70話 決意
僕が目を覚ますと、そこは学院にあるCランク寮の室内だった。僕は二段ベッドから降りて、いつも通りに遅れて起きた緋色君に「おはよう」と告げた。
彼も笑みを返して挨拶を返した後、軽い食事を終えてから、僕らは教室まで駆け足で向かう。
いつもの様に、遅刻スレスレの僕らは飛び込む様に教室の中に入って、勢い良く席に座った僕と緋色君。その慌ただしい様子を見て、先に来ていたフラムとマリアが明るく笑った。
全員が席に着いた後に、ルイ先生が気怠げな様子で教卓に立ち、魔法の授業を始める。それは起源だったり、歴史だったり、応用だったり。
魔法だけで無く他にも色んな事を黒板に書いてくので、僕もそれを移しながら先生の時折漏らすポイントもノート付け足した。
授業は昼辺りまで続き、終わってから僕らは皆で外出許可を貰い外に出た。街をフラフラと巡りながら、買い物をしたり、話をしたり、色んな事をいっぱいして沢山遊んだ。
歩き疲れた僕らは足を止めて、売店のお菓子を買って頬張った。僕が美味しいと言うと、皆も同じ様に笑って美味しいと言った。
そして食べ終えてから、途中で買ったボールでも使って遊ぼうと言う事になった僕らは、緋色君の案内で公園まで向かう。
その途中で、意外な事に王城と遭遇して、彼も途中で加わった状態で公園まで移動する事になった。
いつも通りに愉快なやり取りをする緋色君と王城、それを見てツッコんだりするフラム。三人の様子を見ながらお互いに微笑む僕とマリア。
時間さえ気にならないまま、気付けば公園に着いていた。そこは子供や大人、色々な人が沢山楽しそうに遊んでいて幸せで溢れていた。
何よりも、そこに居る全員が綺麗な笑みを浮かべていて僕もいつの間にか笑顔になっていた。
ボールを投げ合って、ドッチボールをする僕ら。飛び交うボールが当たったり、キャッチされたりしてそこそこ激しい攻防戦を繰り広げて、いい汗をかいた。
そして日は暮れて、夕暮れ時になって僕らは帰り道で緋色君オススメの店に寄り道して、ランチを食べてから帰路を目指した。
その帰路の中、道行く人誰もが笑顔で幸せそうに見えているその空間に、取り残された様に路地裏に立つ一人の少女が居た。
人とは思えないその美貌を持つ少女は、真剣な眼差しのまま、手に持つ少し古ぼけたスケッチブックに鉛筆で何かを描いていた。
それが気になった僕は、皆の元から離れて彼女の元に駆け寄った。
「何を書いているんだい?」
「空を見て。」
僕の問いに、そう答えた彼女。その言葉の通りに頭を上げて空を見上げれば、そこには薄らと見え始めた星が幾つか煌めきを放っていた。
まだ夕暮れのオレンジが残る、その空に浮かぶ星達はどこか新鮮で気付けばその瞬きに心惹かれていた。
「ねぇ。一緒に歩かない?」
彼女は僕にそう言った。皆の元に戻ると言って断ろうかと思ったけど、そうはしなかった。何故なら、彼女と何か一つ約束をしていた気がしたからだ。
それが何かは分からない。でも僕は彼女を知っている気がした。
「いいよ。」
僕がそう告げると、彼女は初めて微笑んで僕の手を引いて歩き始めた。
余りにも近くにいるから少し恥ずかしさがあったけど、彼女の楽しそうな表情を見ていると、僕はそんな些細な事が気にならなくなっていた。
歩いて街を出た僕らは、整備されていない道を進んで大きな城のある所に出た。
その城の周りには花々が咲き乱れ、大きな湖は上がり始めた月を照らして輝いていた。幻想的とも思える光景を見ながら彼女は一心不乱にスケッチブックにその光景を描く。
「じゃーん。これがお城で、湖にお花。どう?綺麗に描けたかな?」
そこに描かれたのはイラストチックでメルヘンな絵。月夜に照らされた湖を中心に、お城も花も全てが彼女なりに表現出来ていた。
鉛筆で描かれたから、まだモノクロな世界だけれど、色を付けたなら目の前の光景よりも綺麗になると思った。
「うん。しっかり描けてるよ。きっと色を付けたらもっと綺麗になると思う。」
僕が言うと、彼女は少し儚げに答えた。
「ありがとう。でも、実際に見る本物がやっぱり一番綺麗だと思うの。だから、こうやって実際に見て、流れてく時の中で変化してく景色は私の絵よりも綺麗なんだなって。」
彼女の言っている事も分かる気がする。だけど、僕はそれ以上にスケッチブックの中に収められた、モノクロで小さな箱庭の世界に惹かれていた。
現実も美しいけど、そこに描かれた光景には書き手の想いが沢山詰まっている。その想いは何かに置き換えたりなんて出来ない。
紛れもないまた別な本物だと思ったからだ。
「確かに本物の光景も凄く綺麗だと思うけど、僕は君の描いた世界のが好きだよ。たとえそれが描かれた偽物であったとしても、そこに込められた想いや熱意だって本物なのだから。」
僕がそう思った事を頑張って伝えると、彼女は僕の手を取ってより近くに顔を寄せた。僕の頬にその息は掛かり、顔は少し赤くなっている。
「まだ出会って少しだけど、もっと貴方の事を知りたい。」
彼女はそう言ってから僕の方に視線を向けた。それに応える様に、僕も彼女の瞳の奥を見つめながら言った。
「僕も君の事を知りたいな。」
僕が言うと、目の前の視界は渦を巻き始めた。戸惑う僕の手をしっかりと握る彼女だけが、この世界で綺麗なまま残っている。
やがて、僕の視界が消え去って、彼女の手が僕の頭を触れて撫で下ろしたのと同時に暖かさが染み込んで、体を巡り流れて行く。
感覚は研ぎ澄まされて、抜け落ちていた物が全て戻って行く様に記憶が戻っていくのを、実感していた。
〜
僕は目を開いた。先程まで曖昧だった記憶は全て鮮明に戻って視界も良好だ。
そして隣に居る少女が沙夜である事を理解した僕はこの場所に来る前、最後に何をしていたのかを考えた。
霧ヶ谷と戦い、割り込んできたアジールに何らかの攻撃を喰らい…最後に眠らされたのか。
今はちゃんと視界がハッキリとしている。
ただ状況はあまりよろしいとは言えない。僕が居るこの場所は檻の様な鉄格子があり、古く錆臭い牢屋の様な場所だからだ。
そんな僕に向けて彼女は安堵した様に言った。
「良かった、目が覚めたんだね。」
「どうやらそうみたいだ。…それで君はどうしてここに居るんだい?」
僕が問いかけると彼女は言った。
「おねーちゃんの様子が普段とあまりにも違かったから、不安になって、私はこっそり跡をつけて、この地下牢まで来たの。そしたらここで倒れてるアリスタさんを見つけて、それで助けなきゃって思って。」
やはり、姉妹だけあって些細な様子の変化も分かるのだろうか。だが、僕以外の皆どうなったのだろうか。
「それでね。私はアリスタさんに…ちゃんと話さなきゃならない事があるの。」
僕が考えていると、彼女は胸に手を当てて深い深呼吸をしてから話し始めた。その声色は少しだけ震えていた。
だから一度、その考えを置いて彼女の話を聞く事にした。
「元々は一人だったんだ。」
僕は返答に困った。悩んでいる僕の前で彼女は話を続けた。自分の隠していた物全てを紐解く様にゆっくりと言った。
「霧ヶ谷沙夜、それがおねーちゃんが持っていた名前なんだ。」
その言葉の意味する事はまだ、断片的にしか分からない。でもそれがあまり良い事では無いのは察した。
彼女は僕の目を見ながら、手を握りしめた。
「それで、小さい時に妹を失って、心が壊れそうになった時に、自分の名前を対価に生み出されたのが私という存在。」
それが本当ならば、目の前の少女は何者でも無くなってしまう。自分の存在理由を失ってしまうにも関わらず、彼女は語る。
「そんな歪な存在の私を、おねーちゃんはしっかり妹として優しく扱ってくれた。それに少しだけど、私と居る時には一緒に笑ってくれた。」
僕はただその話に頷いた。楽しそうで、寂しげなまま語る彼女に言葉を挟むなんて出来なかった。
「最近になって、私はおねーちゃんが居場所を作れたのが、近くに居てなんとなく分かった。だけど、その居場所が今私のせいで壊れてしまうかもしれない。…それなら私なんて要らない。」
思いを吐露する沙夜。彼女も、霧ヶ谷もどちらもが思い合ってすれ違ってしまった。こんなのはあんまりにも悲しすぎる。
その青い瞳から涙が流れ落ちた。僕は彼女に寄り添い、その涙を指で払った。その言葉だけは否定せずにいられなかった。
「君は君だ。彼女じゃない。」
僕が告げると、彼女は嗚咽を漏らし肩を揺らしながら僕に向けて問いかけた。
「…なら私は何なの。」
何か。その答えは僕自身も分かる訳が無い。
だけど、彼女は何かになりたいと望むならば、僕は浮かべたそのままのイメージを告げるべきだと思った。
「君は普通の女の子だよ。外の世界に憧れて、その風景を描く夢を持つただの女の子だ。」
そう言った後、彼女は祈る様に手を合わせて僕に問いかけた。
「じゃあ…霧ヶ谷沙夜の事を助けてくれますか?」
霧ヶ谷沙夜。お互いが思い合っていて、同じ名前を持つ、何よりも仲の良い歪な姉妹。だけどこの広い世界に一つくらい歪な姉妹が居たっていいじゃないか。
どちらかが消えるんじゃ無くて、両方とも残ったっていい筈だ。そうで無いのならば、僕がその腐った常識を変える。
「あぁ。両方とも僕が必ず助けるとも。」
そう言うと、涙だらけの彼女は少しだけ笑みを浮かべてくれた。この笑みを守る為に、必ず霧ヶ谷を説得して止めて見せる。
「だから、急いで行こうか。まだ間に合う。」
僕はそう言って立ち上がった。
最後までお読みいただきありがとうございます。
ようやく70話になりました。
そろそろ、この先の展開をどうしようか悩み始めて来ました。多分設定が弾けるかもしれません。
それでも。温かい目で見てやってくださると嬉しいです。