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格パラ  作者: 福島崇史
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あるOLの憂鬱

久々にキレた。

松尾優子は帰路についているこの時間になっても怒りは収まっていない。

恐らく傍目から見てる万人が、彼女が不機嫌だと一目で理解出来るだろう。


優子は商業高校を卒業後、大手スーパーマーケットに入社した。実家が会社を経営している事もあり、世間体を気にした「そこそこの良家」の家族には進学を望まれたが、それだけの為に進学する気は毛頭無かった。

入社して既に5年が経ち、その間には現場も経験したが、簿記やパソコンの能力を買われて今は本社の経理部に所属している。


そして今日、OL生活最大の事件が起こった。

、、、いや、厳密には大した事件では無いのだが、平穏に会社勤めをして来た彼女にとっては大事件だった。

つまり

「私史上最大の事件」というのが正解だろうか。

それは昼食を終え、メイクを直し、自分のデスクに戻った時の出来事だ。


部長が口角を上げた不快な笑顔で近づいて来た。

部下への横暴な言動と上司への媚びへつらい。

更には女性社員へのセクハラギリギリの言動に「定評」のある、絵に描いた様な嫌われ者である。

優子は「嫌な予感」を通り越して絡まれる事を「確信」していたが、努めて明るく

「お疲れさまです!休憩、お先に頂きました!」

と笑顔を向けた。


脂で汚れた眼鏡をクイッと指で押し上げると、部長は優子の肩に手を置き

「松尾く~ん、化粧も直してやる気まんまんやねぇ~」

粘着質な物言いで話しかけて来た。

(そら来た、、、)優子は心の中で舌打ちした。

こうなると次に続くのは嫌味の波状攻撃だ、、、

優子は嫌味の連打に備えて心のガードを固めた。


「化粧とか髪型とか、そういう個性は会社にはいらんのよねぇ、、代わりはなんぼでもおるんやし、仕事で個性を見せんとねぇ。まっ、せいぜい美味しいお茶入れて、大量のコピー頑張ってぇな」

そう言うと部長は反応を窺う様に優子の顔を覗き込んだ。

極力トラブルを避けて来た優子だが、これには珍しくカチンと来た。そして意図的に冷やかな笑顔と、見下す様な眼を向け


「部長の仰る通りですね。個性も人望も無い方が管理職に就ける会社ですから、確かに個性は必要ないのかも知れませんね。」


そう言い放つと、わざとらしく忙しそうに机上の書類に目を走らせた。

部長の顔色が変わった気配を背中で感じとる。

しかし優子は固有名詞を出してはいない。

その為、部長からすれば怒ってしまうと、優子が言った事を自分の事と認めてしまう事になる。

正にぐうの音も出ない状態である。部長は、やり場の無い怒りを腹に納めたまま、すごすごと喫煙ルームへと逃げて行った。

このやり取りを見守っていた周囲の社員は、優子にVサインを向けたり、親指を立てたりして栄誉を称えている。

優子も笑顔で応えてはみたものの、心の中では部長の言った「個性」の二文字が引っ掛かってどうにもスッキリしなかった。


部長とのやり取りは確かに「やってやった」感はある。

しかし優子は小石を飲んだかの様な不快感をもて余していた。

(よし!帰りは飲みに行こ)

そう決めると午後の業務を頑張ってこなした。途中何度か部長と目が合ったが、その都度作り笑いでいなしておいた。

部長からすれば、この笑顔が余計に癪に障るらしく、益々表情が険しくなっていく。

(どうでもえぇ)

優子は思っていた。こんな会社にすがる気もなければ、あんなつまらない人間に気に入られるつもりも無い

(どうでもえぇ事、山の如し)

そんな事より今は、定時に退社し飲みに行く為、目の前の書類をやっつける事が最優先のミッションだ。

両目がパソコンのモニターと書類の間を、反復横跳びの様に忙しなく動く。その甲斐あって5時きっちりにデスクを離れる事が出来た。

会社のあるのは、人工島である六甲アイランド。

市営モノレールの六甲ライナーとJRを乗り継ぎ、優子の部屋の最寄り駅である神戸駅迄は約30分だ。

その間、優子はスマホを弄りながらも、今日の出来事を思いかえしては「思い出し怒り」に震えた。そして個性について考えを巡らせていた。


JR神戸駅。

駅の南側には巨大な複合型商業エリア

「神戸ハーバーランド」がある。

流石に週末ともなれば多くの家族連れやカップルで賑わうが、平日は「大丈夫?」と心配になる程に人出は少ない。

事実、店の入れ替わりは激しいし、多くの有名店が撤退している。そんなハーバーランド近くのマンションで優子は一人暮らしをしていた。

裕福な家庭だし実家で生活すれば良いのだが、反対を押し切って就職した以上そこだけ甘えるのは何か違うと思い、就職と同時に家を出た。そして今の手頃な家賃のワンルームを見つけたのだ。

しかし、今日は電車を降りると自宅とは反対側である北側のタクシー乗場に向かった。


「湊川のダイエーまで」

運転手にそう告げると、優子はスマホで時間を確認した。

午後5時48分、、、目的の店は6時オープンだ。湊川まで5分程で着く事を考えると

(少し早かったかな、、)

とも思ったが、とりあえず店に向かう事にした。


「湊川」、、、兵庫区役所や、巨大で活気に溢れる湊川商店街がある地域だ。神戸最大の風俗街「福原」から程近い事もあり、昔の花街の面影を色濃く残す街である。

目的の店は湊川商店街と荒田公園の中間程に位置するスパニッシュ・バルだ。

店名の「コモ・エスタス?」はスペイン語で「最近どうよ?」的な意味で、それが優子は気にいっている。最初はテレビで知った店だ。

数人の芸人が、関西各地を街ぶらするバラエティ番組でたまたま立ち寄ったのがこの店だった。

それを観てた優子は、お洒落な店内と豊富な料理とお酒、何より美しくかっこいいママに惹かれた。


タクシーを降りると店はもう開いていた。

ママのエミが一人忙しそうに動き回っている。

道路に面した壁は一面ガラス張りになっていて、中の様子がよく分かる。

おかげで女性一人でも安心感があり入りやすい店だ。

カウンターに10席、壁側に4席だけの店で、奥に向かって長細い作りになっている。

カウンターの上には黒板があり、チョークで今日のお薦めメニューが書かれている。そしてカウンター内には逆さにぶら下がった多くのワイングラスが目に入る。しばし入口付近からガラス越しにエミの様子を眺めていると、エミも優子に気付いて笑顔で手招きしてくれた。

優子も笑顔を返し、入口のガラス戸を開いた。

「こんばんはぁ」

にこやかに挨拶をすませると、カウンターの一番奥の席に腰を下ろす。

空いてる時には必ず座るお気に入りの席であるが、何故気に入っているのかと訊かれたら特に理由は無い。


「おつかれっ!何飲む?」

エミは仕込みの手を止めて注文を訊いた。優子は赤ワインを飲むと心では決めていたが、一応頭上の黒板やメニューに視線を走らせる。暫くそうしてから

「赤ワインをグラスで!それとねぇ、、」

そこ迄言うと、また黒板に目をやり料理のメニューを見ている。今度は「一応」ではなく本当に選んでいる様だった。しばし考えているが、エミは急かさずに笑顔で待ってくれている。


「エビのアヒージョとピクルス!」

やっとこ決めた料理を元気良くオーダーした優子は、視線をエミに移しまじまじと彼女を見つめた。


「了解!少し待っててな!」

オーダーを伝票に書いたエミは、優子の視線に気付くと少し恥ずかしそうに身構える。


「ん?、、何?」

窺う様にエミが問う。


「いやぁ、エミさんほんまに綺麗なぁと思って。」

優子は正直に答えた。


「そんなん言うても値引かへんで!」

エミは照れた表情で悪態をついている。


事実エミは美しかった。

高く通った鼻筋、黒く大きな瞳、長く美しい黒髪、、、彼女を見た大半の人は美しいと感じるだろう。

初めてエミを見た時、優子は本当にスペインの血が入っていると思っていた。いや、この店に通う客の殆どが最初はそう思うらしい。

優子はエミが純日本人と聞かされた時

「詐欺やん、、」と思わず言った程だ。

そして35という年齢にも驚かされた。25だと言っても誰も疑わないだろう。

そんな事を思い出してる間に、エミが赤ワインとピクルスを出してくれた。

「アヒージョ、もうちょい待ってな」

そう言うとエミはまた、カウンター内でテキパキと動き出した。そしてその所作すらも美しく感じられる。


「エミさん、聞いてくれる?」

優子はそう切り出すと、今日職場であった出来事と、それのせいで今も頭を支配している「個性」の事について話し始めた。

エミは料理の手を休める事こそ無かったが、それでも時に相槌を打ち真剣に話を聞いていた。

話を聞き終えるとエミは

「ん~、、個性なぁ、、優ちゃんは可愛いんやし、自分に自信さえ持っとったらそれでえぇと思うけどなぁ」ちゃんと優子の目を見てそう答えた。


「自信持てる程可愛いかったら、彼氏の一人位居ますやん、、」そう言うと口を尖らせ拗ねて見せたが、勿論本気で拗ねてはいない。

「誉めてるんやから、素直に受けてぇな」

エミは笑顔でそう言うと、出来たばかりのエビのアヒージョを優子の前に差し出した。

「熱いから気ぃつけてな」

そう言うとエミが更に続ける。

「優ちゃんは他人に認められる個性が欲しいん?それとも自分が納得出来たらえぇ感じ?」


アヒージョはまだ手付かずのまま鉄皿の中でグツグツいっている。猫舌の優子は少し冷めるのを待ちながら、今のエミからの問いに対する答えを探していた。


「多分やけど、、今の自分に納得出来て無くて、変わりたいけど、どう変わりたいか具体的な案も無いって感じでモヤモヤしてるんやと思う」

一瞬の間を置いて、優子がまた口を開いた。

「うん!個性が欲しいと言うより、変わりたいんやわ私!」


自分の答えに納得したかの様に数回頷くと

「いただきます」

と手を合わせ、グツグツの収まったアヒージョを口に運んだ。

エビをニンニクと唐辛子の入ったオリーブオイルで煮込んだ「エビのアヒージョ」

ニンニクの香ばしさと、後から追って来る唐辛子の辛味、そしてエビのプリッとした食感が絶妙で、猫舌のくせに毎回注文する程に気に入っている。


ニコニコしながらパクつく優子に

「一つ良い物見せたげるわ」そう言うとエミは後ろを向いて、Tシャツの腰の辺りを少し捲った。

するとそこには人魚のタトゥーが姿を現した。

小さい物だが、美しく確かな存在感を示している。

「ワァ、、可愛い、、」

無意識のままに出た言葉だった。葉書ほどの大きさのスペースに、月夜の波打ち際で唄う人魚が描かれている。


「私な、昔びっくりする位に地味やってさぁ、変わろうと決心した時に入れたんがこのタトゥーやねん。」

更にエミは続ける。

「これをきっかけに服装やら髪型やらメイクやらも変わってさ、少しずつ自分に自信が出て来たのを覚えてるわ」

ここでエミは自分用にビールを注ぎ一口だけ飲んだ。

優子は目を輝かせてエミを見ている。


「基本的に刺青やタトゥーは人に見せるもんとちゃう。でも今も自分の背中を押してくれる存在になってるねん、優ちゃんへの答えになるかわからんけど、、、」

そう言うとエミはビールの残りを一気に喉に流し込んだ。


「それいいっ!」

立ち上がって優子は言った。

それはもう殆ど叫びに近い声だ。驚いたエミはビールを吹き出しそうになっている。

畳み掛けるように優子は続ける。

「それ、どこで入れたん?私も入れたい!刺青屋さん紹介して!」


少し噎せながらエミが

「ちょ、、、ちょっと待ちぃな、もう少し考えてからにしたらどない?」

と優子の興奮を嗜める。


「じゃあエミさんはそれを入れたいって思った時に、ゆっくり考えたん?」

優子の反撃は的確にエミの図星を突いていた。

クリティカルヒットを喰らったエミは

「いや、、それは、、考えんかったけど、、」

ばつが悪そうに口ごもる。


「やろうって決めた時にやるんが一番やもん!やってみての後悔なら納得出来る後悔やもん!てか、後悔なんかせえへんもん!」

そう訴える優子の表情は真っ直ぐで、真剣そのものだった。

エミは負けたとばかりに俯いて微笑むと

「わかった。でもこれは東京に居た時に入れたやつやから紹介出来へんねん、違う彫師さんでもえぇ?」

子供に言い聞かせる母親の様な、優しさを帯びた声で優子に訊ねた。


「エミさんの紹介なら信用するよ、自分で刺青屋さん見つける自信ないし、、」そう言うと優子は少し落ち着いた様子で席に着いた。そして興奮で熱くなった喉を冷ますかの様にワインを口に運んだ。


優子の答えを聞き終えるとエミは、二杯目のビールを自分に注ぎながら

「わかった。実は優ちゃんもこの店で何回か顔を合わせた事ある人やで。坊主頭のゴツイ人、判る?」

優子は直ぐにピンと来た。

「あ、少し足の悪い人やんね?上半身はレスラーみたいやけどさ。」

エミは人指し指を立てて、正解のジェスチャーをしている。


「あの人、刺青屋さんなんやぁ、、見た目怖そうやけど、どんな人?」

優子は不安を隠さずに口に出した。


「話してみたら判るわ。すぐそこに住んではるから今から呼んだげる。怖そうなんは見た目だけやから安心しい。」


「え?!マジで?ちょっと待ってぇな心の準備が、、、」

狼狽える優子にエミは

「やるって決めた時にやるんが一番なんやろ?だから今呼んだげるの!」と優子の言葉を使った。


逃げ道を塞がれ立ち尽くす優子の前で、エビのアヒージョはすっかり冷めていた。








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