第75話 反転
僕らはエントランスに戻ってから、フラムと一緒にまず全員に謝った。
「取り乱してごめんなさい。」
彼女がそう言って頭を下げたのに合わせて、僕も一緒に頭を下げた。
「俺の方こそ悪かった。」
緋色君がそう頭を下げ返して、こちらに手を差し出した。フラムはその手を取って握った。
お互いが握手したその光景を見て、皆は何処かホッとした様に見えた。
「ダスト校長が黒幕かどうかは、ちゃんと俺らの目で真実を確かめに行こう。」
緋色君がそう言った後に、フラムは頷いてから答えた。
「分かった。アタシは今、お爺様に会ってちゃんと話をして、それが嘘でも本当でもいい様に覚悟を決めたわ。」
フラムが言葉を返した後、その後に続けて霧ヶ谷が言った。
「じゃあ、転移魔法で戻りましょうか。」
描かれた紋章は煌めき、そしてその中にこの中に居るそれぞれが身を通して行った。
〜
薄暗い灰色の部屋。並ぶカプセルの中には見た事の無い様な生物が、培養液に浸されて丁寧に保存されている。
プレートには[融合思念体]下の記録には、その生態系が事細かに詳しく記されている。
「ダスト校長、これらの処分はどうしましょうか。」
そこに居たのはダストと言う名の髭の長い老人と、それの隣に並ぶ名も無き優秀な配下。ダストはゆっくりと口を開いてその配下に伝える。
「後回しにしておけ。今、大事なのは歪みを発生させている装置の方だ。あれは世界の根底を揺るがすかもしれぬ。」
ダストからそう言われて、配下は答えた。
「分かりました。」
彼らはここに調査に来ていた。ダストと配下はカプセルの間を通り抜け、そのさらに奥にある広場に出た。
そこには、歪みらしき物を故意的に発生させている装置と、人が一人入れるだろうカプセルが置いてあった。
「すぐに破壊しなければならない。ワシの計画において、あの装置は存在してはならぬ物だからな。」
その装置の事を、ダストはアルテミアから大まかに聞いていた。結局制作者であるオルサー無き今では用途も分からないその装置だが、歪みを発生させている事は紛れも無い事実である。
この世界において歪みは魔物を出現させ、普通に暮らす民を脅かす存在である。魔法使いはそれらと戦う使命を負っており、破壊する義務を持っている。
だが、今回ダストがこの装置を破壊するのは魔法使いとしての義務の他にもう一つ、彼には理由があった。
「…さらばだオルサー。」
そう呟いてからダストと配下は紋章を展開し、無数の雷撃が装置を攻撃する。部品は飛び散り歪みは消滅して、そこには鉄屑となった装置の残骸だけが残った。
これで装置は完全に破壊されたはずだった。だが、それと同時にダストの目の前には、小さな歪みが無数に集まり始めた。
「用心しろ…オルサーが何か最後に仕掛けた罠かもしれぬ。」
配下を後ろに下げて、それと対峙するダスト。彼が臨戦態勢に入るのと同じ様に、歪みはその姿を膨らませてゆく。
それが人が一人通れそうな大きさに変化して、形は落ち着き安定した。
「オルサーの犠牲は無駄じゃなかった。彼は間接的に世界を救ったのだから。」
その声はアリスタによく似ていた。若く声変わりが来る前の幼い声色。歪みからその身を出現させた彼はダストの前に立った。
黒い髪と光を失った赤い眼。ボロ切れの様なグレーのTシャツと、擦り切れたジーパンに、履き慣らされた登山靴。
この魔法がある世界とはかけ離れた姿をした彼に向けて、ダストは声をかけた。
「お前は誰だ?」
その問いに彼は笑って答えた。
「ボクは何者でも無いよ。ただ、世界をありのままに戻す為の存在さ。」
黒髪の彼がそう語り終えてから、ダストは杖を構えて臨戦態勢に入った。しかし、黒髪の彼は驚く様な事は無く、むしろ落ち着いていた。
それを見たダストは冷酷に吐き捨てる。
「ならば殺すしかあるまい。ワシの楽園は誰にも奪わせる訳にはいかん。」
紋章を描き終えて、いつ攻撃されてもおかしく無い様な状況にありながら、黒髪の彼は動じる事無くダストの瞳を覗き込んでいる。
そして何かを見通す様に言った。
「君が今使った紋章魔法。それは何かを代償にする代わりに、それに見合った奇跡を起こす禁術だ。」
彼はダストを諭す様に、その話を続けていく。
「ただ、この紋章魔法にはある大きな欠陥があった。それは代償に世界を指定出来てしまう事だ。それこそ禁術たる所以なのさ。」
杖を持つ手は震えている。ダストは蛇に睨まれた蛙の様に、その場から動けなくなっていた。
一方で黒髪の彼は乾いた笑みを浮かべていた。嘆く様に赤い瞳を曇らせている。
「理由は知らないけど、幼い頃の君は紋章魔法を使い世界を二つに分けた。そして片方を自分の楽園として、もう片方の世界を紋章魔法の代償にしたんだ。」
そして彼はダストのやった事を、最初から全て見てきた様に語り始めた。その様子は何処か浮世離れしており、ダストは怯えた。
「更に君は性質も捻じ曲げた。紋章魔法を使えば誰もが代償をその世界にしてしまう様にね。その後、君の楽園に住む無垢で純粋な人々に君は教えて広めた。結果、一人だけで無く無数が禁術を使ったせいで、耐えられなくなった世界は悲鳴を上げた。」
一通り話し終えてから黒髪の彼は、ダストに懇願する様に言った。
「もうボクの居たあの世界は、君の強欲な願いを支え切れない。だから紋章魔法を使うのを辞めてくれ。」
だが、その様子を見てダストは後退りしながら杖を改めて黒髪の彼に向けた。その瞳には強い敵対心が宿っている。
「断る。ワシの理想にあの世界は必要無い。消えろ忌まわしき魔物めが。」
ダストの声と共に打ち出された無数の雷撃。それを黒髪の彼はそのまま軽く受け止めた。その後に悲しげに俯いて呟いた。
「そうか。」
ダストはすぐに無数の紋章を描き、幾千もの雷撃を放射する。だが、それは彼の前で一瞬で消え去った。
「言っただろう。ボクはありのままに戻す存在なんだ。その歪な紋章魔法は効かない。」
呆れた様に吐き捨てる黒髪の彼。
それを見たダストが抱いた感情は、底知れぬ恐怖であった。これまで彼は自分の持つ紋章魔法が効かなかった事など、ただの一度も無かったからだ。
「撤退しましょうダスト校長!この男は危険です。」
配下の一人がそう声をかけてきて、ダストは我に帰り転移魔法を使おうとした。
だが、それも発動しない。描かれた紋章は割れて小さな粒子となり、周りに散らばった。
「これから課すのは君らの罪。決して拭えぬその愚かさを…このボクが神の代わりに裁く。」
彼はそう言ってから、手を配下の方に向けた。すると一瞬で配下は居なくなった。それを見たダストは更に恐怖し、後退りする。
「何故だ。ワシの計画が…こんな馬鹿な。」
逃げようと足掻き、その場で転び跪くダスト。その頭に黒髪の彼は手を当てて、そして次の瞬間…跡形もなくダストは消えた。
「君の計画はボクが引き継ごう。あるべき姿に戻す為にその力も使わせてもらうよ。」
魔鉱山内部にて、黒髪の彼はそう呟いた。次の瞬間、歪みから新たに何人もの異形の存在が出現した。
それは人の名残が残る魔物であった。それぞれが黒鉄に輝く銃器を装備している。そんな彼らに向けて黒髪は語る。
「我が同胞よ。これはまだ始まりである。ボクら全ての、虐げられし存在を救う為の戦いの火蓋が切り落とされたに過ぎない。」
黒髪の彼は拳を振り上げた。それに同調する様に、魔物共も腕を上に向けて強く掲げた。
「この先戦いの中でその命を落とすかも知れない。だが、決して歩みを止めるな。全てを浄化し、世界をあるべき姿に戻す事を共に誓い戦おう!」
彼の声に連呼する様に魔物共は大きな雄叫びを上げる。それを見た黒髪は微笑みを漏らした。
「「「うぉぉおおおおおおお!!!!」」」
声はこの灰色の部屋で強く反響していた。それは新たな戦いの歴史の始まりの瞬間であった。
最後までお読み頂きありがとうございます。
少しでも楽しんで頂けたなら嬉しいです。
誠に勝手ながら、指の治療の為にしばらく毎日投稿をお休みする事になりました。
申し訳ありません。すぐに体を治せる様に努力しますので、長い目で待ってやって下さい。