悲喜交交(ひきこもごも)
握手を交わし、その手を放すや否や水戸が仕掛けた。
一旦間合いを離す事も構えを取る事も無い。
健闘を誓う契りの手を放したと同時に、無防備な大作目掛けてその身を沈めたのだ。
一見、卑怯とも映る奇襲のタックル。
ロープエスケープを認めないバーリ・トゥードに於いては、寝技に持ち込み有利なポジションを取るだけで圧倒的なイニシアチブを握る事が出来る。
そのまま試合が決まってしまう事も珍しく無い程、ポジショニングというのは重要なのだ。
心に余裕の無い水戸は、卑怯と叩かれようが勝利に近付く為に倫理観を棄てこの作戦に出た。
目の前に2本並んだままの足が見える。
あとはそれを抱え込み、押し倒した大作の上に跨がれば…
今後の展開を頭に描いた。
ところが…大作の足を抱えるはずだった己が両腕は、何を掴む事は無く自らの身体を抱いていた。
「!?」
さっきより遠い位置に大作の足が見えたと思ったら、突然視界に丸い物が迫って来た。
そしてその後の記憶は消え去っていた…
鼻と口に拡がる鉄の臭い、それが最後の記憶だった。
時に人は意図せずして、神憑った反応を示す事がある。
例えば…手に持っている物を落としそうになった時などがそれだ。
脳の指示より先に反応したかの様に身体が動く。
1秒にも充たない時の流れの中で、肉体に起こる不思議なメカニズム…
この時の大作もそうだった。
突然足下に水を撒かれたかの如く、瞬時に後方に跳ねて腰を引いたのだ。
そうして水戸のタックルを透かすと、がら空きのその顔面に膝を突き刺した。
タックルを空振りした水戸の頭部は膝蹴りをくれてやるのに丁度良い位置にあり、そこにカウンターでモロに入ったのだ。
ひとたまりも無くそのまま前のめりに倒れた水戸…
ピクリとも動かない。
レフリーの朝倉が慌てて試合を止めた。
開始13秒…大作のKO勝ち…
セコンドをはじめグラップスの面々がリングに雪崩れ込み、失神した水戸へと声をかける。
リングドクターが呼び込まれ、会場とリング上が一気に騒然となった。
あの日とは逆の光景だが、あの時の大作の様に水戸が本能で向かって来る事などは無く、意識が戻るとそのまま担架で運び出された。
頭を下げてそれを見送った大作。
静かに上げられたその顔に充実感などは微塵も無く、雪辱を果たした者とは思えない寂寥だけが張り付いていた。
試合後の控室。
未だ冴えない表情の大作に崇が声を掛ける。
「まぁ…気持ちは解る。解るけどお前は団体の長で、この試合は敗けられへん試合やったんや…今は素直に結果を喜べ」
「わかっとる…わかっとるんやけど…」
複雑な笑顔で言葉を探し、そっと本音を吐き出した。
「俺さぁ…そこそこ重い覚悟でこの試合に挑んだんよ。それだけに、もっとこう…真正面からお互いを比べ合いたかった。あの膝蹴りも無意識に体が動いた結果やから〝闘ったっ!〟とか〝技を比べ合って勝ったっ!〟っていう自覚もあらへんねん。完全に消化不良やわ…」
「アイツは…水戸は…正面からぶつかり合うとか、そんなつもり毛頭無いって行動に出たんや。ルールを変えてまで自分と闘いたい…そう言ってくれる男の心に応えんかった。アイツがあの作戦を選んだ時点で女神は奴を見放したんや」
崇の言葉を聞いて頷いてはいるが、どこか諦めのつかない表情。
「そうかもな…でもこれで1勝1敗やし、いつかもう1回やって白黒つけるわ。その時は、がっぷり四つでやり合いたいなぁ…」
大作が言い終えたその時、控室のドアが開き優子が入って来た。
「おつかれっ!!」
大作の心情を察しているのか、わざとらしいまでの元気な声で労いの言葉を掛ける優子。
「お前の女神様の登場やな」
冷やかしでは無く、本心から言ったつもりだが、大作はからかわれたと思ったらしく
「時々女神、大半は鬼…やで」
照れ隠しにそう毒づいて見せた。
「ほう…今日は女神で居るつもりやったけど…予定変更っ!」
怖い笑顔を浮かべる優子。
「冗談っ!冗談ですともっ!!」
そう言う大作に立てた爪を向け、威嚇して見せる優子
「シャ~!!」
「やめれぇ~!!」
いつしか大作の顔には心からの笑顔が戻っている。
まさに悲喜交交である。
それを見ながら崇は思う
(やっぱ間違い無くお前の女神やで)
こうして幕を下ろしたグングニル初興行「birthday」
成功と呼んで差し支え無い物だったが、次の日に予想だにしなかった2つの情報をもたらす事となる。
それは2つ共メインイベントに関係する物だった。