聖域
会場入口の縁で待機する崇。胸に手を当て早まる鼓動を抑え込む。
プロの興行では無い為、当然ながら入場の際の派手な演出などは無い。
入場曲が流れる訳でも無く、スポットライトに照らし出される訳でも無い。
だが崇は思う。それがいい。
自分は華やかな舞台など似つかわしく無い人間だと思っている。
1度は格闘技界から身を退いた自分である。
人知れず去るつもりが、大作の計らいでこのような場を与えられた。自ら望んだ事では無いが、これだけでも果報者である。
そんな事を考えていると、不意に女性のアナウンスが響いた。
「それでは先程告知しました通り、全試合に先立ちましてグングニル障害者の部トレーナー、福井崇の引退試合を行います。尚、本人たっての希望により福井崇が先の入場となります事、御了承下さいませ。
それでは西側入口より福井崇選手の入場ですっ!!」
その声に誘われ、新木が先に弾ける様な勢いで飛び出した。
崇は1度深呼吸をして顔を2度叩くと、少し遅れてそれに続く。
選手としては無名に等しいが、グングニルのトレーナーとしての知名度はある。
そして過去の経緯、、、
格闘技から1度身を退いた理由や復帰までの流れは、中岡の書いた記事により多くの人間の知るところであった。
それが理由だろうか、予想外の声援がその身に降り掛かった。
しかし崇がそれに応える事は無く、真っ直ぐに神聖なあの場所を目指す。
リング下に辿り着いた崇は1度足を止め、僅か数段上にあるその聖域を見上げた。
僅か数段、、、されど数段。
大袈裟に言うならば、命を賭す為に踏み出すその一歩は、雪山の頂を目指す一歩に等しい。
掌を合わせ1度頭を下げた崇は脚が不自由な為、新木の肩を借りながら重きその一歩を踏み出した。
登りきった所で新木がロープを開き、崇を戦場へと誘う。
「行ってこいっ!」
崇は新木の言葉に無言で頷くと、開かれたそのロープをついに潜った。
指導者としてでは無く、久々に選手として立つリング。
そこは思いの外に眩しく、そしてその景色はとてもとても美しかった。
目をしばたたかせながら、会場を数回見渡す。
歓声の快感に酔った訳では無い。
先から心に溜まった物、、、それを解消すべく、ある事を確認する為である。
360度、隈無く会場の全てに視線を走らせる。
(やっぱり、、、な)
生じていた疑問に対し、自分なりに出していた解答。
崇はそれが正しい事を確信していた。
「続きまして、東側入口よりX選手の入場ですっ!!」
アナウンスが響くと同時に入場口を凝視した崇。
その顔は歓喜に満ちたようにも、狂気に満ちたようにも取れ、見る者に空恐ろしい印象を与えていた、、、