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計略



13


どうしよう、どうしようーー


店の奥で千春はその場を行ったり来たりして、手に持った手紙を眺めては深い溜息をついた。

出がけに初から貰った手紙を呉服屋で開いたら、こんな内容が書いてあった。


ーー


お前の旦那が無様にもあのような死に方をして、我が家も、どれ程恥をかいたか知れない。


何度も帰郷するよう手紙を出しだが、お前はそこに留まりたいの一点張りで、納得のいく説明もない。

呉服屋の仕事が楽しくなったからなどと、笑止千万。

お前は漢にでもなったつもりか?

女子たるもの、子どもを産み育て、お家に尽くすのが筋ではないか。


いくら言ってもお前は聞かぬ。

それならば私の方からそちらに出向くことにする。

十一月一日、連れ戻しに行くからそのつもりで待っていろ。

外出して留守は許さん。


ーー


頑固一徹の父らしい、有無を言わさぬ内容だった。

今まで幾度も手紙でやり取りしてきたが、千春の気持ちは何一つ伝わっていなかった。


千春には帰る気がなく、けれど面と向かっては父に逆らうことも出来ず、どうしようかとオロオロしていた。


「千春さん」


そんな折、蒼司に自分の名を呼ばれたので千春は飛び上がらんばかりに驚いた。

思わず手紙を後ろに隠すが、その動作にはさり気なさのかけらもなく、蒼司はすぐに気づいた。


「今、何か隠しましたね?」


「いえ、そのようなことは!」

声が裏返った。


その声を聞いた蒼司は、可笑しそうに肩を震わせて笑った。


「あなたは嘘が下手ですね」


肩の力が抜けた千春は、手紙を隠すのを諦めた。

その拍子に、蒼司が素早い動きで千春から手紙を奪う。


「蒼司さん!」

慌てて手紙を取り返そうとするも、背の高い蒼司は腕を上げながらそれを読むので、千春の手は手紙を掴めない。


怒ろうと思ったら、蒼司は早くも千春の手元に手紙を戻した。


ーーもう読んだのかしら? それにしても一瞬だった気がするけれどーー


違うことに意識がいって怒る気が失せた千春に、蒼司は話しかけた。


「千春さん、二つ聞きたいことがあります。

あなたは親元に帰る気はなく、ここに留まりたい。あっていますか?」


「はい」

反射的に答える。


蒼司は更に質問を重ねる。


「そしてもう一つが大切な質問です。私のことを信じていますか? ーー何があっても、という意味です」


質問の意図が分からなかった千春だが、答えることに不思議と寸分の躊躇いもなかった。


「ーーはい」

思わず頷いた千春に、蒼司は心底嬉しそうな顔をした。


「なら、この件は私に任せて下さい。あなたは何も心配しなくていい」


自信ありげな蒼司の表情を見た千春だが、頭の中は疑問符だらけで、とてもじゃないけれど安心していられなかった。



14


ーーついにこの日が来てしまった。

蒼司はあれ以来手紙の件について何も言ってこない。


どうしたらいいのーー

以前より考えていた、父が来た時に伝えるべき言葉を、千春は必死になって反芻する。


そんな時、父の野太い声が聞こえた。

女中の初が玄関を開けると、久しぶりに見た父の頑固そうな顔と気弱な母のオロオロした顔があった。


「父上、母上、お久しぶりでございます。長旅で疲れましたでしょう? どうぞ、こちらへ……」

父母を中へ通そうとした時、焦った感じの初の声が千春を止めた。


「奥様……馬車が……」

千春が外に出ると、今まで見たこともないような豪華な馬車が軒先に停まっていた。


黒光りした車体に、所々金が誂えてある大きな車輪。溜息が出そうなほど細やかな文様が施された御者席。

そして引き締まった筋肉と見事な鬣を持つ二頭の馬がいた。


千春も千春の父母も一様に言葉をなくし、その場に固まっていた。


すると召使いのような身なりをした人が降りてきて、ビロードに隠された客車の扉を開ける。


中から一人の紳士が出てきた。

あまりにも高価な洋服を着て、綺麗に髪型を整えた蒼司を見て、千春は一瞬それが誰だか分からなかった。


馬車から降りた蒼司は、扉を恭しく開けた男に声をかけた。

「もうこちらはいいよ。帰ってくれ」


ぞんざいな口の聞き方に目を丸くする千春。

けれど男はそれを気にする様子もなく、慇懃にお辞儀しながら言った。

「かしこまりました」


再び男が馬車に乗ると、馬車はゆっくり走り出した。


蒼司は千春の父母に向き直り、丁寧な挨拶をした。


「ご挨拶が遅れて大変申し訳ございません。お初にお目にかかります。この度呉服屋を継ぐこととなりました、望月の次男、蒼司と申します。華族の友人にパーティーなるものに招待されて、大事な日だと言うのに無理矢理連れ去られてしまいました。そんな訳で大変お待たせしてしまったかと……」


千春の父母は今や目が飛び出さんばかりに驚いて、あまり意味のなさない言葉を発した。


「あ、はぁ……いや」


あまりの出来事に千春の心臓はドキドキ煩い。

その場を見かねたのか初が皆に話しかけた。


「あの……恐れ多いようですが、こんな所で話も何ですし……」

その言葉にハッとして千春は後を続けた。


「そ、そうです! どうぞお上り下さい」


「では、遠慮なく」

ニッコリと笑った蒼司の笑顔には気品さえ感じられた。



…………。


熱いお茶が出されるも誰も手をつけようとしない。


この中で蒼司だけ、状況を把握していて落ち着いている。

父が何かを話す前に、蒼司は口を開いた。


「この度は兄の不手際で、多大なる心労をおかけしたことと存じます。心よりお詫び申し上げます」


蒼司は床に手をついて、土下座をした。

驚いた千春は「蒼司さん!」と言って、それを止めようとした。


蒼司はしばしそのままでいて、それから顔を上げた。

「ご両親のお話は千春さんから伺いました。千春さんを御心配するお気持ち、当然かと存じます。けれどーー今日は折り入って私の方からお頼み申し上げたいことがございます」


あまりの真剣な瞳に魅せられて、千春の父母は口を挟まなかった。


「私はーー千春さんをお慕いしております。ご両親のお許しが頂ければ、兄の喪が明け次第、婚姻を結びたいと考えております。

どうかお願いですーー千春さんを、私に下さい」

蒼司は再び頭を垂れた。


千春は今やびっくり仰天して、蒼司の隣で慌てふためいた。


やっとの事で父は口を開いた。

「仕事はーー」


「呉服屋を続けて参ります。近々、東京で有名なつるや店を吸収合併する算段をつけております。千春さんに苦労はさせません」


それを聞いた父は押し黙った。

母は隣で頬を赤らめて、既に賛同の意思表示をしているかのようだ。


「あいわかった」

蒼司はその言葉に顔を上げた。

「ふつつかな娘ですが、どうぞよろしく頼みます」


父母は二人して床に手をつき、丁寧にお辞儀をした。


話がここまで進んでしまっては、千春はどう口出しして良いのかももはや分からず、完全にパニックになっていた。


そんな千春をよそに、蒼司は人好きのする顔で「ありがとうございます。必ずや千春さんを幸せにいたします」と笑った。


一人悶々とする千春なんてお構いなしに、蒼司は言葉を続ける。


「お父様、お母様、もしよろしければ呉服屋の方をご案内いたしますがいかがですか? お気に入りの物が見つかりましたらお送りさせていただきますので、ご遠慮なく」


母は今や恋する乙女のように瞳を輝かせ言った。

「えぇ、それは素晴らしいですわ」


「今日はお二方の為に、東京一名高いホテルを予約してあります。お疲れになりましたらそちらにお送り致しますので、いつ何時でもおっしゃってください」


今や頑なだった父でさえ相好を崩し、「何だかいろいろすまないな」と言って笑った。


一人取り残された千春は、どうやったらこの状況を覆せるのか全く思いつかず、蒼司にどう文句を言おうものかと考えていた。


ーーあんな嘘を言って、父上と母上を騙すなんてーー

そうは思ったが、憎む心は少しも続かず、唯ドキドキして仕方ない自分を恨めしく思った。



15


「一体全体どういうおつもりですか?」


蒼司と千春は、千春の両親と一緒にホテルで夕食をとった後、彼らを部屋まで送っていった。


その帰り道、ようやく蒼司と二人きりになれた千春は口火を切った。


「どう、とは?」

見慣れない格好の蒼司に見つめられ、たじろぐ千春だが、それまで我慢していた言葉を蒼司に投げつけた。


「あんな嘘をついて! 豪華な馬車と洋装まで用意して……蒼司さんはどうかしています!」

赤くなって怒る千春を見て、蒼司は少し困った顔をした。


「嘘、ですか……。でも千春さんは助かったでしょう? これでもう何も言われませんよ」


「そんな! もっとお怒りを買うのが延びただけではありませんか!」


蒼司はすました顔で話を変えた。

「あの馬車は良かったでしょう? 友人に相談したら、面白がって協力してくれて……しかしこの服は窮屈でいけない」


千春は愈々腹が立ち、子どものようにプゥッとむくれた。


その顔を見た蒼司は吹き出し、肩を震わせるほど笑っている。


「蒼司さん!」

咎めるように大きな声で名前を呼んだ千春に、「すみません。あなたがあまりにも可愛らしくて……」と言ってまた笑った。

「そんなお顔を見られるのなら、凝った演出をした甲斐がありました」


その言葉を聞いた千春は呆れて、「もう知りませんから!」と言って早歩きしたが、「夜道は危険ですから」と言った蒼司にすんなり追いつかれてしまい、どうにも情けない思いがした。




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