パンクラチオンとバーリ・トゥード
電話で何度か打ち合わせを重ねたが、直接会うのは今日が初めてだ。
「失礼します、福田大作と申します。今日は宜しくお願い致します」
予想と反した涼やかで丁寧な挨拶に面食らったが、直ぐに我に帰った崇は
「いらっしゃい、彫師・山宗こと福井崇です。こちらこそ宜しくお願いしますね」
そう言うと続けて優子を紹介した。
「こちらが見学の松尾優子さん、彼女も図柄が決まって近々彫るんですよ」
すると、さっきまであんなに元気だった優子がまた小さくなっていた。絶賛人見知り中である、、、
「初めまして松尾優子です。今日は見学を了解して下さってありがとうございます」
上目遣いで一気にそう捲したてると、ぺこりと頭を下げる。
それを見た大作は暫しキョトンとしていたが、突然笑い出したかと思うとゴツいその手で優子の頭を優しく包み
「自分、おもろいなぁ!かちこちにならんと気楽にどうぞ。俺、福田大作、宜しくな!」
と、らしい自己紹介をした。
予想外の行動にビックリしながら頭を上げた優子は、改めて大作の事を見つめる。
満面の笑顔の下に逞しい肉体。それは明るい太陽と、その元で強く育った大木を連想させた。
優子も崇と同じく、大作の先天的な明るさと温かさを感じ取っていたのである。
大作が持参した絵、それはいかにも格闘家らしい物だった。
古代ローマの戦士が闘っている様子が描かれている。
パンクラチオン、、、古代オリンピックの種目だった
「何でも有り」の格闘技である。
現代において「何でも有り」と言われるルール、バーリトゥード。「何でも有り」を謳いながらも、目を突く事や噛みつき、寝技状態の相手の頭部への肘打ち等、幾つかの禁止事項を設けている。
しかし、パンクラチオンに於いてはそれが一切無かった。長い歴史の中では当然多数の死傷者が出ている。
格闘技においては禁止事項が少ない程、素人目には街の喧嘩に近い物に映る。それを物語る様にある哲学者はパンクラチオンを「不完全な拳闘と不完全なレスリングが合わさった競技」と評した。
そんなパンクラチオンは時代と共に様相を変えてしまった、、、人間対猛獣等の見世物要素が強くなり、やがて廃れていった格闘技である。
大作の描いて来たそれは3枚あった。
1枚目はパンチを放つ男と、それをいなしながらローキックを放つ男を描いた物。
2枚目は男が相手をいわゆるバックドロップの様に投げている物。
3枚目は四つ這いになった男を、別の男が背後から腕や首に手を回して関節技を狙っている物。
どれもがギリシャ彫刻の様な描写で統一されている。その全てを大作が自ら描いたのだという。
想像以上の画力に崇と優子は目を見張った。
「すごい、、、」
思わず優子が呟く。
崇も頷きながら
「俺より上手いわ」
と苦笑している。
「日数かけて頑張った甲斐がありますわっ」
大作は満更でも無い様子で鼻腔を膨らませた。
それがまたとても愛嬌があり憎めない。どんな行動をとっても大作には華となるらしい。
太陽の如き明るさの男は、また太陽の如き引力も持っているのだろう。
きっと彼の周りの人間は皆、その引力に引かれて、、、いや惹かれて集まったのではなかろうか、、、崇はそんな事を想像した。
そして自身も初めて会ったこの男に惹かれ始めている事を自覚している。
大作の持参した絵は、打撃の応酬から投げを決めて、倒れた相手の関節を極めるという総合格闘技の流れ
「打・投・極」を表している。
もっともこの流れは一昔も二昔も前の古い物である。
90年代初頭、総合格闘技界に技術革命をもたらす「黒船」が襲来した。グレイシー一族率いるブラジリアン柔術である。
彼等が登場するまでの総合格闘技は、先述した様な流れが主であった。
ムエタイの打撃とレスリングや柔道の投げ技、そしてサンボの関節技を身につければ強くなれるといった一種の神話があり、各選手はこれらを別々に体得しながら自分なりに融合させる事でスキルアップをはかっていた。
しかし、ブラジリアン柔術の登場によりこの神話は脆くも崩れ去ったのである。
世界中の名だたる格闘家がブラジリアン柔術の前に敗れ去ったのだ、、、
死力を尽くしての接戦等では無かった。
皆、殆ど何も出来ずに敗れたのだ。
ブラジリアン柔術の技術体系は徹底していた。
打撃の応酬には一切付き合わず、相手の隙をつき、打撃を喰らわない位置に組み付いて倒す。
そして、ここからが圧巻だった。
倒れた相手に馬乗りになりパンチを打ち下ろす。
パンチを嫌がった相手が俯せになれば、首もとに手を滑り込ませスリーパーを狙う。
相手が自分を突き放そうと手を伸ばして来れば、その手を取り関節技を狙う、、、
殆んどの試合がこのパターンで決着をみた。
馬乗りで殴る。まるで子供の喧嘩の様なその光景、、、
最初、世界中の反応は渋い物だった。
「あんな物は技術じゃない」と、、、
しかし、月日と共にそうでは無い事に気付き始める。
馬乗り、、、マウントポジションと呼ばれるこの位置取り、1対1の闘いに於いては最も有利な物である。そして、その位置取りをする為の技術が確かにあった。
ブラジリアン柔術同士の試合に於いては勿論打撃は無い。
しかし柔道の様に綺麗に投げたからといって1本勝ちにもならず、僅かなポイントが与えられるだけ、、、
実戦では投げたからといって闘いは終わらないという理由からである。
それよりも投げた後の事を重要視し、ポジション取りに高ポイントを与え、関節技での1本勝ちをよしとする。
この技術を打撃系格闘技を含めた他流試合に応用し、バーリトゥードという「何でも有り」の試合形式で圧倒的な強さを見せる、、、こうしてブラジリアン柔術の世界進出の目論みは成功したのだ。
そして総合格闘技の技術は彼等によって「変えられた」。
「打・投・極」が通用しない事を知った格闘家達はこぞってポジショニングの体得に走ったのである。
皮肉な事にブラジリアン柔術と対等に闘う為に、ブラジリアン柔術の技術を身につけるというムーブメントが起こったのだ。
しかしながら、大作の絵はそんな時流に反する物である、、、
崇は疑問に感じた。
とうに引退しているとは言え、その程度の知識は持ち合わせている。
その疑問を素直にぶつけてみる。
「ポジショニング全盛の今、なんで打・投・極なんです?」
大作は嬉しそうに
「その質問、流石っすね!」
そう言うと
「俺、ブラジリアン柔術、、、というか今の格闘技界の技術体系が嫌いなんすよね」
飄々と答えて大笑いし始めた。
「は?」
崇はその様に唖然とした。
格闘技の事等ちんぷんかんぷんの優子は尚更唖然としている。
ポカンと口を開けた二人の前で、大作は一人いまだ大笑いを続けていた。