三話
「すンません、ほんと」
薄雪の積もった未舗装の道路を歩きながら、狼牙は隣の男に一礼した。森で遭難した狼牙を助けた彼はヴィクス・アクライオと名乗り、狼牙を街まで案内したあげくあまりに軽装だった彼に防寒着まで買い与えてくれていた。彼としては、感謝してもしきれない。
「放り出して死なれでもしたら、寝覚めが悪いどころじゃないからな」
そっぽを向きながら、ヴィクスが答えた。ぶっきらぼうな口調だった。
「だがな、服代はそのうち返せよ。安くないんだから」
「ハイ」
古着屋で防寒着一式を見繕ってもらった彼は現在、もこもこのコートに身を包んでいる。その下に着ているのも、冬用の上下だ。決してこれらが安いものではないことくらい、狼牙にだってわかる。
「カネが出来たらすぐ返しますんで」
「そうしてくれ」
そう答えてから、ヴィクスはちらりと狼牙の方を見た。彼はヴィクスと話しつつも興味深そうにきょろきょろとあたりを見回しており、お上りさん丸出しだ。正直な話、金を用意すると言っても身体を売るくらいしか方法が無さそうに見える。
「いや……やっぱりだめだ。おれは旅人だ、金が出来たころにはこの街にはいない」
「えっ、じゃあ、どうすれば……」
「荷物持ちだ。お前には俺の下で働いてもらう。いいな?」
「マジっすか? そんなんでいいなら、オレ全然やりますよ。体力には自信あるし」
「えっ」
驚いたように、ヴィクスは狼牙の顔をまじまじと見た。その視線はやがて顔から、彼の頭に生えた大きな獣耳に移る。
賢狼族。狼牙がそう呼ばれる種族であることを、ヴィクスが知っていた。狼の特徴をもつこの種族は、魔力が高い代わりに身体能力は非常に低い。体力など、そこらの子供と同じ程度しか持ち合わせていないはずだが……。
「ん? なんすか?」
「いや……」
アホっぽい笑みを浮かべて聞き返してくる彼に、ヴィクスは首を振った。出会った時もわけのわからないことを口走っていたし、頭でも打って記憶が混乱しているのかもしれない。だいたい、真冬の森であんな軽装でうろうろしている時点で錯乱しているのは明白だ。小さくため息をついて、小さく笑い返す。
「なんでもない。それより、無理に敬語なんかつかう必要はないぞ。肩凝って嫌なんだよ、そういうの」
「そうなんです?」
「そうなんだよ」
とはいえ、この妙な女が悪い奴だとか、頭のおかしい手合いだとはヴィクスも思っていなかった。おおかた、事故か何かに巻き込まれでもしたのだろう。一人で生きていけるくらいになるまでは、少しばかり手を貸してやってもいいだろう。
「わかったよ。いや、オレも敬語なんて慣れてないからな。ありがてぇ」
「だろうな」
薄く笑って、ヴィクスは小さくつぶやく。
「なんだって?」
「なんでも?」
ふんと鼻息荒くそっぽを向いて、狼牙は腕を組んだ。そしてその視界に偶然映った道行く人に興味を引かれ、思わずまじまじと見てしまう。
それは、笹穂状の耳を持った美しい女性だった。いわゆるエルフと言う奴だ。まちがっても現代日本でお目にかかれるような存在ではない。それどころかこの街自体、石造りの建物ばかりで現代建築など一つもなく、車も走っていなければ街灯すらない。
この時点で、オタクならばこの事態が異世界転移めいた出来事であると容易に推察することができるだろう。しかし狼牙は残念ながらそうではなかった。web小説どころか漫画すら読んだことのない人間だったからだ。何がどうなっているのかさっぱり理解できていないし、そもそも異世界なる物の概念すら知っていない。だからこそ、彼の脳内は疑問符だらけになっていた。
「ところでさ、ここってどこなんだ? 見たことの無いようなな街だし、歩いている連中も見たことない人種ばっかりだ」
「……ふむ。ここはダフネって街だ。ラティオ公国のな。聞いたことがあるか?」
「ない。つーか、やっぱ日本じゃないのか。ラティオってどこだよ……」
「そのレベルか、参ったな。ニホンといったか、そりゃどこだ? 聞いたことのない地名だが」
「ええ? どこって言われても、ちょっと困るけどよ……」
学校の授業なぞまともに聞いていない狼牙は一瞬言いよどみ、数秒考え込んでから口を開いた。
「島国だよ。大陸の東の方にある……キョクトーチイキって言うんだっけな」
「良くわからんな……」
当然だがヴィクスは日本などという国は聞いたことが無かった。なにしろここは異世界であるからして。
「まあいい。わからんことを考えても疲れるだけだ。とりあえず出身地云々のことは置いておこう」
「そーだな。ウン、ここがよその国だってわかっただけでも収穫だ。知らねー国だとしてもな」
難しいことを考えるのは苦手な狼牙は、両手を上げてひらひらと振って見せた。幸い思考停止は彼の得意技の一つだ。
「とりあえずは、だ。俺は今南方にあるヴィシー王国に向かって旅をしている。お前にはそれについてきてもらう、いいな?」
「ああ、安心しろ。恩は必ず返すのがオレのモットーだからよ」
狼牙はにやりと笑って肩をすくめて見せた。




