兄弟喧嘩
大作の想いが胸に刺さる、、、
同情などでは無く、心からの言葉だったのだと思い知らされた。それだけに心の痛みは増す。
「キツい事言うて悪かったな、話の経緯聞かせてくれるか?」
崇はもう落ち着きを取り戻している。
「俺こそゴメンな、、、」
静かにそう言うと大作はスポンサーの件や円満退団である事、来月の試合後に公式発表する事、トレーナーとして崇を迎えたい事、、、そして今の想いが崇にだけでは無く、全ての障害者に向けての物である事をポツポツと語った。
「ええ話やないか。頑張れなっ」
崇は努めて他人事を装う。
「福さ、、、」
何か言おうとした大作の言葉を遮り崇が呟いた。
「悪い、、、やっぱ俺には無理やわ、、、」
大作の話を聞いても崇の気持ちは変わらなかった。
いや、変える事が出来ないと言うべきか。
確かに心は揺らいでいる。しかし、どうしても頭には死んだ土田の顔がちらついてしまう。
許しを乞う相手がこの世に居ない以上、どうしてもこの話を承ける事が出来なかった。
「俺はもう、生涯格闘技を使う事は出来へん、、、悪いな」
その言葉を肩を落として聞く大作。
その顔には悔しさ、哀しさ、落胆、、、色々な物が張り付いている。
「お前がやろうとしてる事は、ほんまに凄い事やと思う。心から応援しとるよ、、、ちゃんと見届けるから頑張れな」
大作の余りの落ち込みように いたたまれなくなった崇だったが、出てきたのはそんなありきたりの言葉だけだった。
自分の無力さにヘドが出る。
「福さん、、、格闘技を使えへん言うたな?」
大作の声は震えている。しかし何かを決心したかの様に顔を上げると、鋭い眼光を崇に向けた。
「じゃあ、今から俺が襲いかかったら、、、どないする?」
そう問いかけるや否や崇に向けて構えを取る大作。
1つ小さく息を吐くと、無表情で崇が呟く。
「本気、、、みたいやな。好きにせえ、、、」
大作の想いを無下にし踏みにじったのは自分だ。
気の済むまで殴らせよう、、、崇はそう思っていた。
闘う意思を見せない崇の姿に大作は、目に涙を溜め、折れる程に歯を喰い縛っていたが、声にならない叫びをあげると崇めがけて思い切り右の拳を投げつけた。
それは格闘技のセオリーに反する物だった。
間合いもクソも無く、素人のそれの様にただ無造作で、ただ無警戒な攻撃、、、
勿論、崇には抵抗するつもりは無かった。
無抵抗、、、そのはずだった。
しかし地に転がり、のたうっているのは大作だった。
苦痛に息が詰まり、声も出せずに口をパクつかせている。
小手返し、、、相手の手首を捕り、関節を外側下方に捻る事により、相手の身体を宙にて一回転させ地に叩き付ける投げ技である。
古流の柔術や合気道で有名な技術だが、日本警察の逮捕術をはじめ、各国の軍隊格闘技にも採用されている実戦的な技である。
それは無意識だった、、、
本当に無意識に崇の身体が反応した、、、
いや、してしまったのである。
昔からそうだった。かつて付き合っていた彼女が、ボケた崇にツッコミを入れようと冗談混じりに振り上げた手。それすらも無意識のうちに極めようとした事があった。
身体で覚え染み付いたそれは簡単には消せない、、、
転がる大作を見た崇は呆気にとられ、信じられないとばかりに自らの手を見つめた。
「そ、それが、、、ふ、福さんのほんまの姿やろ?」
やっと口を開けるようになった大作が、立ち上がりながらそう問う。しかしダメージはまだ完全には抜けていない様子だった。
路上に於いて投げ技の効果は絶大である。
言うならば「地面を使った打撃技」だ、、、
試合場のマットや畳とは訳が違う、そのダメージは段違いであり、いまやプロレスでも痛め技にすらならないボディスラムや、柔道の背負い投げのようなものでも致命的ダメージと成りうる。
「どないや福さん?昔を思い出したんちゃうか?」
やっとこ立ち上がり、そう言った大作の顔には
(見透かしてやった)と言わんばかりの笑顔が浮いている。
崇が苦々しい想いでそれを睨める、、、
「せやな、、、思い出したわ。でもなぁ今の俺の中にあるんは、ようも使わせてくれたな!っちゅうお前への怒りやっ!!」
冷やかに、そして乾いた口調でそう語る崇。
しかし、その本心は忸怩に駆られている、、、
「使わない」そう決めた技術、それを再び使ってしまった。
止めたタバコに手を出した様な背徳感が自らを染める、、、
だが同時にある決意が固まった。
「わかった、、、1回くらい兄弟喧嘩もええやろ」
そう独り言の様に呟くと、今度は怒鳴る様に吼えて見せた。
「お前が勝ったら手伝ったる!お前がどれ程のもんか、、、俺に見せてみいっ!!」
自らの契りを破ってしまった。その事実は変わらない。ならば、それを破らせた男の力を見ておきたかった。
そしてその力が値する物ならば、、、そんな想いから衝いて出た咆哮であった。
先のダメージから回復した大作、崇の言葉に歓喜の表情を浮かべ
「それ、ほんまやな?」と崇に問う。
無言で数回頷く崇。
「よっしゃ!なら上等やっ!福さん、本気で行くで?」
「当たり前や。せやないとお前、、、死ぬど」
そう言うと崇が構えを取る。それは大作が初めて目にする、格闘家としての崇の姿であった。
無造作に突っ込んだ先と違い、今度は大作も構える。
アップライト・スタイル、、、ムエタイの選手が好んで使う構えである。両の拳を高めに上げ、右足を軸として左足を少し前に出して小刻みに上下させている。それはいつでも前蹴りを出せ、更には蹴り技をその足でガードする為の動きである。
このように本来は蹴りを主体とした打撃に特化した構えであり、何でもありの路上に於いては危険を伴う。
体重の割合が後方に多くかかっている為、タックル等に対処しにくく転倒しやすいのだ。
しかし大作がこの構えを選んだのには明確な理由があった。
崇は足が不自由である、、、そんな崇が相手ならフットワークを駆使しての打撃、それも蹴り技を主軸に攻めれば優位に立てるはず。大作がこの構えを選んだ事からも手加減の意志が無いのがわかる。大作の本気が見て取れた。
対する崇の構えはクラウチング・スタイル、、、ボクサーが用いる前傾姿勢の構えだが、崇のそれは少し違っていた。
より体重を下に落とし、頭部を肩と両の腕で包む様に構えている。
拳は握られておらず半開きになっていて、組む事と掴む事を狙った独自の物となっていた。
大作の構えを見て、崇は両手の小指を薬指に重ねた。
素手で闘う場合、打撃を捌く時に小指を引っ掛けてしまい折れる事がままある。それを防ぐ為の行為、、、
それは打撃主体で来るであろう大作への対策であった。
「んなら行くでっ!楽しもうやっ!!」
リズミカルにフットワークを踏みながら大作が前に出る。
「フンッ、、、」
口角を片方だけ上げ、崇が鼻で笑う。
先に仕掛けたのは大作だった。
それは牽制の前蹴り。しかも対処しにくい膝頭を狙って放たれた。
それをもし崇が手を下ろして捌いたなら、今度はガードの空いた頭部に攻撃を仕掛ける、、、その為の布石である。
いやらしくも巧みな攻撃だった。
だが、なかなか思惑通りには行かない。
崇はガードを下げずに、足の角度を変える事でそれをいなしたのだ。
お互い顔を見合わせ「やるな」とばかりに笑みを交わす。
その時、遠くでクラクションが1つ鳴った。
それは恰かも今更ながらに試合開始を告げる、遅れて鳴らされたゴングの様であった。