涼花 ダメ男と初めて出会う。
6月に入り、札幌も夏の季節に入ろうとしていた。
幼稚園の職員室ではシスター紫子と真島神父がこの6月に毎年行われる夏のお泊り会についての話をしていた。
「紫子さん、今年のお泊り会は長沼町のハイジ牧場なんてどうでしょう?」
「ハイジ牧場ですか。あそこは景色もいいですし遊び場も充実していますから子どもたちも大喜びだと思います。」
「それで雅司さんも今回のお泊り会に連れて行きたいと考えているんです。あの人も一応幼稚園の一員ですから。」
「私も雅司さんを連れていくのはいいとは思うんですけれど、あの人一年中同じ服しか着ていなくてタバコ吸っていますしなんだかぶっきらぼうな感じもしますからかえって園児たちが嫌がらないか心配なんです。」
「そんな深く心配しなくてもいいと思いますよ。雅司さん幽霊なんですしこの幼稚園でも僕と紫子さんとなべともさんしか存在を知っている人はいないことですし
「でもあの子猫の救出劇があった日に涼花ちゃんが真島さんやなべともさんと一緒にお話をしているところを見たと言ってましたし涼花ちゃんのお母さんも初対面ながら親しげそうにお話をしていましたよ。」
「それは僕も知っています。涼花ちゃんや涼花ちゃんのお母さんも雅司さんの存在を認識することができますし、二人とも雅司さんのことが嫌いではないでしょう。」
「涼花ちゃんや涼花ちゃんのお母さんが雅司さんのことを理解しているとしても他の子供たちやお母さん方の中にも雅司さんの存在を認識できる人がいるかも知れませんし、もしそれで雅司さんと涼花ちゃん以外の子供たちやお母さんたちの間に何かあったらと思うと不安で一杯なんです。」
「僕だってそれは心配していますよ。でもだからと言って人を見た目だけで判断するのは良くないと思います。その人の人となりを見てその人の良いところを見つけ出すことが一番大切な大切だと雅司さんが真沙枝さんの子猫を助けた日に女子修道院長がおっしゃっていましたでしょ。」
「修道院長や真島さんのおっしゃる事はもちろんわかっています。だからと言って雅司さんが涼花ちゃんをはじめとする園児たちに危害を加えるようなことをしないとは限りませんですし、逆に涼花ちゃん以外の園児たちも雅司さんの存在を認識することができてそれで逆に雅司さんが園児たちにいじめられたりすることもあると思うんです。」
「大丈夫、雅司さんいい人ですから。」
シスター紫子と真島神父がハイジ牧場へのお泊り会での雅司に対する処遇を話し合っていた頃、当の雅司は幼稚園の外庭でベテラン用務員のなべともさんと一緒にタバコをふかしながら政治・経済やスポーツ、さらには昨今の芸能事情に関する話を続けていた。
「この間、内閣改造があったけど北海道から出ている与党の議員が二人も入閣したよね。農林水産大臣と厚生労働大臣のポストで。」
「よほど政権を維持したいんでしょうね、今の総理は。」
「そんなこと言ったって大抵の人は今の政権与党を支持するに決まっているよ。野党なんて全然まとまっていないから地方選挙でも勝てるわけないでしょ。」
「未だに護憲とか市民革命とか言い続けている点で終わっていますよね。野党勢力は。」
「でもその野党勢力にだってそこらへんの政治家に比べて聴衆を引き付ける演説が巧い人や柔軟な政策志向を持っている人は結構いるとおもうよ。俺それよりも今防衛大臣やっている大泉誠一郎が総理になればいいと思うんだよ。父親ゆずりのカリスマ性やリーダーシップもあるし、10年も経たないうちに絶対総理になると思うよ、誠一郎は。」
「誠一郎ですか・・・・まあ彼は若い世代からの人気も絶大ですからね。政権与党にも小粒な政治家が増えてきましたね。野畑洋子とか海野八郎とか葦屋威雄とか。今の時代田中角栄のような政治家が出なきゃダメだと思うんですよね。」
「その誠一郎がこの前K球団の新監督とあの食楽苑で会食していたのが週刊新報で報じられたんだよ。見てこの写真。」
「本当だ。誠一郎の隣には劇団北斗七星の鰺ヶ沢圭太でその隣にはかってトップアイドルとして活躍し今やジャパンエンターテイメントグループ総帥の西原寛之、誠一郎の向かいには前総理ともツーカーの仲だった作詞家で芸能プロデューサーの春木高がいますよ。劇団北斗七星にしろジャパンエンターテイメントグループにしろ春木高にしろ権力者にすり寄る政商みたいなものですよ。」
「K球団だって同じようなもんでしょ!経営の母体になっているあの新聞社なんて政権与党とベッタリしているんだよ。それでお上から文化功労者というものをもらっているのが二人もいるんだよ。」
「K球団とか劇団北斗七星とかジャパニーズグループや春木高にしたって政治家・役所・大企業・在京メディアと癒着してこの国のスポーツ界や芸能界をますます面白くなくしていますよ。ジャパンエンターテイメントグループの奴らはそこらへんの若い女性にキャーキャー言われて調子に乗っているような奴らばかりですし春木高だって全国各地に“会いにいけるアイドル”を次々とプロデュースしてモテナイ男性連中から金を巻き上げ続けているんですよ。要するに今の芸能界やテレビ業界なんて金儲け第一主義で、芸を磨く人間とか本当に芸を持っている人間がいなくなってしまったのはなんとも寂しいですよね。」
「スポーツの世界だってプロ野球とか大相撲なんかも札束が飛び交うようになって選手も段々と弱くなってきていて全然面白くなくなってきたよね。」
「プロ野球や大相撲なんかよりも女子サッカーとかラグビーのほうがよっぽどマシですよ。日本じゃプロ野球や大相撲のようなメジャースポーツがそういったマイナースポーツを見下しているきらいがありますけどメジャースポーツの方こそスタルヒンとか北の湖とか千代の富士のような大スターがいない状況ですから勉強するべき点がたくさんありますよ。」
「北の湖や千代の富士は俺も大相撲中継でよく見ていたからわかるんだけど、スタルヒンなんて古くない?俺が生まれる前に死んだ人でしょ。」
なべともさんは雅司が旧制旭川中学(現在の旭川東高校)出身の不世出の快速球投手ヴィクトル・スタルヒン(1916~1957)を知っていることに非常に驚いた。
それを聞いていたのかどこからともなく真島神父が雅司のもとへと駆け寄ってきた。
真島神父は雅司がヴィクトル・スタルヒンを知っていることに興味をもったのかさっそく雅司に話かけてきた。
「雅司さん、スタルヒンについてご存知なのですね。」
「はい、亡命ロシア貴族の出で旧制旭川中学在学中から剛速球投手として鳴らし、戦前・戦中と巨人軍で活躍し、戦後は様々な弱小球団を渡り歩きながら日本プロ野球史上初の300勝を達成しながらも引退の2年後に自動車事故で亡くなったことだけ知っています。僕自身野球の専門家ではないので詳しいことは分かりませんが。」
「実は僕の祖父が旭川に住んでいて自動車事故で亡くなった1957(昭和32)年に直接スタルヒンに会ったことがあるんです。祖父の話によるとスタルヒンは野球の世界に未練があったのと同時にどこか浮かない表情をしていたみたいですよ。」
「そういえばスタルヒンってロシア革命で日本へ亡命してから死ぬまで無国籍のままだったらしいですよ。ところで真島さん、旭川のスタルヒン球場に行ったことはありますか?」
「もちろんありますよ。子供の頃祖父によく連れてもらったりして毎年夏にそこで行われている甲子園の北北海道地区予選の完成を一緒にしたりしていました。当時は旭川大学高校とか旭川工業とか旭川実業などがしのぎを削っていましたね。」
雅司は真島神父の祖父が旭川で最晩年のスタルヒンに直接会った時の話を聞いていたことやその祖父と毎年夏にスタルヒン球場で全国高等学校野球選手権北北海道大会を観戦していたのが気になったのか真島神父に簡単な質問をした。
「真島さんってもしかして旭川の出身ですか?」
真島神父はこう答える。
「そうです。生まれてから札幌にあるカトリック系の私立高校に進学するまでずっと旭川にいました。」
「そのカトリック系の私立高校ってどこの高校ですか?」
「S高校です。今は共学になりましたが、僕がいたときはまだ男子校でした。」
「実は僕もそこのOBなんですよ。でもあの学校にいた3年間宗教の勉強すらまともにやらないで吹奏学部でトランペットを吹く毎日でした。ところで真島さんは何か部活とかやっていたんですか?」
「僕はカトリック研究部に所属していました。トラピスト修道院にもいきましたし炊き出しや車椅子清掃などのボランティア活動もやりました。高三の時の学校祭では長崎の原爆被害や長井隆博士についての展示をやりました。」
真島神父が自分と同じ高校のOBであり、カトリック研究部の元部員であることを知った雅司は以前にも増して真島神父に親しみを覚えるとともに自分が高校3年間カトリックの教えとはかけ離れた学校生活を送っていたことを振り返ってこんな言葉を口にした。
「カトリック研究部かぁ。僕の実家は仏教徒だったし。とか言うよりも僕自身カトリックの学校にいたのに、カトリック自体に興味が持てなかったし聖書すらろくに読まずにトランペットばかり吹いたり喫茶店とか古本屋なんかに行ったりしていたし。でも真島さんが同じ高校の出身だとなんだか親近感が沸いてくるなぁ~。」
すると真島神父はこう言った。
「僕の家は代々カトリック教徒でしたから。実家は祖父の代から食料雑貨店をやっています。カトリック研究部も当時の担任だった神父の方から誘われて入部するかたちとなって3年間を過ごしました。高二の時にその神父の先生から神学部のある東京の私立大学に進学することを薦められ高校卒業と同時にその大学に進学しました。」
雅司は真島神父にこんな質問をした。
「神学部のある東京の私立大学ってどこの大学何ですか?」
真島神父はこう答えた。
「上智大学の神学部神学科です。専攻はもちろんカトリック神学でした。在学中は上田辰之助博士や岩下惣一神父の著作にも大きな影響を受けました。」
「上智の神学部がカトリックということは知っていますけど、その上田辰之助博士とか岩下壮一神父ってどんな人なんですか?」
真島神父が上智大学神学部に在籍していた頃に多大な影響を受けたという二人の人物の名前すら知らなかった雅司は思わず首をかしげた。
真島神父は雅司にその二人の人物に関する説明を少々長いもののできるだけわかりやすいかたちでおこなった。
「上田辰之助博士は昭和時代の日本におけるトマス・アクィナス研究の大家であった経済学者で、一橋大学名誉教授・日本学士院会員でありました。教え子にはクリスチャンとしても知られていた大平正芳元総理や三井物産の会長だった八尋俊邦などがいます。戦前に博士が著した『聖トマス経済学-中世経済学史の一文献』や『トマス・アクィナス』は今でも愛読しています。」
さらに真島神父の説明は続く。
「それから岩下壮一神父は大正の時代から昭和初期の代表的なカトリシズムの啓蒙家で神学の研究や布教活動に努めると同時に静岡県にある神山復生病院の院長としてハンセン病患者の救済事業にも尽した偉大な人物です。僕がこの幼稚園に勤め始めた年に昭和30年代ごろに中央出版社より刊行された全10冊からなる『岩下壮一全集』を前任の神父のかたから譲り受けて2年がかりで全巻を読破することができました。」
真島神父の話が長かったのか雅司は最後まで話を聞いて疲れ気味な様子でありながら真島神父のことが正直うらやましかった。
それから雅司は高校在学中本州の大学へ進学することを希望していたものの勉強が全く身に入らず一浪して札幌郊外の三流私立大学に進学することになった経緯を真島神父に語った。
「僕も東京の私立大学を志望していたんですけれど吹奏楽部でトランペット吹いてばかりいたから宗教はもとより英語とか数学とか古典・漢文なんかも全然ダメだったんですよ。それで高3の3学期に大学全部落っこちて浪人したんですけど予備校をサボっては喫茶店や古本屋にたむろしていたもんですから第一第二志望と立て続けに落ちて不本意にも札幌郊外の私立大学に進学しました。」
雅司はさらに大学時代について短く話す。
「僕なんか大学四年間授業やゼミなんか全く出ずに映画サークルに時間を費やしていました。松田優作とかアンジェイ・ワイダ監督の『灰とダイヤモンド』に主演したチブルスキーとかが好きなんですよ。真島さんは勉強以外に何かサークルとかやっていたんですか?」
真島神父は雅司の質問に答えるかたちで上智大学神学部在学中にカトリック学生の会というサークルのメンバーとして活動していたことを雅司に語った。
「僕はカトリック学生の会、通称カト学に所属していました。ミサとか合宿とか聖書研究なんかがメインでしたが、山谷へ炊き出しに行ったりフィリピンのミンダナオ島に赴いて難民の救援活動なんかもやりました。あと上智大学の第8代学長で物理学者・科学哲学者としてもご高名であった柳瀬睦男神父や遠藤周作の盟友としてしられた井上洋治神父などともお会いしまひた。」
雅司は真島神父のことが正直羨ましかった。
「山谷へ炊き出しに行ったりミンダナオ島まで救援活動に行ったりするなんて真島さん大したものですよ。しかも上智の元学長やあの遠藤周作の友達の神父さんとも会ったことがあるなんて。僕なんかキリスト教や福祉活動なんかに全く興味が持てなかったし、大学四年間将来にむけた準備とか学生の模範となるような活動をせずに気の合う仲間たちと映画サークルの活動に時間を費やして大学四年間を無為に過ごしてきましたからね。行き着いた先がこれですよ。」
真島神父はこう謙遜する。
「いやいや、そのカトリック学生の会も似た者同士の集まりでしたし活動も非常に地味なものでしたよ。それよりも僕のいた大学では聖職者よりも海外で働きたい人やマスコミ志望の人が多かっので英語研究会とか放送研究会なんかが華形でしたね。」
それからしばらくして雅司と真島神父は10分から15分近く大学のサークル活動についてこんな会話をはじめた
「僕のいた映画サークルなんか存在が地味どころか、ろくに映画も撮らないでコダールだのテオ・アンゲプロスだのフランシス・コッポラだのと言った映画論議や部室でビデオゲームをしたりしていることの方が多くてサークルとして活動しているかしていないかわからない状態でしたよ。」
「雅司さん、そんな華やかさだけでサークルを選んだりするのは僕はあまり好きではありません。自分がどんなことに取り組んでいきたいのかということを考えて勉強とかサークルに打ち込むのが一番です。」
「そうですよね。活動の派手さだけに捉われて有名なサークルや体育会系の部活動に入ったとしてもその人の肌に合わなければ無理がありますからね。」
「ははは、雅司さんよく言えている。」
雅司と真島神父の話がそろそろ終盤に差し掛かろうとした頃、午前の授業を終えたシスター紫子が受け持ちの教室から玄関を出て外庭の雅司たちのところにやってきた。
シスター紫子は雅司に例のお泊り会の件についてこう話す。
「雅司さん、来週の木曜日に長沼町にあるハイジ牧場へ行くんですけれど、ついていきませんか?」
それを聞いた雅司は一緒に行くのを渋るかのようにこう返答した。
「ハイジ牧場ですか?あそこは本当にいいところですけど、僕みたいな子供受けの悪い人間が付いてきたら園児たちに迷惑がかかって保護者たちから非難されないでしょうか?」
そこに雅司がハイジ牧場へのお泊り会へ行くことを躊躇しているのが気になったのか、真島神父がお泊り会に同行したほうがいいと雅司に諭す。
「一緒に行きましょう、雅司さん。札幌に独りでいたってつまらないでしょう。それなら僕や紫子さんとハイジ牧場に行って自然や子供たちと触れ合うほうがよっぽどいいですよ。」
シスター紫子も異口同音にハイジ牧場へのお泊まり会に同行することを雅司に勧める。
「真島さんのおっしゃる通りハイジ牧場に行って自然や子供たちと触れ合うことによって雅司さん自身も変われると思うです。」
二人の進言を率直に受け止めたのか、ハイジ牧場へのお泊り会に同行することをシスター紫子・真島神父・なべともさんに伝えた。
「真島さんや紫子さんも言っているのなら僕もお泊り会についていくことにします。札幌にいても喫茶店に行ったりこうやって幼稚園の外庭でタバコを吸うこと以外何もすることがありませんからね。それなら郊外に出て新鮮な空気を吸ったほうが心も体もリフレッシュできますし。別に子供は好きじゃないけど。」
締めくくりにシスター紫子がいつもの優しい口調でこう言った。
「それでは、来週の木曜日にここを出発して私と園児たちは幼稚園バスで、真島さんと雅司さんは学園専属の運転手が運転する車で長沼町のハイジ牧場に向かいます。そのハイジ牧場で子供たちと一緒に遊んだりしてから近くの宿泊施設で一泊します。翌朝はその宿泊施設を出てから北広島市にある果樹園を備えた大きな公園で果物を採ったり子供たちと遊んだ後に公園内のレストランで昼食を摂ってからここに戻ります。ちゃんと覚えていてくださいね、雅司さん。」
その場にいた雅司もこう返事した。
「分かりました、紫子さん。」
最後になべともさんがシスター紫子と雅司にこう言った。
「長沼町と言ったら味付けジンギスカンが名物でしょ。あれは本当に美味いから長沼町に行ってあれを食べないと絶対に損をするよ。多分ハイジ牧場や宿泊施設でも売っていると思うからお土産に買ってきてね。」
それを聞いたシスター紫子はなべともさんにこう言った。
「私達はその味付けジンギスカンを食べることはありませんけど、時間があったら必ず買ってきますので心配しないでくださいね。」
なべともさんが長沼町名物の味付けジンギスカンが食べたいのを聞いたシスター紫子は長沼町に行ったら味付けジンギスカンをお土産として必ず買うことをなべともさんに約束した。