないと無視し続けていた。
私はそれが酷く気にくわなかったが、この憎悪だけは必死に嚙み殺す。
そして、6年後。
数年に渡り起きていた戦争が長引き、戦火の火はこの村にさえ届きそうな距離に近づいた頃、国から徴兵令が下った。
はい。忘れかけているかもしれませんが、ここでようやくソフィアにとっての女神降臨です。
にしても、たどたどしい少年時代のソフィアが可愛いですね。しかもうっかりマナを公衆の面前で女神と称するので彼もロマンチックですね、リアムと同じで。(しかも変な方に拗らせているのも彼らの共通点)
後、マナが滅茶苦茶リアム君をdisってますが、それでもこいつリアム君のこと大好きなんですよねぇ……。なんなんでしょうか、この2人の関係性って。
なによりソフィアが完璧超人すぎて、本当にこいつは凡夫か?と思えてしまいますねぇ……。