出陣
開会式の後、10分程のアップを終えた崇、呼吸を整えながら心身の一致をはかる。
オープンフィンガーグローブを嵌めた拳を軽く上げると、それを見つめる崇。
格闘技からは身を退くし、喧嘩をする事も無い以上、己が人生で拳を奮うのは、恐らくこれが最後だろう。
軽々しく振り回して来た若き日の拳、、、
それに比べ、今日の拳のなんと重い事か、、、
「どした兄弟?」
崇の様子を見て新木が不思議そうに声を掛けたが、胸の内を話すのも何か照れ臭い。
「いや、なんでも無い」
崇はそうとだけ答えておいた。
そんな崇の周りに障害の部のメンバーが集まる。
最初に口を開いたのはやはり鳥居だった。
「俺達は誰一人、最後まで福さんから1本取れんかった。そんなアンタの実力、リングで見せてくれ」
そう言うと目の高さに右手を挙げた。
頷きながらそれを叩いた崇。
次に口を開いたのは山下である。
「最後の舞台、存分に楽しんどいでぇなっ!」
鳥居と同じく右手を挙げた山下だったが
「あっ!こっちは手が無いんやったわ」
そう言って左手に挙げ直しおどけて見せる。
「笑えんわアホッ!」
言いながらしっかり笑って崇がその手を叩く。
次に藤井。
「福さんには迷惑もかけたけど、、、本当に、、、か、感謝してる、、、頑張ってね、、、」
今にも泣き出しそうである。
「応よっ!」
答えながら藤井の頭をくしゃりと撫で、自分から手を出した
「ほら、、ハイタッチ」
頷いた藤井が崇の手を叩き、それを見た崇はもう1度その頭を武骨に撫でた。
その様子を見ていた吉川が崇に近づく。そして耳元で囁いた。
(柔術着の内側、、、御守り縫い込んどいたから)
「えっ!?」
驚いた崇が柔術着のあちこちを叩いて探る。
すると確かに言われてみれば、胸の辺りに小さな脹らみを感じる。
「全然気付かんかった、、、ごめん。でもありがとな」
吉川は笑顔で首を振り
「後悔無いようにやっといでっ!それと、、怪我、、気をつけてね、、」
そう言うと皆と同じく手を掲げて見せる。
崇はそのツンデレ具合に笑いそうになったが、必死で堪えるとその手を叩き頷いた。
次に松井と工藤の車イスコンビである。
先ずは松井が手話で話し、美佐がそれを通訳する。
「こんな身体の自分に、別け隔て無く教えてくれてありがとう。御武運をっ!、、、と言ってます」
「逆にその身体でついて来てくれて、、、頑張ってくれてほんまにありがとな」
崇の言葉に松井の視界が歪む。
「おいおいっ!泣く場面とちゃうでっ!陽気に送り出さんかいっ!ほら、手っ!!」
微笑む美佐と泣き笑いの松井が手を挙げると、崇がパンチの連打を繰り出す様に小気味良く2人の手を叩いて見せた。
最後は工藤である。
「問題児やった俺を見捨てんと教えてくれてありがとな」
予想外のしおらしい言葉に面喰らった崇だが、意地悪な笑みを浮かべると
「問題児やった?過去形やなく進行形で問題児やろが。松ちゃん見習ってお前はもっと頑張れやっ!」
そう言って腹を抱えた。
「そりゃ無いわぁ、福さん、、、」
感動で視界を歪ませた松井とうって変わり、不満に顔を歪ませた工藤。
「悪い悪いっ!冗談やって!お前はよく頑張っとるし、人間的にも良くなった、、、そのまま成長してくれな」
新たな言葉を贈り、手を出した崇。
「チッ!」
舌打ちを鳴らしながらも嬉しさと照れが見て取れる工藤。
目の高さに差し出された崇の手を、ネコパンチの様に叩いて見せた。
「みんなありがとな。でも今からは自分の試合の為に集中してくれ。お前らは俺の自信作や、だから今日は胸張って思う存分暴れてくれ。」
礼と激励の言葉を返した崇、いよいよ試合場へと向かう時刻となった。
引退試合の主役である崇、本来ならば対戦者より後の入場なのだが、無理を言って先の入場としてもらった。
その理由は幾つかある。
1つは長年のブランクがある身である事を考えれば、相手が誰であれ自分の方が格下であり、挑戦者に等しいという事。
1つは先に入場し、相手の入場して来る様子を見たかった事。これは相手の身体の仕上がり、顔色、動き等を見る事で長所や弱点を見極める「目付け」と呼ばれる作業である。
そして最後の1つ、、、
それは胸に支えたままの物、その疑問を解消する為にどうしても確認したい事があった為である。
「兄弟、準備はええか?」
新木の問い掛けに黙って頷く。
「よっしゃっ!!ほな行こかっ!!」
勢いよく控え室の扉を開いた新木。
崇は皆に振り返ると
「ちょっと行って来るわ」
と、まるでコンビニでも行くかの様に、力み無い言葉を残し控え室を後にした。