格パラ外伝「神室」前編
マスターの粋な計らいに頭を下げる鳥居。
当のマスターは「気になさらず」とばかりに、アルカイックスマイルのままで手と首を振っている。
室田の勧めで知ったこの店のチーズケーキ。
あの日の光景と重ねながら一口頬張る。
優しい風味が口に拡がって行くと同時に
「何から話すかのぅ、、、」
その言葉から紡がれた、室田の若き日の話を思い出していた。
神戸市兵庫区福原町、、、一帯丸々が風俗街のこのエリア。
そこに事務所を置く指定暴力団「神室會」(かむろかい)は
平成元年現在で、構成員・準構成員を合わせても15人程の小さな組織である。
元々は博徒組織、、、所謂ノミ屋であったが、この時世それでは食えぬと現在はソープランドの経営をメインに、近隣店舗からのみかじめ料や債務取立ての代行等をしのぎとしている。
組長の室田大二郎はかつて某組織に属していたが、「薬屋」に成り下がったその組織に嫌気が差し脱退。
この時代にしては珍しく、意外なまでに円満な脱退だった。
そして昭和56年に神室會を旗揚げし、30代半ばという若さで自ら組長に治まった。
これまで何処の傘下にも降らず、室田の人脈と人望で他の組織と上手く共存していた。
新興組織としては異例の事と言え、この事からも室田の人物像が伺い知れる。
ある日の夜の事、事務所の電話がけたたましく鳴り響いた。
「はい、神室會」
受けたのは電話番を務める準構成員、大東 満。
まだ10代だが、その服どこで買いましたん?と訊きたくなるファッションに身を包んだ、絵に描いた様なチンピラ風情である。
「おうっ!若頭の北谷はおるかっ?!」
電話の相手は怒鳴ってこそいないが、その口調には怒気が籠っている。
「失礼ですが、、、どちら様でしょうか?」
大東はイラッとしたが、努めて丁寧に対応した。
「ええから北谷出さんかいっコラッ!!」
今度は怒気しか無い口調で怒鳴りつけて来る。
「、、、少々お待ち下さい」
只事では無いと悟った大東は自分の手には余ると思い、近くに居た若頭補佐の岩本照男に相談する事にした。
「兄ぃ、、、なんや若頭を出せ言うてガナリ立ててますねんけど、どないしましょ、、、」
「なんや、、、今ええとこやのに」
阪神逆転のチャンスに見入っていた岩本が、面倒臭そうに振り返る。
30代前半とおぼしきその男は、爬虫類の様に体温を感じさせない冷徹な印象、、、
能面の如きその表情が、空恐ろしさを増長させている。
手にした孫の手で背中を掻きながら電話口へと近付くと
「ワレも電話番やったらキッチリ仕事したらんかいボケッ!」
そう言って微塵も表情を変えないまま、大東の顔面目掛けて孫の手を降り下ろした。
踞る大東を犬の糞でも見る様に見下ろすと、1つ舌打ちを鳴らしてから受話器の保留を解いた。
「もしもし、お電話替わりました。頭補佐の岩本ですが」
言うや否や
「せやから北谷を出せ言うとんじゃ!!」
岩本の言葉を遮り喚き散らす。
「頭は今、外に出てますのんや。で、ワレ誰や?」
底冷えする様な口調で対応する。
この世界では武闘派の上に頭がキレる事で知られる岩本。それだけにその物言いが余計に迫力を増している。
「、、あぁ、、ほうか、、そりゃすまなんだのぅ、、ワシャ三島興業の山崎じゃ、、」
岩本の迫力に圧されたらしく、途端に弱々しい口調に変わる山崎。
「ほぅ、三島さん所の、、、で、ご用件は?」
事務所に居る全員が、窺う様にやり取りを見つめている。
「いやな、そっちの若い者がウチのシマで何んやら〝おいた〟しとるらしゅうての、、、所詮は茶坊主のしとる事やし、事荒立てるんも大人気無い。せやからそっちで調べて筋通してもらお思てのぅ」
「おいた?」
「確か神室會は薬の扱い禁じとったはずやろ?それが最近三ノ宮界隈で、出所不明の薬が横行しとってのぅ、、、若い衆使うてパトロールさせとったら、その姿見て逃げ出した奴がおったんや。で、どうやらそれがそっちの若い者らしゅうてな」
ここで一旦口を止めた山崎。気配からタバコに火を点けたのが判る。
電話の向こうで大きく息を吐くと、山崎は再び話し始めた。
「こっちで調べつけてもええんやけど、さっきも言うた様に大人気無いやろ?それに室田の親父さんには恩義もあるでな、、、情報だけ流すさかい、そっちでどないかして貰いとぉてなぁ」
囁くようなその口調が、気遣いを理解して欲しいと語っている。
「よぅわかった、、、お気遣い感謝するわ。探り入れてちゃんと報告するさかい安心しとくれや。ほなまた連絡するわ、社長さんにも宜しゅうに」
そう言って受話器を置いた岩本が、直ぐさま再び受話器を上げた。
北谷のポケベル番号をプッシュし終えると、受話器を置きながら獰猛な笑顔を浮かべる。
「はぁいっ!トラブル発生でぇす♪」
パンパンと手を鳴らし、わざとらしいまでの大声でそう言うと、先とは違う種類の笑顔を浮かべた。
それは恰も新しい遊びを見つけた子供の様で、その無邪気さが逆に残忍に映る。
「お前らに詳しい事はまだ話せんけど、当面は取り敢えず頭とワシで対処するさかい。親父にはまだ何んも話すな。折り見てワシか頭から話す。ええな!!」
皆を見渡す岩本に、組員の1人である浅田が恐る恐る意見を述べた。
「いいんすか?やっぱ親父には話し、、、」
それ以上は言う事が出来なかった。
岩本の頭突きを喰らった為である。
前歯は何本か折れて血が溢れ出ている。
踞る浅田に自らもしゃがんで目線を合わせる岩本。
「あのさぁ君ぃ、、、ワシはええな!!って言うたんであって、ええか?って訊いた訳や無いねん、、、となれば、お返事は?」
「おしゅ、、、しゅみましぇんでした、、、」
前歯が折れた為、声が隙間から洩れている。
溢れる血を拭いながら答えるその目には、憐れな程の怯えが浮いていた。
「よく出来ました!わかりゃあええのよ、わかりゃあ♪」
ぶちのめしたばかりの舎弟の頭を、今はニコニコしながら撫でている。
感情の高低差があり過ぎて、周囲からすれば接し方が掴めない、、、まさに狂気の男である。
動くと割れてしまいそうな程に張り詰めた事務所の空気。
その沈黙を電話のベルが打ち破った。
受話器を取る岩本。
「もしもし、あぁ頭、、ちょっと厄介な事になりまして、、、」
そう言った岩本の顔は言葉とは裏腹に、微塵も厄介とは思っていそうにない物へ変貌を遂げていた、、、