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成就



24


千春が帰宅しようとした時、雨が降って来た。空を眺めた千春に蒼司は話しかけた。


「千春さん、私も今日はもう帰ります。一緒に行きましょう」

蒼司は大工に二言三言指示を出して、千春の元へと駆け寄った。

そして脇に置いてある番傘を手に取り、開いて千春の頭上に翳した。


千春が襲われた日以来、女性だけでは危ないからと、蒼司は千春の家で寝泊まりしていた。

元々広い家に、清一郎が存命の時は清一郎と千春、初の三人だけで暮らしていたので、余っている部屋はいくつかあり何の問題もなかった。


一つだけの番傘で雨を避けるため、必然的に身を寄せ合うようにして歩く。


ふと蒼司は開いている方の手で千春の手を繋いだ。

「蒼司さん、ここは外ですから……」

困ったように言う千春に、蒼司は言う。


「大丈夫、傘が二人を隠してくれますよ」


蒼司の温もりを感じた千春は、まるで条件反射のように身体の熱が上がったことを感じた。


静かな雨の音が千春を促したのか、千春は気になっていたことを口に出してみた。

「蒼司さんは……想い人はいらっしゃらなかったのですか?」


ーー我ながら馬鹿なことを聞いた、と千春は思った。

蒼司に恋人がいなかった訳がない。

彼の側にいると、いつも馬鹿な質問をしてしまう。


「気になりますか?」

妖艶に微笑んだ蒼司に、飽きもせずドキドキする。


「……はい」

素直な千春の肯定が予想外だったのか、蒼司は珍しく、ほんの少しだけ赤くなった。

しかし地面に当たる雨を見つめていた千春は、そんなことには気づかなかった。


「小説談議に花を咲かせたり、人がやりそうにない馬鹿なことをやったりと、男衆とつるむことがほとんどでしたからね」


「でも、おモテになるでしょう?」


「……数回会って何となく疎遠になる。その程度で、深い関係になった方はいません。

好きになってもらうのと、自分が好きになるのとでは大違いですからね」

蒼司は繋いだ手に力を込めた。


「こんな気持ちは初めてですよ」


激しくなる雨も気にならなかった。

今の気持ちなら嵐が来ても大丈夫だろう、と千春は思った。


「千春さん、睫毛がついています」


「えっ、どこですか?」


「目を瞑ってください」


千春はその言葉に従った。


蒼司の手の感触を想像していた千春は、口付けされたことを知り、驚いて目を開けた。


「すみません、あまりに可愛かったもので……」

「もう……」


身体が火照って仕方ない千春に、蒼司は続けてキスをした。



25


「初さんのご実家から、電報が届きました……」


仕事途中の女中を呼び出し、千春はそれを手渡す。

そこにはこんな文章が書いてあった。


「チチキトク トクカエレ」

ー父危篤、疾く帰れー


千春は心配顔で言った。

「臨時の藪入りを差し上げます。ご実家に帰られて下さい。日にちは……一週間程で足りないのなら、幾らでも。落ち着くまでいて下さい」


「奥様、勿体ないことでございます!」

千春は拝んだ初の肩に優しく触れて言った。


「もう今日の仕事は結構です。汽車を調べました。まだ時間は間に合います。行って下さい」


ハラハラと落ちる涙を拭いもせず、丁重なお辞儀を何度もし、初はその場を離れた。



「初さんは何日かご実家ですか……」

背後から急に聞こえてきた声に千春はビックリした。


「蒼司さん、いらっしゃったのですか。驚かさないで下さい」


「……それではこの家に寝泊まりするのは、私たちだけですね」

何食わぬ顔で言う蒼司の意図を汲み、千春は真っ赤になった。


こんな時に、なんてーー

なんて不謹慎な。


そう思いはしたけれど、蒼司が放った言葉の威力は物凄く、初な千春は押し黙った。


それを見て、蒼司は困ったように笑った。


「嫌だなぁ、そんなにあからさまに警戒しないで下さいよ」

千春はどうしていいか分からず、自分の手を揉んだ。


「あなたが嫌なら私はあなたに指一本触れませんよ」

千春を安心させるように微笑して、蒼司はまた何処かへ行ってしまった。


一人残された千春は蒼司に翻弄される自分を意識して、しゃがんだ。


「はぁ〜……」

いつになったら彼の一挙一動に慣れるのかしら……。このままでは心臓が持ちそうにない、と赤くなった頰を片手で扇いだ。



その日の夕方、蒼司の元へ友人が訪ねてきた。

話が弾んだ二人は、お酒を片手に騒ぎ千春の知らぬ間に居間でねっ転がっていた。


スースー寝ていた蒼司が、客人の鼾に反応して眉根を寄せるのを見た千春は、思わず吹き出した。

けれど二人を起こさないように慌てて口を押さえ、笑顔のまま掛け布団を持ってきて二人に掛けた。


居心地の良さそうな蒼司の寝顔を見て、千春はひどく幸せな気持ちになって、自室へ戻って行った。


蒼司の一言のせいで夕方まで緊張していた千春だったが、そんな必要はなかったと安心してーーそして心の奥底でほんの少しだけ残念がってーー眠りに就いた。



26


そんなこんなで三日ほど経っただろうか。


夜も更けて、鏡台の前で髪を梳かしていた千春は、廊下の足音が自分の部屋の前で止まるのを聞いた。


「千春さん、ちょっとよろしいですか」


蒼司の声に慌て、襖越しに声をかける。


「あの、ちょっとお待ちください。私、今は寝間着でして……」

言い終わる前に襖が開いた。


「大丈夫です、外は真っ暗なので誰からも見られませんよ」

千春は言わずもがな、蒼司に寝間着の姿が見られるのが恥ずかしかったのだ。


聡い蒼司がそのことを分からない筈がない。それなのに強引に部屋に入ってくる。


千春は赤くなりながらも、蒼司を少し睨んだ。

「お待ちください、と申し上げましたのに……」


蒼司は少しも悪びれずに言う。

「では、私は縁側で待っておりますので早めにお降りください。因みに、私はその格好でも構いませんよ」


相変わらず予想外のことをしてくれる。

困った千春はどうしようかと逡巡した。


しかしあの言い方では外出する訳もなかろうし、それにもう寝間着は見られてしまった。

素早く着替えようかとも思ったが、蒼司が何をするつもりなのか気になって気が急く。


観念して羽織物をはおり、ランプを手に取って下へと降りて行った。


縁側に降りると、「やぁ、早かったですね」と蒼司は少し意地悪そうな顔をして千春に笑いかける。


千春は「一体全体どうなさったのですか」と言外に非難をにおわすが、もちろん本気で怒っている訳ではない。


ただの照れ隠しなのが蒼司にも分かっているため、蒼司は意にも介さない。

子供のような顔をして、千春に話しかける。


「花火をやりましょう」

千春は驚く。


「花火、ですか?」

「そうです。季節外れではありますがよろしいでしょう」


千春は蒼司の手元を見た。

そこには千春の見たことがない花火があった。

「これは……?」

「長手牡丹と呼ばれる線香花火です。実は鍵屋に知り合いがおりまして、頼み込んで何本か貰って参りました」


このお方は、何て顔が広いことだろう。

町の至る所に知り合いがいるようだ、と千春は思った。


「線香花火……聞いたことはありますが、見るのは初めてです」

嬉しそうな声を出した千春を見て、蒼司は満足そうに笑った。


「あなたなら気に入って下さると思っていました」

蒼司は千春に線香花火を手渡す。


「こちらを下にして燃やします」

千春は持っていたランプを少し離れた場所に置き、戻ってきたところ、蒼司がマッチを擦って花火に火を灯した。


すると柔らかなオレンジ色の円い光から、繊細な模様の火が吹き出した。


初めての光景に千春は感嘆の声を上げる。

「わぁ……」

その模様は徐々に大きくなり、パチパチという音は静寂の中よく響いた。


すぐにもそれは勢いを失い、最後には蛍の光のように変化をし、小さく小さくなり消えた。

一分にも満たない僅かな時間の中、その温かな輝きは千春の心を明るくさせた。


花火が消えたのを確認して、蒼司は新たな線香花火を千春に渡して火を付ける。


そして自分もその隣で、線香花火を楽しんだ。

二人とも寡黙になり、花火の音に耳を澄ませる。

沈黙は恐くなく、心地良いもののように感じられた。


「綺麗だ……」

「ええ、本当に」

千春が同調すると、蒼司はクスリと笑う。


「いえ、あなたが」

その瞬間、線香花火の火が落ちて真っ暗になった。

千春は一瞬何を言われたのか分からなかった。

花火を見ていた千春だが、強い視線を感じて思わず蒼司を見返した。


蒼司は何も言わない。

それなのに千春から目を逸らそうとしない。


先程とは異なり、沈黙が苦しくなった千春はマッチの箱を取ろうとして手を伸ばす。

その手をさり気なく取った蒼司は、遂に言葉を発した。


「千春さん、私と夫婦(めおと)になってください」


暗闇に目が慣れてきて、蒼司の真剣な瞳に捕らわれた。

もう逃れることは出来ないーー


蒼司への想いはあまりにも強烈で、信じられないくらい幸せすぎて、千春は怖かった。

これ以上好きになってしまったら自分がバラバラに壊れてしまう気がした。


けれど千春には躊躇う余地がなかった。


「焦るつもりはありません。よく考えて返事をーー」

「はい」

蒼司の言葉を遮って、千春は頷いていた。


蒼司は不思議そうな戸惑った顔をして、「千春さん、今のはい、はーー」

「はい……」


瞳を大きく見開き、蒼司は千春の言葉を理解した。その時の蒼司の表情があまりにも嬉しそうで、千春は泣いた。


するといつも冷静な蒼司は狼狽し、尋ねる。

「千春さん? どうして泣くのですか?」

温かい彼の手が優しく千春の肩に置かれ、蒼司は千春をよく見ようと顔を覗き込む。


「あなたがいないと、もう息もできません……」

思いの丈を打ち明けた千春に、蒼司は息を飲む。


千春は後悔した。

自分の気持ちが重すぎる、と。

こんなことは言うべきではなかった、と。


蒼司は言った。

「参ったなぁ……」

その困ったような声に、今の発言を訂正したい気持ちに駆られて、千春は顔を上げる。


すると予想に反して蒼司は言った。

「そんな可愛いことを言われては、あなたに触れないのは無理です……」


驚いて涙が止まった千春に蒼司はキスをした。そのキスはいつもとは違って、余裕のない、荒々しいものだった。


「…っっ」

一息つく間も与えない程の深いキスが繰り返され、千春は気づけば彼にしがみついていた。

そうしないと立っていられなかった。

蒼司に応えようと必死だったが、腰が砕けそうだ。


そんな千春に気づいて、蒼司は千春の腰を自分の元へと更に引き寄せたーー

と思った次の瞬間、千春の身体は宙に浮いていた。


「きゃっ!」

ビックリして思わず声が出た。


蒼司は千春を横抱きにして、自分の部屋へと連れて行く。

そして「申し訳ないですが、止まれそうにありません」と、全然申し訳なさそうでない、蕩けそうなほど甘い笑顔で千春にまたキスをした。




注釈:藪入りとは、奉公人が実家へと帰ることのできるお休みのことです。藪入りは通常、旧暦の一月十六日と七月十六日の二日のみでした。

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