日蝕
予想通りに大作は打撃で攻めてくるようだ。
足の悪い崇にはフットワークは使えない、軽快に動く大作を追うのは出来ないという事だ。
狙うのはカウンターの関節技、、、
打って来た打撃を捕らえ、瞬時に極める。
そう闘い方を決めると同時に、ある思いが頭を過る。
その思いの為にも打撃は使わない、、、崇はそう決めていた。
崇が頭部に狙いを定めさせないよう上下左右に頭を振り、たまにドンッと前足を踏み込み(行くぞっ)とばかりにプレッシャーをかける。
対する大作は思っていた
(やりにくいなぁ、、、)
不利な点など見当たらない。年令も若く身体能力も勝っている。そして何より自分は現役で、崇には15年のブランクがあるのだ。そのはずなのに攻め辛い。構える崇が大きく見えてしまう。
だが、1つ気付いた事がある。
プレッシャーをかけるように何度か踏み込む仕草をとる崇、、、
しかしその都度、右の脇が開く癖があるのだ。
ならば、、、と思った時、崇がまた踏み込む動作に入った。
(今やっ!)
微妙に開く右脇、そこを目掛けて左のミドルキックを叩き込む!
(かかった!)
崇の狙い通りだった。
先からの足を踏み込む動作、、、その度に崇はわざと脇を開いて見せていたのだ。現役の大作なら必ずこの癖に気付き、そこを攻めてくるはず!そしてそれは見事に的中した。
大作の蹴りを捕らえ脇に抱えると、崇は勢いをつけて自ら後ろに倒れ込んだ。
アキレス腱固め、、、相手のアキレス腱にある痛点を、自らの手首の骨で圧迫し激痛を与える技である。
極める際、上体の反らしや膝の締め付け等、細かい重要な技術が多くあり、ポピュラーな割に極めるのが難しい技だ。
「ア、、ガッ!、、」
言葉にならぬ呻きを上げた大作。しかしそれは一瞬だけの事で、直ぐに優位は入れ替わった。
ポジショニングの技術が進歩した現在の格闘技に於いて、ハイリスクな技をセレクトしてしまった崇。
何でもありの闘いで足関節を狙う、、、それは危険過ぎてある意味タブーとすら言える。
技を仕掛けた時に相手が上体を起こしてしまえば、簡単に「上」の位置を取られてしまうのだ。
完全に技の型に入ってしまえば流石にそれは難しいが、大作は崇が仕掛ける一瞬の間を逃がさず起き上がった。
仰向けの崇に跨がる大作。
絶対的優位、、、マウントポジションである。
この辺りが最新技術を知る現役と、長いブランクのあるロートルの差であろうか、、、
大作が下の崇にパンチを放とうと拳を振りかぶる。
その瞬間、崇がエビの様な動きで体を跳ねて、大作のバランスを崩しその攻撃を防いだ。
体勢を崩された大作は体位を入れ替えられぬ様に、馬乗りの状態から上半身までも密着させる。
まるで愛し合う男女の様な、その体勢のまま次の攻め手を模索する大作。
その時だった、、、
大作は最初それが気のせいだと思ったがそうでは無かった。
確かに背中に残る感触、、、
崇の手、、、それが自分の背中を2度叩いたのだ。
それはギブアップの意思表示を意味する。
冗談の様な呆気ない幕切れ。
「な、なんで、、、?」
密着させていた体を離し崇を見る。
「参った、ギブや、、、」
それだけを答えて笑う崇。
上に跨がる大作を押し退け、時間をかけてよっこらと立ち上がる。
されるがままに押し退けられた大作は、そんな崇を茫然と眺めていた。
先のベンチに腰を下ろし、ポケットを探る崇。
出てきたのはクシャクシャになったタバコの箱だった。
「あ~あ、、、」
崇はそう言いながら吸えそうな「生き残り」を探す。
なんとか吸えそうなのを2本見つけると、1本を耳に挟み、1本を指で伸ばして火を点けた。
満足気に煙を吐きながら大作に声をかける。
「いつまでそんな所に座っとんのや?」
「え?あぁ、、、」
言われて立ち上がる大作。
その表情から色々と飲み込めていないのが見て取れる。そんな大作が不服、不満、不本意の御三家を引き連れた状態で崇の隣に腰を下ろした。
舗装されておらず、下は土の荒田公園、、、その為2人は泥まみれである。
「お前、めっちゃ汚ないでっ!」
「福さんもなっ!」
それだけを交わすと暫しの沈黙が流れる。
2分程も経っただろうか、、、崇がタバコを揉み消しながら口を開いた。
「誤解すんなよ、、」
一瞬だけ大作を見たが、直ぐに視線を正面に戻すとそのまま続けた。
「わざと負けたんちゃうからな」
大作は何も言わずに次の言葉を待った。
「もし、お前が変に気を使って手加減してきたら、あの話はその時点で断るつもりやった。でも構えを見てお前の本気が分かった、、、嬉しかったわ」
崇が下を向いて、鼻の頭を掻いている。そこには本心を曝す気恥ずかしさが垣間見えた。
「福さん、もうええやろ?もう全部聞かせてくれな、、、」
その言葉には事の全容は勿論だが、崇の本心という意味も込められている。
穏やかに頷きながら崇が再び話し始める。
「お前が本気を見せてくれた時点で手伝うって事は腹に決めてんけどな、ああやって吼えてもうたしな、、、
今更相手せん訳にいかんやろ?で、最初の攻め手を凌がれたら俺の負けにしようって心で決めてな、見事に凌がれたって訳や」
そこまで話すと崇は耳に挟んでいたタバコに手を伸ばした。折れてこそいないが、曲がりまくったそのタバコ。それを慎重に伸ばして真っ直ぐにする崇。
それはタバコを自らの心に重ねているかの行為にも見えた。
そんな崇を見つめていた大作だったが、ここで1つの疑問を口にする。
「じゃあもし最初のアキレス腱固めで俺がギブアップしてたらどないするつもりやったん?手伝うって決めとったんやろ?手伝うの止めるつもりやったん?」
闘いの前に崇は言った。
「お前が勝ったら手伝ったる」と
そして先程、崇は打ち明けた。
「本気の大作を見て手伝う決心をしていた」と
ならば大作が崇の攻撃を凌げなかったら、どうするつもりだったのだろうか?単純で素直な疑問である。
「その時はお前、俺が鍛え直したるって口実でやなぁ、、、、」
バツが悪そうにゴニョゴニョ言うと、伸ばしたタバコに火を点ける崇。
その様をニヤニヤしながら見ていた大作だったが、1つ咳を払うと今度は真剣に崇に向き直った。
「じゃあ福さん、改めて聞かせて欲しい、、、ほんまは格闘技やりたいやんなぁ?」
「それ、こだわるねぇ、、、」
そう言って空に向かって煙を吐く崇。
「こだわるよ、大事な事やから。」
「せやな、大事な事やな、、、」
そう言って大作に向き直った崇が、煙と一緒に本音を吐き出す。
「やりたいよ、ずっとやりたかったよ、、、未練タラタラや」
一番知りたかった事
一番聞きたかった言葉
それを引き出せた大作は一瞬泣きそうな表情になったが、それは直ぐに満足気な笑顔に変わった。
「ありがとうな福さん、聞かせてくれてほんまにありがとう、、、」
「いや逆やろ、礼を言うんは俺やから!ありがとうな!」
大作を制して礼を述べる崇。
そして言いにくそうに言葉を続けた。
「で、何個か条件、、、というか頼みがあるんやけど聞いてくれるか?」
「応よっ!」
大作がご機嫌に、そしてご陽気に応える。
そこに居るのはもう普段の大作だった。
少し前まで暗く沈んでいたのが嘘の様で、まるで深夜に現れた太陽を想わせる。
(俺のせいやな、、、)
崇は思う、、、大作という太陽を自らが月となり日蝕をおこさせてしまったのだと、、、
短期間とは言え、せっかくの天性の彼の明るさや暖かさを、俺が殺していたのだと、、、
意地を張り、後ろを向き続けてた崇は慚愧の念にかられた。
人は夢なんて御大層な物を掲げなくとも生きて行ける。そう思って来た。
あの事件や不自由な身体の為に色々な物を諦め、色々な物を失って来た。
そしてそれを「しょうがない」「当たり前」と思うようにして来たのだ、その事が今は腹立たしい。
夢や希望、、、確かにいつ消えるとも知れない、砂浜に描く絵の様な物だとは思う。しかしその危うさを知った上で向き合うのと目を背けるのは大きな差である。
理由をつけて心に嘘をつき、向き合おうとすらしなかった自分の弱さ、、、それらが生んだ慚愧の念である。
しかし今は自らがんじ絡めにしていた心を、太陽が解きほぐして身軽にしてくれた。
(そう言えばそんな童話があったなぁ、、、)
そんな事を思っている時、焦れたように大作が言った。
「で、条件て何よ?」
早く聞きたくて仕方無い、、、その様子が「待て」をされた犬のようで、吹き出しそうになった崇だがぐっと堪えて問いに答える。
「まず、近い内に土田さんのお墓に報告行くから。お前と優ちゃんにはついてきて欲しい」
予想外の話だったが、大作は黙って頷いた。
「それと今回は俺が悪いんやけども、軽々しく野試合なんか受けるなよ!ましてお前、試合近いんやろ!怪我したら元も子も無いやろが」
素手での喧嘩となると、勝っても負けても多少なりとも怪我が付き物となる。今回、早くギブアップしたのと打撃を使わなかったのは、大作に怪我をさせない為という理由があったのだが、、、それは言わずにおいた。
「アンタ、自分から闘いに持ち込んどいてよう言うなぁっ!」
不服そうに声を荒げる大作、しかしそれを無視して崇が続ける。
「それから、、、」
「無視かっ!んで、まだあるんかいなっ!」
大作がつっこんだ。
そのつっこみまでもスルーして、崇が一方的に口を開く。
「うちは風呂あらへん。で、俺は泥まみれ。時間的に銭湯は閉まってもうてる、、、今からお前ん家行くから風呂貸せ。あ、、、それとお前がダメにしたタバコも弁償な」
自分の事を棚に上げて、全て大作が悪いかの様に話す崇。
「ングッ、、」
しれっと話す崇に反論を試みたが言葉が出てこない、、、
負けたとばかりに諦めの溜め息を1つ。
「わかりましたよっ!どうぞこちらへ!」
そう言うと大作は自宅の方向へと歩き出した。
だが、大作の住むのはJR兵庫駅近くのワンルームマンション。
大作の足でも30分近くかかる、、、
足の悪い崇にはキツい距離である。
かと言ってイカツイ野郎が2人、しかも泥まみれ、、、タクシーが停まってくれるとも思えない。
大作は歩みを止めると
「福さん、とりあえず着替え取っといでぇな」
そう促した。
「あ、それもそうやな、、、完全に忘れとったわ」
呆けた顔でそう言った崇が、踵を返し部屋へと向かう。
大作はそれを見送ると、ジムの後輩に電話をかけた。
事情を説明し、車を出して貰える様に頼んだのである。
快く引き受けてくれた後輩に礼を述べ電話を切る。
そして今日の出来事を絶対に話したい相手であり、話すべき相手でもある優子に電話をしようかと思った時、戻って来る崇の姿が見えた。
(明日にしよう。明日ゆっくり聞いてもらおう)
今日の連絡を諦めた大作は、そっとスマホをポケットにしまう。
大作に追い付いた崇が開口一番
「ワンワン」
と、犬の鳴き声を真似る。それも微妙なクオリティで、、、
「は?なんそれ?」
怪訝な表情で大作が崇を見ると
「捨て犬のオイラにエサをくれてありがとうだワン!」
可愛さを装いながら恥ずかしげに言う崇だったが、それは勿論ちっとも可愛くは無かった。