四話
「なあ」
平原の上に敷かれた街道を歩きながら、狼牙が言った。
「まだつかないのか、そのナントカ村ってトコには」
「ああ。まだしばらくかかるはずだ」
「そうかよ」
ぶっきらぼうなヴィクスの返答に、狼牙はそっぽを向いた。そのまま十分ほど、薄雪に足跡をつける微かな音だけが、二人の間に響いていた。
「なあ、まだ━━」
「疲れたのか?」
「ちげーよ。違ぇし」
「そうか」
ヴィクスは腕を組み、重苦しい声で言った。
「だが俺はつかれた。ちょっと休ませてもらうぞ」
そして道のわきにあった岩の上の雪を掃い、どっかと腰を下ろす。「だらしねーな。しょうがねえ、付き合ってやるよ」と狼牙も笑顔でそれに続いた。
「しかし、ホントさみーな」
そう言って、狼牙は両手のミトンを外して白い息をはーっと吹きかけた。全身もこもこの防寒着姿だが、それでも寒いものは寒い。
「今年は特にな。普段なら、この辺は雪なんてまず降らないんだが」
「マジかよ……寒いの苦手なんだよな、ツイてねえ」
狼牙は肩をすくめた。こんな体になってしまったせいか、余計に寒さが骨身にしみていた。本音を言えば、いますぐ暖房の聞いた部屋でふとんにくるまっていたいような気分だ。とはいえ荷物持ちをすると言った手前それをひっくり返すのは彼の流儀ではないし、この男との二人旅も思っていた以上に楽しいので、文句は言わない。
「そうだな……そもそも、冬に旅なんぞするべきではない」
巡礼者、あるいはヴィクスのように定住地を持たない流浪者のような旅人は、そこそこの数が居る。しかしそういった旅人の大半は、冬になればどこかの都市や村に逗留して春を待つのが普通だ。寒さで体力が奪われ、食料にも乏しい冬季の旅はとてもリスキーだと言えるだろう。
「そりゃあ、そうだろうがよ。そこンとこ、分かったうえで旅してるんだろ、お前はさ」
「そうだが」
「だったらオレはついてくだけさ。スリルがあるのは嫌いじゃねえしな」
そのあっけらかんとした良いように、思わずヴィクスは笑ってしまう。旅の危険さなど、この女はさっぱり理解していないだろう。そういう顔をしている。しかしそれでも、真正面からはっきりとこう言われれば悪い気はしない。
「そうか……」
ぼんやりとした表情で、ヴィクスは空を見上げた。透き通るような薄い色の青空が、どこまでも広がっている。真っ白な息を二、三度吐き出す。
「そういやさあ」
「なんだ」
「今日泊まるって話の、その……ナントカ村」
「ユクト村」
「そうそれ。なんか、特産品とかあるのか? 美味いもんがさ」
「ない」
「ないのか」
「ない」
取りつく島のないようなヴィクスの言いように、狼牙は額に手を当てて首を振った。
「オイオイオイ、嘘だろ。美味いもの巡りは旅の醍醐味じゃないのか」
「林業と農業で生計を立ててる小さな田舎の村に、何を期待してるんだお前は」
「だってよぅ」
狼牙は頬を膨らませた。
「旅行なんて初めてなんだよ。夢くらい見たっていいじゃんか」
「……」
しばし腕を組み、ヴィクスは逡巡する。頭の中では、このあたりの地図が広げられていた。
「四、五日まて。ウィルゲンなら何かはあるはずだ」
「ウィルゲン?」
「自由都市だ。大きな運河の近くにある……」
「運河か。へえ、いいじゃん。それじゃあ、急がなきゃな」
にぱっと笑って立ち上がる狼牙。単純な奴だなあとヴィクスは肩をすくめた。表情といいしぐさといい、叡智と思慮深さを兼ね備えた種族と言われる賢狼族に対するイメージが、彼の中でどんどん崩れていく。賢狼というよりは、ちょっとおバカな雑種犬といったところか。もっとも、変にお高く留まられるよりはよほどこちらのほうが付き合いやすい手合いなのは間違いない。
「ちょっと急いだくらいじゃ大して変わらないぞ。あまり慌てるな」
今にも駆け出しそうな様子の狼牙に、思わず苦笑してしまう。体力が無いのだから、無理して倒れられても困る。
「わーってるって。寒いからカラダ動かしたくなっただけだよ」
いうなり、狼牙は駆け出して行った。まったく、元気なものだ。ヴィクスはため息をついて、それについていくのだった。