祭の始まり
グラップス年内最終試合の日がやって来た。
日付は12月12日、、、奇しくも亡くなった土田の命日であり、やはり崇には思うところがある。
大袈裟ではなく何か運命や宿命的な物を感じていた。
場所は前と同じく神戸サンボーホール。
しかし今回の興行はグングニル勢の参戦もあり、何かと話題となっている為、前回より多い動員数を見込んで席数を増やしていた。
崇と優子も今回スタッフとして慌ただしく動いている。
鈴本が第1試合の為、セコンドに就く崇は特にバタついていた。オープニングセレモニーも終わり、いよいよ鈴本のデビュー戦である。
対戦相手もこれがデビュー戦のルーキーだ。
当然ながら事前に送られた資料に戦績は記されておらず、顔写真と身体的スペックしかデータが無かった。その為、何の参考にもならないだろうと殆ど見る事も無く当日を迎えている。
鈴本がリングインするより前に、青コーナー側のリング下にスタンバイする崇。
タオルとストップウォッチを首から提げ、足元には水や救急用品が置いてある。
崇自身が試合する訳でも無いのに、眉間に深く刻まれた皺から緊張しているのが見て取れた。
そしてもう1人、崇の隣でセコンドとしてスタンバっているのが、鈴本と共にグングニル一般の部でトレーナーを務める高梨哲也である。
普段から飄々としており、ちょっとやそっとでは動じないタイプ。まさに心臓に毛が生えているであろう男だ。
勿論この場にあってもリラックスしており、その顔には笑顔すら浮いている。
まるで我が家のリビングでテレビ観戦しているかのようなその様は、崇とはあまりに対照的である。
「まぁまぁ福さんが緊張してもしゃあないよ。リラックス、リラックス」
高梨が笑顔で崇の肩を叩く。崇は返事代わりに苦笑いを返して頷いた。
その時、相手側のセコンドの1人と目が合い、笑顔で軽く会釈を交わしたが、両者共に目だけは笑っていなかった。
選手より先にセコンド同士の闘いは既に始まっているらしい。
会場の照明が落ちリングにアナウンサーが立つと、歓声が津波の様に押し寄せる。
「只今よりぃ~第1試合を行いますっ!青コーナーより鈴本博選手の入場ですっ!!」
リングアナの叫びと共に鈴本の選んだ入場曲が流れる。
花道がライトに照らされ、ついに鈴本が姿を現した。
自らを追い込み仕上げたその身体は、細くはあるが無駄無く整っている。不要な脂肪も不要な筋肉も削ぎ落とした肉体、、、
そんな印象だ。
程よい緊張感を纏いながら花道を進む鈴本。
デビュー戦であり無名という事もあり、そこに群がるファンは少ない。
リング下で足を止め、目を閉じ合掌する。
どれだけ練習を重ねても、不安が消える事は無い、、、
練習とは自信をつける為というより、不安を小さくする為の作業とすら思える。
鈴本は今リング下で、己を信じ不安をより小さくする最後の作業を行っているのだ。
目を見開いた鈴本は己が拳で2度胸を叩き、颯爽とリングへ駆け上がった。
崇が開いたロープの間を潜り抜けると、拍手と歓声が鈴本を迎える。
それに応える様に四方へ手を挙げると、自らの陣である青コーナーに凭れかかり対戦相手を待つ。
「赤コーナーよりぃ~清水研悟選手のぅ入場ですっ!!」
対角線に延びる先を見つめる鈴本。
誰もが知るJ―POPの曲が流れ、闇に浮かぶ光の道をゆっくり進む清水が目に映る。
2人の目が合った、、、共に視線を外さない。
しかしよくある睨めつけるという様な物では無く、ただただ互いを見つめ合っている、、、それは静かなる視殺戦と呼べた。
鈴本と同じくリング下で足を止めると、目を閉じるでも祈るでも無く俯き何やら呟いている。
しかし突然力強く顔を上げると、リングへと駆け上がりトップロープを跳び越えてリングインした。
身に纏っていたジャージを脱ぎ捨てると、そこには異様な肉体が姿を現した。
ボディビルダーのそれでも無く、プロレスラーのそれでも無い、、、人間と類人猿の中間の様な筋肉。
それは図鑑で見る原始人の身体に似ていた。
ザワつく観客達をよそに、リングアナがルールの説明を始める。
この試合は、通常グラップスで行われていないロストポイント制である事。そしてバーリ・トゥードとの違いを細かく声高に伝えている。
その間に崇がマウスピースをくわえさせ、高梨がマッサージしながら何やらアドバイスをおくる。
しかしその会話は崇には入って来ない、、、別の事が頭を支配していた為だ。
(何や?あの身体は、、、)
資料のカタログスペックでは予測出来なかった身体。
初めて目にするタイプの肉体、、、どうやって作ったのか想像すらつかない。
好きな物を食べ、好きな物を飲み、好きな様に鍛えたら、あの様な身体が出来るのかも知れない。
何の制約も設けずに作り上げた「自由な肉体」崇にはそう見えた。
崇がそんな事を考えている内に両選手のコールも終わっており、いよいよセコンドアウトの時となった。
相手もデビュー戦、、、何1つデータの無い上にあの身体である。
アドバイスが見つからないまま崇は一言
「気をつけろよ、、、」
それだけを伝えリングを出た。
セコンドとしての己の不甲斐無さを噛み締める。
両選手のボディチェックが終わった。
そして未だ見つめ合っている両者の間、そこにある空間をレフリーの手が斬り裂いた。
「ファイッ!!」
その声と同時に、鈍くも涼やかな金属音が試合開始を告げた。