藤井の特技と崇の決意
グングニルの再始動から1週間が過ぎた。
もう敗戦のショック等は微塵も見えず、皆が練習に熱を込めている。
それもそのはず。
あの試合以降、劇的にジム生が増えたのだ。
殆んどが一般の部ではあったが、鳥居と山下のエキシビションに刺激を受け、2名の障害者が見学に訪れた事もあった。
更にはスポンサーの申し入れも1件、ネットワーク参加の問い合わせも複数あり、この事からも団体の評価が上がっている事が実感出来る。
グングニルは傷痕が残ったのでは無く、爪痕を残したのだ。
この日リング下のマットでは、松井が寝技のスパーリングを行っていた。現時点で「膝立ちクラス」の会員は松井だけの為、山下がその相手を務めている。
松井はまだ上手いとは言えないが、勘が良く早い上達が見込めそうだ。
2人を囲む形で松井の妻である美佐と藤井、そして吉川と優子が動きを見つめている。
5分のスパーが終わると、優子がある疑問を口にした。
「ずっと思っててんけど、ロープエスケープって不思議なルールよね、、、実戦で考えたら街中にロープなんて無いんやし、技を解いて貰えるって不自然やない?」
「僕も、、、それ、思ってた」
藤井が答える。
「まあ、確かに、、、」
吉川と美佐も顔を見合わせている。
それを聞いていた山下が、まだ整わぬ呼吸のまま己の意見を口にした。
「それを言うたら、、、ボクシングの(クリンチ)も柔道の(待て)も不自然て事なってまうやん、、、スポーツである以上、、、しゃあない事とちゃう?」
乱れた呼吸の為、所々言葉が途切れている。
そのやり取りをリングの縁に腰掛けて聞いていた崇が、
(俺の出番)とばかりに口を開く。
「山ちゃんの言う通りや。ケンカとは切り離して考えた方がええ」
(どの口が言うてんの、、、)
優子は思ったが、皆は崇の過去を知らない為ここは黙って我慢する事にした。脳と口が直結している優子にしては上出来である。
すると崇が先とは別の考えを述べ始めた。
「でもな、実はロープエスケープって実戦的なルールやねんで」
「??」
その意外な言葉で、皆の頭に「?」マークがポンッと浮かび上がる。
「例えば、、、優ちゃんが誰かに襲われたとするやん?で、抑え込まれるなりヤバイ状態になったとしよう」
そこまで言って皆を見渡す。皆は頷きながら次の言葉を待っている。
「そんな時に石なり瓶なり、武器になりそうな物が目に入った、、、でも届かない、20~30㎝動けば手に取れそう、、、さあどうする?」
問われた優子は即答する。
「勿論それを取るため頑張って動くよ、、、当然やんっ!」
「あ、成る程、、、そういう事か」
吉川はその意味に気付いた。
「そっ!そういう事。ほんまにそういう理由で作られたルールかは知らんけど、俺はそう解釈しとるよ。相手が武器を手にした以上、技を仕掛けた側は解かざるを得ない、、、それがロープエスケープの意味なんやと思う」
皆の目からポロポロと鱗が落ちている。
「成る程!!そない考えたら納得いくわっ!!」
山下が手をポンッと鳴らす。
「ただそういう事言い出したら、プロレスでロープに振られて戻るのもおかしいし、何でも有りのバーリ・トゥードで、ロープ掴んで倒されるのを防ぐのが反則ってのも変て事になる、、、きりが無い。だからさっきも言うた様に、ケンカとは切り離して競技のルール内で強くなる事を考えなっ!さぁ、再開再開っ!」
崇がパンパンと2度手を鳴らすと、今度は優子と吉川がスパーを始めた。
スパーを終えた松井を皆で車イスに乗せる。
「俺も脚悪いから、不便さは解るねんけど、、、大丈夫?」
崇が気遣うと松井が何やら手話を使い、満面の笑みを美佐に向けた、、、
美佐はうつむき、はにかんでいる。それは照れている様にも喜んでいる様にも見えた。
「彼、何て?」
崇が問うと
「いや、、、その、、」
美佐が口篭る。
「大丈夫、僕には彼女が居るから、、、って言ってる」
答えたのは藤井だった。皆が驚いて藤井に目を向ける。
「しゅ、手話わかるんっ!?」
崇が驚きを隠さないままに訊くと
「僕、、昔、、人と喋るんが嫌で、、、手話と筆談でコミュニケーションとってた、、、だから本で覚えたの、、」
「、、、そっか、凄いやんっ!」
色々と訊きたい事が喉まで上がったが、それを飲み込むと褒める部分を強調して崇は答えた。
「ほんまやでっ!独学で覚えるなんてやるやんっ!」
山下が藤井の頭をくしゃっと撫でると、照れた表情を浮かべた藤井がその手を払う。
「照れんなやっ」
尚も手を出す山下と、キャッキャッ言いながら逃げる藤井。
松井夫婦はただ笑顔でそれを見つめている。
その光景を眺めながら崇は考えていた。
技術的にも人間的にも成長しているメンバー達、そしてグングニルの評価も上がって来ている。
ネットワークやルールの整備も整い、ラグナロクの為の下地はほぼ出来たと言える。
(そろそろ話す頃合いやな、、、)
大作や優子と知り合いグングニルに参加してから、崇の中ではある想いが芽生えていた。
(近く大作に話してみよか)
そう決意した崇だが、それとは別に1つ気掛かりがあった。
先日も鳥居とその事で話をしたが、彼もかなり気に掛けている。
その内容とは、、、
あの試合以降、誰も長老室田の姿を見ていない事だった。