暗闇の邂逅
なんだ、ここは。
普通だったら、闇に眼が慣れてくるものである。それなのにいつまで経っても目が慣れてこない。足元を叩けば、そこは砂浜ではなく叩けば硬質の床で、手がジンっと痛む。少し歩けばごちんと何かの壁に当たる。
ジョンは狭い部屋に閉じ込められたようだった。
何も音のしないその空間で、ジョンは自分の心臓の鼓動の音だけを聞いた。
どっどっどっと自分の血液が体中を駆け回る音を聞きながら、ジョンは脂汗が額から流れるのを感じた。
「ま、魔法か……。だ、大丈夫だ。出れるはずだ」
はっと気配を感じてジョンは後ろを振りかえる。なぜだか誰かがそこに居る気がしたのだ。しかし、そこには誰もいない。ジョンは、あの悪夢的なポイントレスの笑顔を思い出した。
「くそっ。何が賢者だ。ふざけやがって……!」
もしかしたら、あのクソ賢者はどこからかジョンが慌てふためく様子をにやにやと見ているのかもしれない。ジョンはぎりぎりと歯ぎしりをした。
「出せよ!おい!!!」
ジョンはバンバンと壁を叩いたが、何の返事もない。
ぐうっと眉間が痛くなって、ジョンは泣きたくなった。しかし、泣いてはいけない。大人は泣いてはいけないのである。どんなにつらくても、情けなくても大人は泣いてはいけないである。大人になるって大変。
「大丈夫だ。助けが来る……助けがくるはずだ……」
そんなことをジョンは思ったが、一体誰が?とも思った。
誰も彼を助けに来る人などいないのだ。そんな人脈も人望がジョンはもってなどいない。
これが、俺が積み上げてきた人生か。
ジョンは情けなさに笑いたくなった。
ふざけやがって、あのクソ賢者。
大体本当に賢者だったのかもうさんくさい。馬鹿にしてやがる。
絶対ここから出て、あいつ殴ってやる。そうだ、あきらめちゃいけない。俺の死に方は俺が決めるんだ。あんな野郎に勝手に決められてたまるか。
ジョンがそう決意した時、不思議なことに暗闇の中にすぅぅっと白い人影が見えた。
「えっ」
その顔は良く見知った顔だった。
「父さん?」
それはジョンの父親の姿だった。
ジョンの故郷は小さなホビット庄である。土の中に埋もれた家は代々ひいひい爺さんの家から続くもので、ジョンの家族は麦を育て、ウサギとニワトリを飼い暮らしていた。暮らしぶりは質素で、豊かとは言えず、ジョンの父親は温厚なホビットたちの中では粗暴で、気に入らないことがあるとすぐに子供たちに手をあげた。ジョンには兄弟が3人いて、ジョンはその真ん中。年の近い弟はおとなしく聡明で「この子は学者になるんだよ」と母親が可愛がっていた。ジョンの方と言えば別におとなしくも聡明でもなかった。
小さい頃、手が滑りカシャンとクリスタルのグラスを割ったことがある。床に散ったきれいな欠片。一つ目はただ単に手が滑っただけだったけれども、二つ目は、ジョンはわざと床にたたきつけた。カシャンとまた澄んだ音が響いた。それが楽しかった。三つめも割ろうかと思ったところで運悪く父親に見つかった。
強くはたかれて、父親はジョンの髪をつかんだ。ジョンは声にならない叫び声をあげ、父親はそのままジョンをひきずって、彼を納戸に閉じ込めた。
暗く狭く臭い納戸に閉じ込められたジョンは、もうしませんと泣きながら叫んだ。何度も扉をたたいた。それでも外には出れなかったのである。
「くそっ……!」
ジョンは闇の中に父親の姿を見つけて叫んだ。これも魔法か。それとも暗闇が見せる幻覚か、ジョンには分からなかった。
「あんたがここに居るわけはないじゃないか!!」
ジョンは叫んだ。
父親がこんなところに居るはずはない。だって、父親とはホビット庄を出てから何十年というもの会っていないのだから。
ずきりとジョンは頭が痛むのを感じた。ちょうど父親がジョンの頭をつかんだ所が、割れそうに痛んだ。
「畜生!よせよ!」
ジョンは父親の幻影が近づいてくるような気がして、手を払った。
「もうあんたにはそんなことはさせないんだ!俺はもう、大きいんだ!そんなことさせないんだ!」
そう言いながらもジョンは父親から背を向けて走り出した。すぐに壁にぶつかり、ジョンは叫んだ。
「くそぉ!出せよ!ここから出せよ!」
ジョンは壁を叩いた。
これはあの納戸の時と同じだ。
とジョンは思った。親父の許しがあるまで、俺はここから出れないんだ。
「ちくしょう……!」
ジョンは気づくと泣いていた。あんなにさっきまでは泣いてはいけないと思っていたのに、気づくとジョンは泣いていた。
「こんなところは嫌なんだ!!!もう出してくれ!!」
ジョンは壁を叩き続けた。拳の皮膚が裂けて血がにじむ。
「こんな所はもう嫌なんだ……」
ジョンは血がにじんだ手で頭を抱えてうずくまった。
どうして、俺はこんなところにいるんだ。
早く逃げなければ。
早く……早く……早く……。
でも出れないんだ。俺は一生ここから出れないんだ。そんなのは嫌だ……そんなのは嫌だ。どうしてこんなに苦しいんだ。なんでこんなところに居なきゃいけないんだ。
これも全部、親父、あんたのせいだ。
ぎろりとジョンは父親の幻影をにらみつけた。
あんたがあんなことしなければ、俺はまだホビット庄にいたんだ。そこで嫁さんなんかもらって、普通にみんなと同じように子供作って、麦を育てて暮らしていたんだ。それをあんたが、俺から奪ったんだ。
おいおいとジョンは泣き続けた。与えられなかった生活を泣いた。見れなかった理想の生活のためにジョンは泣き続けた。
一体、どれだけ泣き続けたのだろうか。
泣き続けて、泣き続けて、突然ジョンはぴたりと泣くのをやめた。やけに頭の中がシンっとするのを感じた。
「ごめんな」
喉がカラカラになったジョンは闇の中に浮かぶ父親にそう声をかけた。
さっきまで怒っていた顔をしていた父親は、今度は悲しそうな顔をしていた。
「ごめんな」
とジョンはもう一度言った。
本当は知っている。親父のせいでもなんでもないんだ。
ここに居るのは自分のせいなんだ。
俺が、田舎暮らしが耐え切れなくて、逃げ出したんだ。故郷にいるバカなホビットたちと自分は何か違うんだって、そう信じて飛び出したんだ。
でも俺はいまだに何者でもない。
「ごめんな。俺はダメ野郎なんだよ。あんたが望むような素朴なホビットにはなれなかったんだ。だから、ここにいるんだよ」
ジョンは固く目を閉じた。また一筋涙が流れ落ちた。
「でも、もうダメなんだ。どうしたらいいか分からないんだよ。父さん」