新たな奇策
ジリジリ、、、ジリジリ、、、
少しずつだがロープへと近付く高梨。
あと30㎝で手が届く。
ジリジリ、、、
あと25㎝。
ジリジリ、、、
鈴本という重い足枷を引き摺りながら這って行く。
ジリジリ、、、
あと20㎝となったその時、突然視界からロープが遠退いた。
鈴本が一旦技を解いて立ち上がり、高梨の足を掴んだままリング中央へと引き戻そうとしているのだ。
到達目前で遠退くロープ、、、
オアシス目前でそれが蜃気楼と気付いた時の様な絶望感。
しかし高梨はこの絶望的状況の中、脱出の糸口も見つけていた。
未だ左足を掴まれてはいるが、鈴本が立ち上がった事により先迄よりは遥かに体の自由が利く。
腕立ての要領で体を浮かせると、マットと体の間に空間を作り自由な右足で鈴本の脛を目掛けて後ろ蹴りを放った。
お互いが寝技状態での打撃は禁止だが、鈴本が立っている為にこれはルール上の問題は無い。
体勢が不十分なため威力は無いが、高梨の狙いはダメージを与える事では無かった。
そしてその狙いは見事に果たされた。
脛を蹴られた鈴本は前につんのめる形でバランスを崩し、せっかく掴んでいた高梨の左足を放してしまった。
すかさず立ち上がり距離を取る高梨と、それを渋い顔で見送る鈴本。
2人共に絶好のチャンスを得ておきながら、互いにそれを物に出来ないまま試合は振り出しに戻った。
汗をかいた状態で長時間マットを這っていた為、高梨の胸の落書きは歪に滲んでいる。
ここでレフリーの朝倉が、汗で滑り易くなったマットを拭く為に一旦試合を中断した。
その間、各コーナーに戻った両者にお互いのセコンドが言葉をかける。
「なっ?嘗めてかかったら痛い目見るって言うたやろ?でも少林寺の技ってのは鈴本っちゃんの知識に無いやろうし、目のつけ所はええと思う。それでもっぺんペース取り戻そうっ!!」
高梨の汗を拭き取りながら言う崇と
「御意」
それだけを答えた高梨。
「惜しかったなっ!でも流れは五分に取り戻したし、この調子で行こっ!!」
こちらも鈴本の汗を拭きながら言う新木。
「新木やんの指示のお陰や、、、助かったわ」
珍しく満面の笑みを浮かべた鈴本が感謝の言葉を述べた。
ここで朝倉が試合再開の為に両者を呼び寄せる。
30秒にも満たないインターバルだったが、2人の呼吸を整えるには充分だった。
期待と興奮を拍手や足踏みで示す観客達。
その歓声の中、ゆっくりとリング中央へ歩み寄った鈴本と高梨。共に薄い笑顔を浮かべている。
そんな2人を交互に一瞥した朝倉、両者の間の空間をその手で斬りながら再開を告げる声を挙げた。
「ファイッ!!」
再びアップライトに構える鈴本。
対する高梨も今度は鈴本と同じアップライトに構えている。
しかしその目線は鈴本を捉えてはおらず、僅かにその横を見ていた。
いや視線だけでは無い。
顔その物が鈴本の方を向いておらず、まるで鈴本の隣に誰かが居るかの様にそちらを向いている。
どよめく観客達。
「そこには誰もおらんぞ~っ!」
「アホかっ!高梨だけに見える奴がおるねんっ!」
そんな野次のやり取りで笑いが起こっている。
崇は頭を抱えていた。
(何が御意や、、、)
少林寺で攻めろという自分の指示など、無かった物かの様な高梨の行動である。
しかし崇は知らなかった。
高梨の奇策に見えるこの行動にも、実は少林寺拳法の技術が用いられている事を、、、