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五話

「うっへへへ」


 狼牙は黙ってさえいれば気品を感じる美しい顔を歪めて下卑た笑みを浮かべた。

 

「なんだよ、けっこうイケるじゃん」


 彼の前のテーブルには、野菜やくず肉の浮かんだ茶色の液体の満たされた汁椀が置かれていた。それを匙ですくって口に運び、ふたたび「うえっへへ」と妙な笑い声をあげてから椀ごと両手で持って一気に飲み干した。

 

「うンまい」


「いやいや、なかなかの健啖ぶりですね」


 そんなことを言ったのは、暖炉の前に立つ修道服姿の老女だ。彼女は長い棒で暖炉に掛けられた大きな鉄なべの中身をかき混ぜつつ、穏やかな笑みを浮かべている。

 

「見ているだけでこちらまで幸せな気持ちになりますよ」


「夜半にお邪魔しておきながら、無遠慮なマネを……申し訳ありません」


 狼牙の隣に座るヴィクスが心底申し訳なさそうに頭を下げる。彼の腕はとっくの昔に空っぽになっている。狼牙の物は既に三杯目だ。

 想定外の休憩を何度もとったせいで、結局ユクト村に到着したのは夜も更けてからになっていた。宿もすでに店をしまい、途方に暮れていた二人を助けたのが、この老シスターだった。屋根のある場所で一晩泊めてくれるだけでもありがたいと言うのに、食事まで用意してくれたのだから地獄に仏とはこのことだ。

 

「お気になさらず。もともと、蓄えの少ない方への施しのために用意した物ですから」


「すみません」


 再度頭を下げるヴィクス。老シスターは上品に笑い、そして「おかわり!」と差し出された汁椀を手に取って新しいシチューを入れてやった。ヴィクスが目を逸らし、頬を掻く。シスターの笑みが深くなった。

 居心地が悪くなって、ヴィクスは無意味に周囲を見回した。ここは協会の裏手にある小部屋だ。木と石材に囲まれており、古ぼけてはいるもののよく掃除されている。応接間のような場所なのだろうか、机といす、そして暖炉の他には特に何もない寂しい場所だった。

 

「そういえば」


 しばらくの沈黙の後、暖炉の小枝がはぜるパチンという音を合図にしたかのように、シスターが切り出す。

 

「お二人はご夫婦なのですか」


「や、そんなんじゃないっすよ。ジブンこう見えて男なんで」


 ヴィクスが何か言う前に、あっけらかんと狼牙が答える。余計なひと言を添えて、だ。今、彼はもこもこのコートを脱いでいた。もちろん冬服だから身体の線は出にくいが、平坦と強弁するには無理のある胸を始めとして、誤魔化しのきかない部分は多々ある。ヴィクスは額に手を当てた。

 案の定シスターは困惑したような目をヴィクスに向けた。彼は曖昧に笑い、肩をすくめる。それで何が伝わったわけでもないだろうが、老シスターは穏やかな笑みを浮かべて頷く。

 

「そうでしたか、もうしわけありませんね」


 聖職者らしく、あえて込み入った事情に首を突っ込んでくる真似はしない。代わりにヴィクスがやけに明るい声で聞いた。

 

「そうだ。この村に来たのも久しぶりなのですが、お変わりはありませんか?」


 昔、この辺りに滞在していた時期があり、行商人の護衛などでこの村を訪れることもしばしばあったため、馴染みの村民も幾人かは居る。明日になればその人たちに会いに行こうと考えているヴィクスだった。

 

「ああ……」


 しかしその言葉に対する老シスターの反応は、決して色よいものではなかった。一瞬鎧戸の嵌まった窓に目を移し、しばらく考え込んでから視線をヴィクスに戻した。

 

「なにぶん、この寒さですから。たちの悪い風邪が流行っていまして。幸い、まだ死者は出ていないのですが」


「風邪、ですか」


 片田舎の農村であるから、当然医者など居るはずもない。単なる風邪とは言っても決して甘く見ていいものではない。ヴィクスの眉間にしわが寄った。

 

「激しい咳と高熱が出る厄介なものです。旅の身で伝染ってしまっても困るでしょう。悪いことは言いませんから、夜が明けたらすぐに出立した方がいいかと」


「咳と高熱、それは……」


 確かにそれはよろしくない。ただでさえ、この寒さで体力が落ちているのだ。下手をすれば命を落としてもおかしくない。

 そこでふと、ヴィクスの柳眉が跳ね上がる。

 

「そういえば、聞いたことがあります。ここからすぐ近くの、バルガ連峰に咳に効く薬草が生えていたはず」


「竜息草ですね」


 シスターは静かに頷いた。

 

「確かにあれは、咳止めとしてはとても強力です。ですが、生えている場所が場所ですから、なかなか手が」


 バルガ連峰はこの村のすぐ近くにあるから、採取自体には時間がかからない。しかし問題はこの雪だ。真冬の雪山などという危険地帯に人を送れるほど、この村に余力はない。

 

「まあ、今のところ危篤の者もいませんし。なんとか、やりすごせるでしょう」


 そういって老シスターは穏やかな笑みを浮かべるのだった。

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