宜候
世間がやっと正月ボケから抜け出す1月中旬。
鈴本・大作の敗戦、そして室田の死と大きな出来事が続いたグングニルだが、ようやく日常を取り戻していた。
しかし崇は先日決心した事を未だ大作に話せないでいる。
焦る必要は無いのだが、出来れば早めに話しておきたかった。
しかし室田の件で話すタイミングを失い、そのままとなっている。
(まぁ、折りを見て話すかぁ、、、)
無理矢理に自分を納得させると、他のスタッフと共にジムのオープンに向けて準備に取り掛かった。
オープン15分前、毎日行われるスタッフミーティングが始まった。
進行は大作が務め、各々が意見や問題点を交換しあう。
しかし堅苦しい物では無く、いつも雑談の延長の様なノリで行われていた。
しかしこの日の大作はいつに無く神妙な面持ちだった。
緊張感を滲ませながら、ゆっくりと口を開く。
「えっと、、、今日は皆の意見を聴かせて欲しいんやけど、、、」
皆を見渡し、ミネラルウォーターを一口含む。
スタッフ一同もいつもと違う大作の空気に、ただならぬ物を感じていた。
「グングニル名義で興行を打とうと思うんやけど、、、どない思う?」
皆、驚きで声を出せなかった。
あの敗戦から1ヶ月しか経っていない、普通に考えれば時期尚早と捉えるのは当然である。
無言・無音の驚きが場を包んだまま、そんな中で大作が尚も続ける。
「気を遣わんと率直な意見を言うて欲しい、、、」
最初に意見を述べたのは鈴本だった。
「小さい会場やったらええと思う。ただ単独でやるには選手が足りへんやろ?俺と高梨、それに大ちゃん、、、あとは会員で育ってるのが3~4人やから、、、3試合くらいしか出来へんで?」
クールな鈴本らしく、客観的で的確な意見を口にした。
頷きながら聞いていた大作が、その意見に笑顔で答える。
「会場は勿論小さい箱を選ぶつもりやで。試合数の事やけど、今考えてるのは会員同士で2試合。鈴本っちゃんには高梨の哲っちゃんと闘ってもらうとして、他団体から選手を出してもらって2試合。これで、、、えぇ~とっ、、、」
頭上を眺めながら考える大作。
それを見て呆れた様に優子が助け船を出した。
「今で5試合っ!!」
言ってから首を振り、溜め息をつく優子。
「うん、、、知ってた、、、」
顔を赤らめ、口を尖らせる大作。
うらめしそうに優子を一瞥したが、気を取り直して続きを話し始めた。
「その5試合プラス、障害者の部のエキシビション。それと俺の試合で計7試合、、、十分ちゃう?」
「フーン、、、それやったらまぁ、なんとかなるか、、、」
鈴本が腕を組み、小さく数回頷いた。
大作の「俺の試合」という言葉に何やらピンと来た崇。
「お前、ひょっとして、、、」
それだけを告げ、そのまま大作の言葉を待っている。
大作は含み笑うと、ポリポリと頭を数回掻いて
「するどいなぁ福さんは、、、多分福さんが想像しとる事、当りやと思う。まぁまだ何も決まってへんけどな」
と答えた。
2人の会話についていけず、他のスタッフは崇と大作を交互に見ているだけである。
そんなスタッフ達を他所に大作が己の意見を語る。
「皆、不安やと思うわ、、、正直、俺も不安やし。前の試合に勝ったんならまだしも、あんな結果やしな、、、でもな、有り難い事に世間やマスコミの反応は悪くないやん?むしろ追い風や思うねん。それに、、、」
ここで大作の表情が思い詰めた物へと変わった。
「それに俺、あんな負け方したままじゃおられへん、、、だからその時にもう一度、水戸修と闘うつもりや、、、だから力貸してくれんかなぁ、忘れ物取りに行くん付き合ってくれんかなぁ、、、頼んます!」
(やっぱりな)
頭を下げる大作を見て、自分の予想が当たっていた事を知る崇。
興行の件云々は別として、水戸との再戦は大きなリスクを伴う。短期間で同じ相手に連敗した場合、世間には完全に格下としてのイメージがついてしまう。それこそ絶対に敗けられない。
しかし、、、
この蛮勇とも取れる大作の決断だが、崇にも気持ちは解る、、、個人としては痛い程に共感を覚える。
しかしグングニルの団体としての未来を考えると、手放しで賛成は出来なかった。
皆はどうかと反応を見てみると、皆も同じ想いなのか各々が葛藤の表情を浮かべている。
そんな時、突然優子が叫んだ。
「ヨーソロー!!」
何事かとキョトンとする面々、、、対して優子は腕を組み、口をへの字に結んで仁王立ちで再び叫ぶ。
「ヨーソロー!!」
これに崇はハッとした。
航海用語で
(正しい方向に向かっているので、そのまま直進して問題無し)
という意味で用いられる宜候
優子がこんな言葉を知っていた事が意外だったが、崇は
(確かに言い得て妙やな、、、)
そう思い、自らも続いて叫んだ
「ヨーソロー!!」
高梨が言葉の説明を求める
「えっと、、、何それ?」
皆も頷きこちらを見ている。
理解出来ていない皆に崇が意味を説明すると、皆なるほどとばかりに感心している。
納得がいった様子の一同に優子の演説が始まった。
「今、追い風やねんでっ!追い風の時こそ船を進ませんでどうするんっ!!はい、皆も一緒に!ヨーソロー!!」
崇も続く
「ヨーソロー!!」
皆は戸惑いながらも後に続いた。
「ヨ、ヨーソロ、、、」
「声が小さいっ!!」
優子の檄が飛ぶ。
「何よりアンタが声出さんでどうすんのっ!」
そう言って大作の肩を小突く優子、、、
因みに大作の怪我はまだまだ治ってはいない、、、
「前も言うたけど、俺ケガ、、、」
そこまで言って、己を睨む優子の鬼の表情に気圧された大作。
「いえ、何でも無いです、、、ヨーソロー!!」
皆に向かって声を張る。それに続いてようやく皆も叫んだ
「ヨーソロー!!」
そこには大作と同じく、優子への畏怖があるのは言うまでも無い。
形はどうであれ、こうしてグングニル名義での興行を行う事が決まった。
忘れ物、、、大作はそう言った。
それを取り戻さない限り、大作は自分を許せないのだろう。
結果敗れるならしょうがない、、、船長は大作だ、彼の納得行くように船を進ませれば良い。
大作ほど自縛と言う言葉が似合わない男は居ない。
水戸と再び闘う事で、己を縛るその縄が断ち切れるなら、、、
皆と一緒に叫びながら、崇はそんな事を思っていた。