第一幕:犬君、結婚を機に二条院を出る☆
京都・二条院西の対
舞台奥、光源氏が職人に作らせた、内裏の模型が飾られている。
若紫(十三歳)、紙製の男雛を持って、少納言(乳母・三十三歳)、
右近(女房・二十三歳)、
犬君(女童→女房・十七歳)たちと話をしている。
犬君は小袖の右を肩脱ぎ。
犬「突然ですがわたくし、結婚します」
驚く一同。
少「ずいぶん急なのね。それで、お相手は?」
犬「わたくしのまたいとこで、大江高章と申します。今年、越前に小掾として赴任が決まりましたので、わたくしもついていきたいと存じます。長らくお世話になりました」
若紫、人形を取り落とし、立ち上がる。
紫「なぜ? 夫君だけ赴任して、奥方は都で勤めを続ける人も多いでしょう?
犬君もそうしたらいいのに」
犬「夫が、ついてきてほしいと申しますし。それに、わたくしも、この二条院を出たく思っておりましたので」
紫「ええっ?! 犬君はここが嫌だったの?」
犬「正直言って、そうです」
驚く一同。
少「めったなことをいうものではないわ。都中探したって、ここより良い勤め先はないのよ」
右「そうですよ」
紫「犬君、ねえ、何が不満なの? 教えて? お兄様に頼んで何とかするから」
犬君、扇で膝をポンと叩く。
犬「実を申しますとね、その『お兄様』ですよ、わたくしが嫌いなのは」
紫「どうして」
犬「うまく申せませんが……『お兄様』が姫様を見るときの目が嫌です。まもなく、悪いことが起こる予感がするんです。
姫様、犬君の最後のお願い聞いてくれますか?」
紫「私にできることなら」
犬「では、今から兵部卿の宮の屋敷に逃げてください」
紫「お父様のところへ……?」
若紫、困って少納言を見る。
少「宮様の北の方は意地悪だから。ここにいたほうが安全よ」
犬「少納言は黙っていて下さい。
いいですか。姫様は、外腹とはいえ、れっきとした兵部卿の宮の姫。しかも、亡き尼殿が心を砕いて、教養高く美しくと育て上げた、傷のない珠。殺到する申し込みのなかから、ご自分自身で夫を選ぶべきなんです。どうです、犬君のお願い聞いてくれますか?」
若紫、少納言と犬君を交互に見て、うつむいて人形をいじくる。
犬「……逃げられないんでしょう、姫様は。むしろ、ここにいたいんでしょう。わかっています。あれは、女を幸せにできる男ではないのに。
当のご本人は、いつまでも人形なんか持って! あの男の名前を付けて。
ああ腹立たしい、口惜しい。ええい!!」
犬君、雛人形の内裏の模型を壊しはじめる(乱拍子)
少「何をするの?! 右近、犬君を止めて!」
右近、犬君を羽交い絞めにしようとして振り払われ、転ぶ。
少納言、見所(客席)に向かって叫ぶ。
少「誰か来て!」
人々が駆けつける音がする(音だけで可)。
犬君、追いすがる右近を振り払い、足音立てて橋掛りより退場。
一同、呆然と見送る。
第一幕終。
犬君(女童姿)by澳 加純様
小掾……官位の名。