その紳士、慇懃につき、、
第二試合が始まって間も無く、崇と優子のもとに1人の男性がやって来た。見ると首からスタッフ証を提げている。
他の客の邪魔にならぬ様に中腰になりながら
「福田選手が御二人にお会いしたいと、、、」
恐縮した様子でそう告げた。
緊張からか、単純に汗かきなのか、しきりにタオルで額を拭っている。
「、、、?」
「、、、?」
無言で顔を見合わせる崇と優子。
「観戦中に申し訳無く存じますが、是非にとの事なので御理解の程を、、、どうかひとつ、、、」
50歳代くらいだろうか、、、
逆に2人が恐縮する程の慇懃な振舞いである。
「あ、あの、解りましたんで頭を上げて下さい」
堪えられず先に口を開いたのは優子だった。
「ほんまですよ、どちらに行けば宜しいですか?」
続けて崇も口を開く。
「ありがとうございます。御案内いたしますので、こちらへどうぞ、、、」
そう言われて案内された先は、選手控え室だった。
他の選手達は赤・青のコーナー毎に大部屋の控え室だが、特別試合を行うメインの大作には個室が与えられていた。
男性がドアをノックする。
「どうぞっ!」
聞き慣れたあの声が返って来た。
「連れて来たでっ!!」
先程迄の慇懃な口振りが嘘の様に、フラットな口調で男性が告げる。
「あんがと、父ちゃん!」
大作が礼を述べた。
「!!と、父ちゃんて、え、、、?」
予想外の正体にたじろいだ崇は慌ててサングラスを外した。
しかし輪をかけてたじろいだのは優子である。
想いを寄せる相手の親に会う、、、それは恋愛において、そこそこのビッグイベントである。
未だに曖昧で不透明な関係の2人だが、これはあまりに突然過ぎる。こんな形の初対面に優子は動揺は隠せなかった。
「いつも息子がお世話になっております」
「いえ、こちらこそお世話になってます、福井崇と申します」
「はじめまして松尾優子です。宜しくお願いします」
まさに青天の霹靂、、、絵に描いたように猫を被る2人。
大作はその様子が可笑しくて、笑いを堪えながら眺めている。
しかし、そのニヤニヤしている大作を恨めしそうに優子が睨む、、、それに気付いた大作、視線を外しながら強張った顔で説明を始めた。
「うちの父ちゃん、元・柔道家でな、長田の方で接骨院やっとるんよ。で、試合の時はいつもマッサージに来てもろてんねん」
「御二人の事は常々聞かされております。こんな愚息ですが、今後とも宜しくお願い申し上げます」
そう言うとまた深々と頭を下げた。
それに合わせ慌てて2人も頭を下げる。
優子はこんな形で親に会わせた大作に、未だに怒りの念を送っている。今の彼女に効果音をつけるなら
「メラメラメラ、、、」であろうか。
一方の崇も温和な紳士の口から「愚息」という単語が出たのに対し、心の中で「下ネタかっ!」と突っ込んだが、そんな自分を(俺、死ねばいいのに)と恥じていた。
一通りの挨拶を済ませると
「私は一先ず失礼しますね。では又、後程、、、」
そう言って大作父は、静かに部屋を出て行った。
それを見送ると暫しの沈黙、、、
「突然なんやねんっ!めちゃめちゃ焦ったやないかっ!!」
大声で崇が不満を口にする。
しかし、、、である。
優子の不満はこれどころでは無い。
「だぁ~い~さぁ~くぅ~、、、」
俯いたままで絞り出す優子。両の拳は怒りに震えている。
まるで優子の怒りで、部屋全体が震えているかの様な錯覚をおこす、、、再び効果音をつけるなら
「ゴゴゴゴゴォォ、、、」といった所である。
某・戦闘種族宇宙人ばりの気を放つ優子、それを必死に宥める大作。
「いきなりでゴメンな!悪かったってば優ちゃん!飯奢るから機嫌直してぇな、、、」
助けを求めるように崇を見る大作。
しゃあないなぁ、、、とばかりに崇が小さな溜息を1つ。
「優ちゃん、試合後やったら思う存分ぶん殴ってええよ。だから今は我慢したって」
本気か冗談か、崇はそう言って優子を宥める。
そしてニヤニヤしながら大作を見ると
(そりゃないわぁ、、、福さん、、、)
と言わんばかりの表情で崇を見ていた。
崇に言われると優子も1つ溜息をつき
「わかった、、、で!なんで呼んだんよっ!!」
今にも噛み付きそうな勢いで大作に牙を剥いた。
(こわっ、、、)
と、大作の心の声。
(こわっ、、、こりゃ大作は尻に敷かれるな、、、)
と、崇の心の声。
大作と優子の関係が少しずつ変わりつつある、、、それは崇も感じている。正式に報告を受けた訳では無いが、崇とて「路傍の木石に非ず」である。伊達に歳を喰ってきた訳では無い。
「いや、試合前に2人に会っときたくてな、、、俺でも少し緊張しとってさ、、、でもお陰でリラックス出来たわ」
そう言うと満面の笑顔で
「ありがとな」
と心からの感謝を表した。
(ずるい、、、)
優子は思った。
(そんな笑顔見せられたら怒りも引っ込むやん、、、)
そうも思った。しかし、どこか悔しいので怒ったふりを続けたままで
「観戦中に呼んでそれだけ?後で覚えときよっ!」
と憎まれ口を叩いて見せた。
ロスト・ポイント制、、、大作にとって公式戦では初めてのルールである。緊張は当然の事だろう。
リラックスの為に気の置けない人間を呼ぶ、、、それは理解出来た。しかしあまり長居をすると、緊張感が途切れて逆効果となる。
経験からそれを危惧した崇は
「そろそろ戻るわな。ちゃんと見とるから頑張れよっ!」
それだけ言うと背を向けた。その背に大作が声をかける。
「福さん、なんでさっきグラサンかけとったん?」
一瞬歩みを止めた崇だったが、それには答えずに部屋を出た。
それに続いた優子は、大作の方に振り向いて舌を出しアカンベーをして見せる。
そして
「怪我、、、しないでね、、、」
それだけを言うと静かにドアを閉めた。
暗い会場を中腰で席に戻る2人。
やっと座席に着いてリングに目を移した時、そこでは既に第四試合であるプロ公式戦の2試合目が行われていた。