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横浜ベイサイドスタジアム

 横浜ベイサイドスタジアム。プロ野球チーム横浜DNAシリウスの本拠地である球場がソフトボール試合会場として使用されている。駆けつけた観客はのべ34000人で満員。平日でもこの入り具合だから、やはり国同士の威信を賭けた戦いは特別だと思わされる。


 試合前のシートノックを終えた下村紀香は一塁側ベンチの前で、埋め尽くされた観客席を見つめていた。まだ夢の中にいるような心地が抜けきっておらず、幻でも見ているかのような錯覚に陥っていた。


「とうとうここまで来たんだなー……」


 スポーツ推薦で受験した高校を、半分は自業自得とはいえ不合格になり母親のツテで星花女子学園へ。当時は大して強くもなかったから一年から四番打者として使ってもらい、お山の大将で終わるかと思いきやチームはどんどん強くなり、主将になった年にとうとうインターハイへ。卒業後は実業団チームに入ったものの、打撃以外がイマイチで左利きとあって守れるのも一塁と外野ぐらいなものだったから強豪チームからのお誘いはなかった。そこで監督のツテでクジテックという金属リサイクル事業を営む企業を紹介してもらったが、そこのソフトボール部は一度も一部リーグに上がったことがなかった。ただし勤務先は埼玉で実家に近く、かつ給料も悪く無かったからすぐに入社を決めた。元々選択肢は無かったが。


 チーム事情故に星花女子時代と同じく一年目から主軸を張ったが、期待以上の活躍を見せていきなり本塁打王と打点王の二冠を獲得。二部とはいえルーキーイヤーでの快挙達成に会社側も喜び、チーム補強に力を入れてくれることになった。その甲斐あって翌年には二部リーグ優勝、入れ替え戦で初の一部リーグ昇格を果たした。以降は優勝経験はないものの、昨年度のリーグ戦ではシーズン本塁打記録を塗り替えて本塁打王のタイトルを獲得。そして東京五輪日本代表に選ばれて世界の強豪と戦い、最大のライバル、アメリカと金メダルを賭けた決戦に挑もうとしている――


「紀香」

「おお!?」


 後ろから急に肩かれて、過去に飛んでいた意識が現在に引き戻された。振り返ると、雲宝薫(うんぽうかおる)の姿があった。高校時代から幾度となく戦ってきているライバル左腕だが、彼女もまた日本代表に選出されていた。ちなみに所属先は自動車部品メーカーで、商業高校出身とあって経理職を勤めている。


「急に話しかけんなよ! びっくりするじゃねえか!」

「下野さんが呼んでるんだけど」

「え」


 紀香は血相を変えてダッシュでベンチに戻った。薫もついてくる。何でついてくるのか、と問いかける余裕は全く無い。


 下野登紀子(しものときこ)。12年前の北京五輪での熱投でその名前を世界に轟かせた日本ソフトボール界のレジェンドである。その下野に手招きされ、二人はベンチ裏に向かった。


「な、何でしょうか?」


 レジェンドの前では紀香でも直立不動となり、声が震える。粗相をやらかした記憶は無いのだが。


 下野は紀香が小学生だった頃にはすでに日本代表のエースとして君臨しており、憧れの存在である。一部リーグに這い上がってようやく同じ舞台に立てたのだが、初対戦した際に世界最高速を誇る直球で金属バットを真っ二つにへし折られるという洗礼を浴びせられて、畏怖の念はますます強まった。そういうわけで、下野は紀香にとっては数少ない頭の上がらない人物である。


「お礼を言っておこうと思ってね」

「へ?」

「私がこうして再び、オリンピックで投げられるのもノリちゃんや薫ちゃんのような若い子に刺激を受けたからだよ。ありがとう」

「そ、そんな……」


 紀香と薫は身を震わせた。レジェンドにありがとう、などと言われたら感激するしかない。


「私にとっては多分これが最後のオリンピックになる。次のパリじゃソフトボール競技は除外されるし。だけどその次のロサンゼルスではまた復活するかもしれない。そのときにはあなたたちが日本代表の柱になって欲しい。下野登紀子だけじゃなく、下村紀香に雲宝薫もいるんだってところを、今日の試合で日本中に見せつけてあげよう!」


 二人はとてつもなく大きな声ではい、と返事した。下野がその場を離れてもなお、動くことはできなかった。


「なあ薫」

「何?」

「お前、すんげー体震えてるぜ」


 暑さ厳しい夜にも関わらず、薫は体をガクガクと震わせていた。それが緊張から来るものではないことは紀香が一番よく知っている。紀香もまた、同じ状態にあったからである。レジェンドから未来を託されて、もしも試合が間近に迫っていなければ人目をはばかることなく喜びを思う存分に暴発させていたかもしれない。


「人のことより自分の心配をしたらどう? 空回りして三振ばっかすんじゃないわよ」

「お前もちゃんと投げろよな。下野さんのリリーフに失敗したら日本中からボロクソに叩かれるぞ」

「……」

「……」


 二人は見合い、笑って拳を合わせた。普段はライバルだが今は世界一を目指す戦友である。


「おーし、いっちょう金メダル取ってくっか!」

「ええ!」

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