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六話

 翌朝。真冬特有の寒々しくも容赦のない陽光が雪を照らす中、ヴィクスと狼牙は教会の前でシスターに別れの挨拶をしていた。

 

「お世話になりました」


 ヴィクスが深く頭を下げる。この寒さの中野宿など考えたくもない。寝床どころか食事までお世話に成ったのだ。感謝してもし足りないくらいだった。

 

「いえいえ、聖職者として当然のことをしたまでですよ」


 そう言って奥ゆかしく微笑むシスターに、ヴィクスは頭をかく。お礼に喜捨をと昨晩提案したものの、彼女は気持ちばかりの額しか受け取らなかった。普通の宿に泊まるよりよほど安く済んでしまったのが、逆に申し訳なくもあった。

 

「旅はまだ長いのでしょう? どうかお気をつけて……」


 そこまで言ったところで、突然遠くから「おおい!」と大きな声が聞こえた。三人が一斉に声の出所に顔を向けた。粗末な毛皮のコートを着た男が、どたどたと慌てた様子でこちらに向かって走り寄ってきている。

 

「シスター様! シスター様!」


「失礼」


 そのただ事ではない様子に老シスターは顔色を変え、ヴィクスたちに一礼して男の方へ体を向けた。

 

「ハンターさん、そんなに慌てて……何かあったのですか?」


「倅が、うちの倅が! 早く来てください!」


 それから十分ほど後。シスターは村のはずれにある小さな家で、ベッドに寝かされた幼い少年を診察していた。多少ではあるが、彼女には医術の心得がある。この村で病人が出た際は、こうしてシスターが医者めいたことをするのが常だった。

 

「これは……」


 シスターが厳しい表情を浮かべながら、熱で真っ赤になった少年の顔を見る。彼は激しくせき込み、その痩せた体をベッドで跳ねさせていた。その苦しみようは尋常ではなく、呼吸すらままならない様子だった。

 

「例の風邪ですね。しかし……」


「昨日から調子が悪そうだったんですが、今朝からずっと咳が止まらないんです。このままじゃ……」


 体力の低い子供のことだ。このままでは衰弱死しかねないのは火を見るより明らかだった。まして、家の様子を見るにこの家族はかなり貧窮している様子だ。栄養状態が良いとはとても言えないような状況だから、なおのこと病に打ち勝つのは難しい。

 

「ええ。ですが、しかし」


 難しい顔をしながら、シスターが首を左右に振った。簡単な診察こそできるとは言っても彼女は本職の医者ではないし、なにより薬の備蓄もない。この風邪は周囲一体で流行しているため、効果のある薬草や薬はとても庶民の手の届かない価格まで高騰してしまっているのだ。

 

「咳にははちみつ湯が有効です。飲ませて様子を見てみましょう」


 そうは言うものの、そんなやり方では焼け石に水だと言うことは老シスター自身が一番理解していた。その皺だらけの顔を逸らしながら言ったその言葉は掠れていた。

 

「おっ、おい」


 重苦しい空気に耐えかねたように小さな言葉を上げたのは狼牙だった。そのまま出立するわけにもいかず、流れでこの家までついてきてしまった二人は、部屋の隅で小さく固まっていた。

 

「なんとかなんねーのかよ? あれ」


「なんとかと言われてもな」


 籠手に包まれた腕を組みつつ、ヴィクスが唸る。彼とて助けてやりたいのは山々だが、あいにく薬の類は精々外傷の治療に使う軟膏くらいしか持ち合わせがない。お手上げ、というのが正直なところだ。とはいえそれを口に出すのはあまりにも憚られる。若い剣士は、小さく肩をすくめることしかできなかった。

 何か言おうとした狼牙だったが、少年の嘔吐する声によってそれは中断された。慌ててそちらの方を見ると、少年はベッドのそばへ胃の中身を吐き出している。

 吐しゃ物とはいえ消化途中の食べ物など無く、出ているのは胃液だけだ。しばらく何も食べていないのか、あるいは既に胃の中身はすべて吐き出してしまっているのか……。どちらにしろ、痛ましいことこの上ない。狼牙は鼻を押さえながら目を逸らした。

 

「竜息草……」


「なんて?」


「竜息草だ。あれがあれば」


 狼牙の柳眉が跳ね上がった。昨日はなしていた薬草だ。だが、と続けようとしたヴィクスだったが、それより早くベッドの隣にいた少年の父が言った。

 

「そうだ、竜息草だ! なんで忘れてたんだ。シスター様、ここはお願いしやす。俺ぁ今すぐ山へ向かいます」


「な……お待ちなさい、クルトさん。バルガ連峰は危険な場所です。用意もなしにむかえば命はありませんよ」


 顔色を変えてシスターが言う。実際、まともな準備もなしに雪山へ向かうのは自殺行為だ。竜息草は夏でも雪の残っているような高地にしか生えていないし、そもそも少年の父自身咳こそ出ていないものの調子があまりよくなさそうだ。客観的に見て、山登りなどできる状態ではない。

 

「止めないでください。危ないのはわかってますがね、息子に死なれるよりはよほどましです」


 興奮したイノシシのように鼻息を荒くしつつ、そう言い切る少年の父。今にも家を飛び出していきそうな様子だったが、狼牙その進路を遮った。


「まてまて、オッサン」


「なんだお前は。どけ」


 敵意の籠った中年男の視線を、狼牙はひるむことなく正面から受け止めつつ挑発的な笑みを浮かべた。

 

「あんたはここに居たほうがいい。その方があの子も安心すんだろ」


 そう言って、彼は自分を指差してこう言い切った。

 

「丁度、暇を持て余してたところなんだよ。ナントカ草はオレらに任せな」


「な……ッ!」


 絶句する少年の父。それを見てヴィクスは「暇ねえ……」と小さくつぶやいてから、壁に預けていた背中を起こした。

 

「ま、仕方ないか」


 竜息草の話をだした時点で、こういう流れになることは分かり切っていたのだ。彼の顔には、自嘲めいた笑みが浮かんでいた。



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