邂逅
15分程すると、そのゴツイ男はやって来た。
坊主頭に鳳凰の刺繍をあしらったスカジャン、太めのカーゴパンツにエンジニアブーツ。顔の左側には大きな傷跡が見て取れる。
彫師 山宗こと福井崇だ。崇はガラス戸を開くと、エミに笑顔で挨拶を交わした。
「こんばんは」
優子にはその物腰の柔らかさが意外だった。
エミも崇に「こんばんは」と挨拶を返すと、早速優子の事を紹介した。
「さっき電話で話した子やねんけど、松尾優子さん。色々あって刺青入れたいらしいんよ、話聞いてあげてくれる?」
そう言うと注文も訊かずに崇の前にビールを差し出す。
どうやら崇は1杯目は必ずビールらしく、それを心得ているエミが気を利かせたらしい。
崇は優子の方に向き直り
「初めまして、、、と言ってもここで何度か顔を合わせてますね。福井崇といいます。あ、宜しければこれを、、、」
そう言うと桜柄の名刺入れから一枚名刺を取りだし優子に差し出した。
「痛いもん屋・彫師・山宗」と書いてある。
それを受け取りながら優子も
「初めまして、松尾優子といいます」
緊張気味に優子は続ける。
「わざわざ来て頂いてすいません、私はいいって言ったんですが、エミさんが電話しちゃって、、でもありがとうございます」
礼と言い訳を兼ねた様な挨拶を口にする優子は、とても恐縮しているのが見て取れた。
「いやいや、元々来るつもりだったんで。丁度飲みたかったし気になさらず」
崇はにこやかに言うと、申し訳なさそうに小さくなってる優子を手で制する。
「で、墨を入れたいとか?」
崇は本題を口にした。
「はい、、実は、、」
優子は今日あった出来事をポツポツと話し始めた。
優子は正直、崇に対して怖そうなイメージしか無かった。もちろん会話をするのは今日が初めてだ。
しかし隣に座る分厚い男は穏やかに、そして真剣に自分の話を聞いてくれている。
崇に対するイメージが変わった今、自分でも意外な程 気楽に話せている。
「そんな訳で自分が変わるきっかけになればと、、こんな理由だけど良いですか?刺青の事、全然わからないから、もし不愉快な思いさせたならごめんなさい、、、」
優子は崇の表情を窺う様に上目遣いで詫びた。
そんな優子の気持ちを察してか、崇は努めて明るく答える。
「理由なんて人それぞれですよ。全然大丈夫です!で、何を入れたいとか考えてますか?」
「ん~、今日突発的に決めたから、、ごめんなさい、、、」
優子はまた、申し訳なさそうに詫びた。
「ンフッ」
その様子を見た崇は、遠慮しながらも吹き出してしまった。
「何か可笑しかったですか?」
優子はキョトンとしている。
「いや、すいません、さっきから事ある度に貴女が謝るもんでつい。てか、気を使い過ぎです!もっと気楽に話して下さいね」
そう言うと崇は思い出したかの様に続けた。
「そう言えばまだ乾杯もしてませんでしたね、とりあえず乾杯しましょうよ!」
崇がそのまま目の前に放置されていたビールを手に取る。
「あ、ほんまやっ!ビール、気が抜けちゃいましたね、、、すいません、、、」
「ほら、また謝る、、」
二人は目を合わせると、同時に笑い出した。
崇が初めて見た優子の笑顔だった。
「じゃあ改めて。新しい自分に変われます様に」
と崇がグラスを傾ける。
「突然の申し出を受けてもらって、ありがとうございます」
と優子も自分のグラスを近づけた。
「乾杯!」
透き通る様な心地良い音が響く。
崇は半分程ビールを流し込むと
「じゃあ具体的な事を話していきましょうか」
そう言って提案気味に続ける。
「まず図柄を何にするか、そして大きさですね」
一瞬の間を置き、更に続けた。
「絵のテイストを(和)にするか(洋)にするか。それと写実的にするか、ディフォルメにするか、、、それ位を決めてもらえたら、何点か描いて近日中にお見せしますよ」
崇の刺青は基本的に「一点物」である。客と打ち合わせを重ねて、何点ものデザインを提案し、その人だけの図柄を決める。同じ図柄を別の人に使い回す事は決して無い。
客からすれば、完全なる自分だけのオリジナル、、、
これは魅力である。
崇からしてもこれは強みであり、セールスポイントとなる武器であった。
崇からの提案に優子は一瞬困り顔になり
「本当にまだ全く決まってないんです、、逆に何か良い案あったら聞かせて下さい、、、」
と崇に助言を求めた。
崇は暫し視線を上に游がすと
「ベタかもしれんけど、、」と前置きをし
「蝶なんかどないです?蝶には再生や転生を示す意味もあるんで、変わりたいって主旨に合うかと思うんです」
優子は大きな瞳を更に大きく開き
「私、今一瞬だけど蝶が頭に浮かんだんです!」
驚きと興奮が入り交じり、声が大きくなっている。
ずっと二人のやり取りを黙って見守っていたエミがここで入ってきた。
「蝶、いいやん!可愛いし大きさ的にも良さげやし」
「エミさんもそう思う?私も凄いしっくり来てるねん!」
優子の声は未だ大きいままだ。
「提案した甲斐がありましたわ」
そう言った崇は笑顔で続ける
「大きさはどうします?葉書サイズ位が良いかと思うけど、、、それで良いですか?」
優子はニコニコしながら頷いている。
「あと、入れる場所やけど、、勿論決まってないですよね」
「会社勤めやから見える場所はNGなんで、、、どうしよっかな、、、」
顔のパーツを全て真ん中に集めたような顔で優子が考える。
彼女の顔が福笑いにならない様、ここで崇が助け船を出した。
「じゃあ、色んな場所を想定して何点かデザインするんで、見てから決める事にしましょうか。描けたら連絡するんで、連絡先教えて貰っても良いですか?」
「勿論です!」
二人はスマホを取りだした。
そして連絡先の交換を終えた時、崇のスマホが鳴る。画面には「沼川」と表示されていた。
「ちょっと失礼しますね」
崇はそう優子に断りを入れて電話に出る。
「もしもし、久々ですやん!珍しいですね、どないしましたん?」
初対面の優子に対してとは違い口調が軽い。
この事からも電話相手との親しさが伺える。
「おう!崇か久しぶりやな。いや実はな、今うちに来てるお客さんが墨入れたい言うとってな。彫師を紹介して欲しい言うからお前に連絡したんや。とりあえず本人に代わるわ」
電話の向こうで
「え、、もう?」
「ええから早よ出ろや」
そんなやり取りが聞こえ、数秒後
「もしもし、初めまして福田大作といいます。突然すいません。」恐縮した様子の大作が電話口に出た。(こいつでも緊張する事あるんやな、、)様子を見ていた沼川はそう思うと少し可笑しく、そして何故か嬉しくなった。
「初めまして、彫師の山宗です。全然良いんで気楽に話して下さいね。墨を入れたいんですって?」
大作の緊張を解すように穏やかに話す。
横で様子を見ていた優子は
(電話の向こうの子、緊張してるんやろなぁ私と一緒や)と思った。沼川と形は違えど、こちらでも一人可笑しくそして嬉しくなっている人間が居た。
崇が電話している間、優子は色々な蝶を頭に描き、刺青の入った自分の姿を想像して楽しんだ。
「大体わかりました。名刺のアドレスに連絡先送ってもらえますか?今、別の打ち合わせをしてるんで、明日にでも改めて連絡させてもらいます。沼川さんにも宜しく伝えて下さいね、失礼します」
優子が妄想を楽しんでいる間に話はついた様だった。
電話を切った崇は
「放ったらかしてすいませんでした」と優子に詫びると、予想外の新たな提案を示した。
「今の相手、図柄持ち込みなんで近日中に彫る事なりそうなんです。だから良ければその時に見学来ませんか?勿論、彼の許可もらえたらの話ですけど」
「えっ!?良いんですか?先方さんがOKなら是非見たいですっ!」
まだ刺青に対する不安を拭い切れていない優子にはまたとない機会だ。どう彫るのかも知らない予備知識ゼロの彼女にとって、現場を見れる事は心の準備の面でも意味は大きい。
優子はこの提案に飛び付いた。
「優子さんの図柄も早く仕上げる様に頑張るんで、その時には何点かお見せしますね。それ迄にも写メ送るかも知れないけど、遠慮せずに素直な意見を言って下さいね」
刺青は一生物だ、絶対に納得いった物を入れて欲しい。そんな想いで崇が優子に告げる。
「わかりました!宜しくお願いします、楽しみにしていますね!」
そう答えた優子は、そんな崇の想いを悟ったのか表情に一種の覚悟と決意が見て取れるものだった。