71話 鼓動
「ライトニング!」
僕はライトニングで地下牢の檻を破壊して、一応の脱出は出来る状態になった。
「霧ヶ谷の居るであろう場所まで、案内してもらえるかな。」
僕の問いに覚悟を決めた彼女ははっきり答えた。
「分かった。着いてきて。」
彼女は地面に転がる檻の残骸を踏み越えて、薄暗いこの地下をゆっくりと進む。僕もそれに続いて後から追いかけていく。
その途中、周りを軽く見渡してみるが、この場所に皆の姿は見えない。別の場所に捕らえられているのだろうか。
ジメジメとしたこの地下を階段を登って抜けた先には僕と霧ヶ谷が対峙した、あの灰色の部屋があった。依然としてそこには霧が濃く、視界は良好とはいえない。
「…おねーちゃん。」
沙夜その漂う霧の中に浮かぶシルエットに向けてそう呟いた。それを聞いた僕は杖を構えて、戦闘準備をした。
霧の奥にいる霧ヶ谷は、沙夜の存在に気付いたのか徐々に視界は晴れていく。
「沙夜…どうして貴方がここにいるの?」
どこか震えているその声色で、霧ヶ谷は沙夜に向けて不安そうに言った。彼女の瞳には僕の事など映っていなかった。
それだけ大切な妹なのだろう。僕らを殺して守ろうとしたのだから。
「もうやめようよ。私はこんなの望んで無い。」
沙夜は強い意志を込めてから、そう告げた。その声を聞いた霧ヶ谷は、怯える様に後ずさって距離を取った。
「やめて…。見ないで。こんな私の事を見ないで!!」
取り乱した霧ヶ谷の意思と連動する様に、霧は刃へと形を変えて沙夜と僕の方に向かって来るが、その攻撃は全て外れて壁に当たり消滅した。
妹を大切に思う彼女には、沙夜を攻撃する事など出来ないのだろう。
「あまり私の仕事を増やさないで頂きたいのですがね。」
だが、その様子を見かねたのか、おもむろな足取りで階段から降りてきた男が居た。その男こそがアジール。気を失う前の僕の足に、短剣を刺した張本人で霧ヶ谷の共犯者だ。
「沙夜、霧ヶ谷を説得してくれ。その間、アジールと戦って時間を稼ぐ。」
僕は隣にいる沙夜に告げた。このままだと説得などする機会を作れない。だから僕がアジールと戦ってそれを作るしかない。
「分かりました。」
頷いた沙夜は、俯いている霧ヶ谷の方へ歩き始めた。
霧ヶ谷の事は一時的に沙夜に任せて、僕はアジールと向き合った。彼はその手に二本の短剣を握りしめて、煽る様にこちらに向けた。
「目が覚めない方が幸せだったというのに。」
その言葉を言い終えてから、アジールは紋章を描いて…そこから霧ヶ谷と同じ霧の魔法を使った。現れたのは霧の剣。無数に連なるそれらは、その攻撃に動揺する僕の方一斉に振り下ろされる。
咄嗟に身を翻して攻撃を回避したものの、体制を整える前に、またその攻撃は向かってくる。
「…ッ?!」
「驚いている様ですね。ですが、元々は私が彼女にこれを教えたのですよ?これくらい出来て当然。」
彼は軽い口調でそう言いながら、無数の霧の剣を操り、僕の行動を制限し、その手に握る短剣をこちらに向けて投げた。
そして霧の剣を避けるのに必死な僕の脚部に、短剣は直撃して、太腿の当たりが鈍い痛みを伝えてくる。
その場に体制を崩して倒れそうになった僕は、刺さった短剣を引き抜いて、霧の剣の最初の攻撃を受け流した。
しかし、その後に続く攻撃は躱し切れず、そのまま喰らってしまい、腹部に切り裂かれる様な痛みが走り抜けた。
霧ヶ谷と同じ霧の魔法だが、特異的な性能を持つ魔法では無い。だが、確実に僕を仕留めようとしている。
間違いなく一つ一つの攻撃の威力は低いものの、僕の体の部位を狙うそれは脅威的だ。
痛みを抑える僕の前で、アジールは何故か一度攻撃を辞めて両手を掲げた。
「まだまだ、ショーは始まったばかり。すぐに倒してしまっては味気ない。」
そう戯けてみせたアジールは、その腕に付けたブレスレットの鎖を、もう片方の手に持つ短剣で切り裂いてバラバラにした。
崩れ落ちたビーズは辺りに散らばるのと、同時に、元々ブレスレットをしていたアジールの右腕にメキメキと筋肉が付いた。
「これは私のお気に入りの、魔道具の中の一つでありましてね。破壊した術者の筋力を倍加する効力を持つのですよ。」
アジールは片方だけ異常な筋肉を付けたその右腕を振り上げながら、地面に倒れてる状態の僕に向かって迫り来る。
僕は先程彼がやった様に、短剣を投げ飛ばして牽制するが、それをアジールの右腕が簡単に弾き飛ばした。
だが、それで僅かばかりだが、紋章を描く為の時間が生まれた。僕は即座に描いてイメージを込める。
浮かべるのは枝分かれて歪曲する無数の極光。
「ライトニング・レイ・フォトン!!」
その名を叫ぶのと共に現れたその無数の光の線は正面のアジールの上半身と、曲がって後ろ側から下半身を一斉に貫いた。
だが、アジールはこの極光に貫かれたというのに、未だその場に倒れる事も無く立ち尽くす。
その攻撃で弾け飛び散らばった自身の肉片を見て、笑みを浮かべたままのアジールは頭を掻いてから僕に言った。
「厄介ですねぇ。」
〜
私の目の前には沙夜がいる。この子は倒して閉じ込めたままだった、アリスタを連れてきた。
あの時に使った魔法はミストヒュプノス、霧の眠り神。対象者を眠らせて神経毒で徐々に弱らせて殺す魔法。
それを解いたアリスタに連れられて、私の居るここまで来たのだ。つまり知ってしまったのだ。私が殺そうとした事を、一番見られたく無い部分を見られてしまった。
目を合わせられ無かった。ただ俯く事しか出来なかった。そんな私に向かってあの子はゆっくりと歩いてくる。
「私の為に無理をしてくれたんだよね。」
沙夜は人殺しをしようとした、惨めで卑怯な私に向けて優しく話し始めた。
「来ないで!」
だけど、私は感情がぐちゃぐちゃになって拒絶する。もう辛くて顔も上げられ無い。
「昔から怖がりな私に寄り添って、おねーちゃんが大丈夫って言ってくれた事。まだ覚えてるんだ。」
沙夜は蹲る私に向かって、子供を諭す様にゆっくりと昔の事を語り始めた。
「でも、今はおねーちゃんが辛くて悲しいだろうから…。だから今度は私が言う番。」
そして目の前まで来た沙夜は、私の体に優しく抱きついてきた。
「大丈夫だよ。おねーちゃん。」
そう言われた私の体から力は抜けた。気付けば沙夜に全てを委ねて泣いていた。
そんな私の背中を撫でながら、沙夜は続けて言った。
「今までずっと側に居て、弱かった私の事を心配してくれて、ありがとう。」
流れてく涙は止まらない。嗚咽を漏らして鼻を啜り泣きじゃくる私の事をその温もりが包み込んだ。
「ごめんなさい。私が」
次の言葉を言おうとした瞬間、背中から急激な痛みが走った。
「この任務に使えないゴミは要らない。」
そう吐き捨てたアジール。彼はアリスタと対峙している状態でありながら、私の背中に短剣を投げて直撃させていた。
血が滴り落ちて、小さな水たまりを作り上げた。ひたひたと、音を立てる水滴は痛みの滲む頭の中で反響する。
「おねーちゃん!」
私が攻撃された事に気付いた沙夜は、悲しそうな瞳でこちらを見つめている。
「最後まで…駄目なおねーちゃんでごめんね。」
私はそう言い残して、そのまま薄れゆく意識に身を任せた。涙と血が一斉に私の中から零れ落ちて…そして散った。
最後までお読み頂きありがとうございます。
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